Ash Eater 1

夜のパルムロン街は、車のライトの流れと、古い建物を照らし出すライトアップの光であふれていた。

様々な色のライトアップに照らされた建物と建物の間を通り抜けようとした時、人並みから外れた通行人がぞくりと肩を震わせた。

「24」と、声が聞こえた。「23、22、21…」その声はカウントダウンしていく。

「3、2、1、…0」と唱えられたとき、通行人はぽかんと中空を眺めていた。

「今日一日分で許してやるよ」と言う、捨て台詞を耳にして。


その日、パルムロン街にある、ウィンダーグ家は親類でいっぱいだった。

老いも若きも、みんな少しくたびれた黒い一張羅を身に着けて、ベッドに横たわる現当主の青ざめた顔を観ていた。

「なんだって、半年もの間も食事を摂らなかったんだ!」剛毛の髭を三つ編みにした猿顔の男がわめいた。

「知らないわよ。大の男が、身に余る絶食してるなんて」白髪の老婆がシワを化粧品で隠しながら言った。

「早急に何か食べさせないと」と言って、メイド姿の女性が部屋の隅で鳴いていた猫をみた。

「おおっと。そいつはだめだ」赤毛の少年が猫を抱き上げようとしたメイドを遮った。「自分がペットを食って生き延びたなんて分かったら、本当に絶食して死んじまうよ」

「じゃぁ、どうすれば」メイドは猫を床に起きながら言った。猫は何事も無かったように、トコトコと部屋を横切って行った。

「ポルクス。お前の出番だ」赤毛の少年は、さらに幼い金髪の人形のような少年に声をかけた。「お前は終生に渡り…」

「吸血鬼のしもべであることを誓っています」と、金髪の少年は言った。

「分かってるならよろしい」赤毛の少年は言った。「御当主の手を取って差し上げな。少しずつエネルギーが吸い取られるはずだ」

言われたとおり、ポルクスと呼ばれた金髪の少年は、真っ白な顔をしている当主の真っ白な手を取った。

ポルクスは、その冷たさに一瞬驚いたようだった。だが、黙って当主の手を握っていると、その冷たさが全身に走ったようで、ポルクスは振りほどくように手を放した。

「上等上等」赤毛の少年は言った。「少しずつで良い。ご主人様にエネルギーを分けてやってくれ。おっと。目眩か?風呂に入って、何か食べて来い」

ポルクスが身震いをしながら部屋を去ると、当主が軋みの聞こえてきそうな動きで瞼を開いた。「今のは…ポルクスか?」

「そうだよ。でも、死んじゃいない。ちょっと貧血になったくらいだ」赤毛の少年は言った。「はじめましただな。ウィンダーグ家、現当主様」

「お前は…?」と、当主は呟くように聞いた。

「リッド・エンペストリー。あんたの遠縁だよ。近く通りかかったら、そこのヒステリックな連中に捕まってね。『当主が死にそうなときに、何をのんきにしてるー』って言って引っ張ってこられたんだ」

少年は、言い終えてから忌々しそうに舌を出して見せた。

「ポルクスのことを…知っているのか?」そう聞いて、当主はせき込んだ。

「まだおしゃべりできるほど回復してないんだから、無理すんなって」赤毛の少年リッドは言った。「ポルクスは、前の代から子供のままだからな。よく覚えてるよ。あんたの絶食趣味もね」

当主は、むっとした顔で黙りこくった。

「ポルクスがエネルギーを分けられるなら、あなたも」メイドがリッドに言った。

「俺のはご当主様の体には合わねーよ」と言って、リッドは片手をひらひらさせた。「念のため、試してみるか?」

当主は、不機嫌な顔のままリッドの手を取ったが、何も変化を感じなかったらしく、すぐに手を放した。「空っぽだな」

「流れてるものが違うんだよ。あんたにとっちゃ、空っぽに感じるだろうな」

そう言って、リッドはメイドのほうを見た。「ぼやぼやしてないで、ポルクスに、たっぷり飯を食べさせてやりな。しばらくエネルギーの交換が必要だろうから」

メイドは、指示を仰ぐように当主を見た。

「エリーゼ…。頼んだ」と、苦し気に当主は言った。

「はい。では、失礼いたします」と一礼して、メイドのエリーゼは寝室を出て行った。


親類達は、夫々に当主に向かって親愛の悪態をつき呪いをかけ、ぞろぞろと帰って行った。

リッドは物色するように館の中をうろうろしていたが、廃屋のような物置の中で、ホコリを被って蜘蛛の巣だらけになった古い大型のミュージックボックスを見つけ、にやりと笑った。

