ダンキスタンと同じ種類の混乱が、グランでも発生した。
奇妙な生物達が少なからず街を徘徊し、自分達を襲ってくる感染者を殺して回っている。
小さな丘のような山で、街と区切られているので、「灯台」に被害が及ぶことはない。だが、街から海へ逃げてくる者も増えた。
ウィルス保菌者でも、発狂していない者や、潜伏期間中の者は、進んで「灯台」に招き入れる。だが、未感染者はすぐにお帰り願う。
カインは、私に「医者」以外の仕事を与えた。
「灯台」の周りに、未感染者が侵入できない結界を張れと言うのだ。
私は、「力場」と呼ばれるものを作る術を学んでいない。魔力を練って放出すると言う方法は知っているが、実際に試したことはなかった。
「上手く張れるかは分からないが、出来る限りのことはする」と言って、私は海で拾った石ころに魔力を宿し、「灯台」を中心に8方向に置いた。
そして、要になる白い石にも魔力を宿してカインに手渡し、魔力の壁を、石を置いた8か所に飛ばした。それは傘のように「灯台」を覆った。
要石を持っているカインには、結界内のことが手に取るようにわかるだろう。
「よし。これで俺だけが見張らなくても済む」と言って、カインは灰色の目を、私のほうに向けた。「魔力はどのくらい持続する?」
「初めて使った術だからな。まだ分からない。でも、3日で解けることはない」と説明すると、カインは「分かった。魔力が減退し始めたら知らせる」と応えた。
カインは、魔力とは違う有能な能力を持っているが、彼も一日に数時間は睡眠を取らなければならない。その間が無防備になることを恐れたのだろう。
グランが戦場になってから、1ヶ月が経とうとしていた。エスカが、また私に悩みを打ち明けた。今度は恋の悩みではなかった。
「毎日、ドキドキして、不安でどうしようもなくなるの。新しい仲間も増えたけど、みんな、街のほうはひどいことになってるって言うし…」
「ああ、今のこの国は、ほとんどが戦場だからな。だけど、この『灯台』は大丈夫だ。カインも見張ってるし、私も術をかけてある」と答えると、
「オルガは、魔力でどんなことができるの? 心を落ち着けたりできる?」とエスカは聞いてくる。
「体の傷を治すことはできるが、心を落ち着ける方法は…」と言いいかけ、私は「よし。おまじないを教えてやろう」と言った。
「砂糖2さじを水に溶いて、『凍り付いた瞳の海』って3回唱えて、その水を飲むんだ」
「うん。分かった」
エスカはそう言ったが、持ち前のおしゃべり癖を発揮して、私をなかなか放そうとしなかった。
オリンの前でおしゃべりをするのをやめたので、話し相手に飢えているのだろう。
ひとしきりしゃべり終えたエスカは、アノイに呼ばれて「灯台」のほうに戻って行った。
その日の食事にするワニを、ワニ園に捕まえに行くようだ。
彼女達も見かけは少女だが、ウェアウルフ・ウィルス保菌者としての能力は持っている。2人係なら、相当な大きさのワニも取り押さえられる。
私は、その背を見送り、そろそろ「灯台」に戻ろうかと考えていた。
そこに、オリンが来た。波止場に座っている私を見つけ、「オルガ。お疲れ」と声をかけてきた。
「エスカってば、最近僕に話しかけなくなって来たと思ったら、オルガに話しかけてたんだね」
どうやら、乙女の失態を知られてしまったらしい。
「今のおしゃべりは、たまたまだ。ちょっと悩み相談を受けててな」と誤魔化すと、オリンも、「悩みか…。聞いてもらえるなら、僕の悩みも聞いてくれる?」と言う。
私は「医者」として、メンタリストの能力も持たねばならないらしい。
「私がどうにかできる範囲の悩みなら、話してみてくれ」と言うと、オリンはぽつぽつと話し始めた。
それは、「ウェアウルフ・ウィルス保菌者」になる前のオリンと、恋人の話だった。
発狂した者に襲われ、オリンは恋人を連れて町中を逃げていた。しかし、逃げ込んだビルの中で別の感染者に遭遇し、恋人が腕を噛まれた。
オリンは、恋人を噛んだ感染者を、撲殺した。そして、「きっと大丈夫だ。早く逃げよう」と恋人を勇気づけたが、
「だめだよ。分かってるから。私、オリンを食べたりしたくない」と言って、恋人は護身用に持っていたナイフで、自分の喉を切り裂き、死亡した。
オリンは、肉を抉り取られた恋人の腕の傷に口づけ、自ら「保菌者」となった。
「なんで、あんなことしたかは分からないけど…。僕も、相当いかれてたのかな?」
「それは分からないが、本題はなんだ?」と、私は話を促した。
すると、オリンは意外なことを言った。アノイとエスカが、死んだ自分の恋人とそっくりなのだと。
「でも、内面はそんなに似てるってわけじゃないんだ。ナディは、エスカほどおしゃべりじゃないし、かと言って、アノイほどおとなしくもない」
ナディと言うのが、死んだ恋人の名前なのだろう。
オリンは、アノイとエスカの「元恋人との違い」をいくつか例に挙げた後、「でも、あの二人がいると、ナディはまだ死んでないんじゃないかなんて思っちゃうんだ」
私が考えるに、オリンは恋人の死が受け入れられていない。そこに、容貌の似た娘達が現れ、混乱している。
自分の恋人、ナディは死んだんだと言うことを受け入れるため、あえて双子の特徴から、ナディと違う場所を見つけようとしているが、その行為が、なおさらナディを思い出させることになっている。
私が思ったことをそのまま伝えてみようかと思ったが、オリンもそこそこ女々しい奴だ。
少し表現を柔らかくしようかと思って、やめた。あえて、批判するような口調で私の意見を伝えてみた。
オリンは表情を暗くし、「そうか…」と呟いた。「やっぱり、ナディは死んだんだよね」と聞いてくるので、「それはお前が一番よく知ってることだ」と答えた。
今日も肉の時間になった。今日はエスカも率先してアノイと共に肉を配る仕事をしている。
エスカも、「おしゃべり好きで困った子」であると言う印象を覆そうと、張り切っているのだろう。
「オルガ、脚の肉好きだったよね?」と言って、エスカがワニの後ろ脚の肉の塊を、私に差し出す。
「ありがとう」と言って受け取ると、エスカはそっと私に耳打ちした。「おまじない、試してみた」と。
「効果はどうだった?」と聞くと、「うん。頭がもやもやしてたのが、すっきりした」と答えて、エスカはすぐに給仕の仕事に戻った。
どうやら、糖分と「呪文」の効果はあったらしい。