「この朽ちかけた木の風合い、錆びついた鉄琴、良いね良いね。実に美味そうだ」

そう言って、リッドはミュージックボックスのガラス面に両手をついた。ほこりが手につこうと、お構いなしだ。

「軽く100年からもらってみようか」

リッドが言った途端、ミュージックボックスが逆回転を始めた。ほこりが飛び去り、蜘蛛の巣が引きちぎれ、鉄琴についた錆びは無くなり、朽ちかけていた台座は磨きあげられた木の艶を取り戻した。

「やっぱり3桁の味は違う」と言って、満面の笑みを浮かべ、リッドはミュージックボックスから手を放した。そのガラス面は、ホコリひとつなくピカピカだ。

誰かがねじを巻いたことがあるらしく、ミュージックボックスが音色を奏で始めた。

「ほー。死者の館に小夜曲か。泣かせるね」と言って、リッドは真っ黒な蝙蝠のような羽を広げ、館の窓から夜空へ飛び立った。


物置から、懐かしい音色が聞こえてくるのを聴いて、ウィンダーグ家の当主は一瞬ベッドから体を起こそうとした。

だが、まだエネルギーが足りない。目眩を覚えて、再び体の力を抜いた。

「ナイト様。ポルクスです」と、ノックと少年の声が聞こえた。

「入れ」と、当主は返事をした。

ポルクスは、髪も乾ききらないまま、まだジャガイモと羊肉のにおいをさせて現れた。

「ジャガイモと羊肉か…」当主は言って少し笑った。「もっと良い物を食べさせてもらえ。お前が私の生命線なのだからな」

「めっそうもありません」と、ポルクスは言った。「私にはこれで十分です。それより、お手を…」

ポルクスはお湯で暖まった手を差し出した。隠していはいるが、恐る恐ると言った様子だ。さっきのエネルギーの交換が急激すぎたらしい。

当主はポルクスの手を取り、静かに息をした。その呼吸に合わせるように、少しずつエネルギーが交換されているようだ。当主の顔には赤みが戻り、ポルクスはまた寒そうに身を縮めた。

しばらくして当主はポルクスの手を放した。「これで十分だ」

そして、ベッドから体を起こそうとした。

「まだ無理でございます」ポルクスは言った。「そんなお体で起きられてはなりません」

「無理かどうかは私の知るところだ」と当主は言った。「だが、少し支えは必要だな。ポルクス、肩を貸してくれ」

「なにかあったのですか?」ポルクスはガウン姿の主の片腕を、自分の肩に回した。

「少し気になることがある…物置まで行くぞ」と言って、当主は引きずるように足を進めた。


物置に近づくにつれ、ミュージックボックスの音は次第にはっきりしてきた。ポルクスにも聞き取れるようになったらしく、少年は呟いた。

「オルゴールの音が…」

「ああ、この音だ」と当主は言った。

物置につくと、ポルクスは物置の扉をいっぱいに開いた。物置は明かりがなく、廊下から差し込む光に頼るしかない。不気味に浮かび上がった物置の中で、ミュージックボックスが鳴っている。

ねじが解けるところらしく、2人が物置に入ろうとすると、音は止まった。

「あのミュージックボックスは50年前に壊れたはずだ」と言って、当主は物置の奥に歩を進めた。「直っている。手入れもされている」

闇を見透かす主の目には、恐らくミュージックボックスがはっきりと見ているのだろう。まだ暗がりに目の慣れないポルクスは、何度も目をこすって瞬いた。

「あの手の跡…」当主はミュージックボックスに触れられそうな場所まで近づいた。そしてガラス面に残った、わずかな両手の後に触れ、「何も気配がない。間違いない。リッドのものだ」と呟いた。

「リッドと言うのは?」ポルクスは聞いた。

「お前より少し年上に見える、赤毛の忌々しい少年がいただろう?」と、当主は言った。

「はい。私に、ナイト様の手を取るようにと教えて下さいました」と、ポルクスは答えた。

「恐らく、あいつの仕業だ」と、当主は言った。

「物を直す力をおもちなのでしょうか?」ポルクスは聞いた。

「いや、そんなに生易しいものではない」当主は否定した。「場合によっては、このミュージックボックスは消滅していたかもしれない」


寝室の戻り、ベッドに腰を掛けると、当主はポルクスに言った。

「私はもう大丈夫だ。バトラーに、家系図を持ってくるように伝えろ」

理由は聞かず、ポルクスは「はい」と返事をして寝室から出て行った。