Ash EaterⅡ 1

石造りの古風な外観を残した建物の並ぶ、ディーノドリン市。夕暮れが過ぎると、建物に備えられたライトアップで七色に輝き出す。

中でも、パルムロン街は、少し離れたところに活気あふれる商店街があり、表通りはひっきりなしに車が行き来している。

それに反して、一歩わき道に踏み込めば、馬車の走る昔ながらのレンガ道が続く場所もあり、観光名所としても有名だ。

そんなパルムロン街の一角に、ウィンダーグ家はある。込み入った街の中でも、馬車でもタクシーでも「ウィンダーグ家前まで」と告げれば、誰でも知っている古い家だ。

現当主のナイト・ウィンダーグは、目下、ある事情に悩んでいた。

事の起こりは昨晩だ。久しぶりに訪ねて来た、父方の叔父が、やけに大量の肖像画とアルバムを持ってきた。

「叔父様。私にはピンナップを集める趣味はありませんよ?」ナイトは冷ややかに言った。

「安心しろ。みんな生きている吸血鬼ばかりだ」と、叔父は言い出した。「誰でも好きなものを選べ。どの令嬢も、気品と気高さに溢れた才女だぞ」

「ついに共食いをしろと?」ナイトは嫌味を続ける。「私の拒食症をどの程度ご存知かは知りませんが、貴婦人の首に噛みつく気はありません」

「お前も、相当ひねくれているな」叔父は言い返した。「今日は食事に関する説教に来たわけではない」

「では、この大量の荷物は何のために?」と、ナイトはしらを切りとおした。

叔父は言った。「結婚しなさい」

「嫌です」ナイトは考える間もなく返した。「外から帰ってくるたびに、どこの誰とも知れぬものの血の匂いを漂わせてくる女性に興味はありません」

「お前も、血を飲むようになれば、その香しさが分かる」と叔父は断言した。「吸血鬼として至極当然な食事をする連れ合いを持ってみろ。拒食症も治るかも知れんぞ」

「3日に1本は血の腸詰を食べるようにしていますよ」と、ナイト。

「豚の血でさえも、火を通さないと食べれないのか?!」と言って、叔父は大げさに天を仰ぎ、つむった目に手をあてた。「なんたることだ。このままでは、ウィンダーグ家は絶えてしまう」

「絶えるなら絶えるで構わないでしょう? そもそも、私が後を継いだ時点で、そのことは分かっていたはずです」ナイトは昔から聞かされていた悪口に対抗するように答えた。

「みんな、いつかはお前も変わってくれると信じていたからこそ、ウィンダーグ家を任せたのだ」恩着せがましく叔父は言う。「お前がウィンダーグを継いでから、何年になる?」

「ざっと見積もって、300~400年と言う所ですか」ナイトは答えた。「私の直系が継がなくても、身近な親戚の若い者でも引っ張って来ればいいでしょう」

「それが居ないから、お前に結婚を勧めているんだ」叔父は説き伏せるように言った。「中世を過ぎて以来、我ら一族も少子高齢化だ。お前だけが唯一の希望なのだ」

「希望を託されても、その望みは叶えがたいですね」ナイトは突っぱねた。

「とにかく、この写真や肖像画は置いていく。じっくり眺めながら考えなさい」

おせっかいな叔父は、持って来た肖像画とアルバムの小山を置いて、さっさと帰って行った。


取り残された肖像画とアルバムは、一時的に書斎の一角に片づけられた。

「持ち主のところに返さなきゃな」余計な仕事が増えたと言わんばかりに、ナイトは肖像画の裏や写真の裏に書かれている名前を読み上げて行った。

読み上げられたものから、順に天窓を通り、明かりの少ない裏通りを通って、各地に飛んで行く。

「ルイーゼ・エンペスト…」と読みかけ、ナイトは、とある肖像画の裏を二度見した。「ルイーゼ・エンペストリー?」

肖像画をよく見てみると、どことなくリッドに似た、明るい茶色の目と、長い赤毛の貴婦人が描かれている。

「なるほど。リッドは母親似か」ナイトは納得して、その肖像画だけは取っておいた。「何かの機会に、あの魔女のお嬢さんか伯父殿に見せることもあるだろう」

ナイトは少し気分を良くして、残りの仕事を済ませてしまった。

コンコンッと、ドアのノックされる音が聞こえた。「ナイト様。お食事の準備が出来ました」と、ポルクスの声がする。

「食事? 頼んでいないが」とナイトは不思議そうに言った。「血の腸詰も、昨日食べたばかりだぞ」

廊下に出てみると、ポルクスも不思議そうな顔をしている。

「先日いらっしゃった、お身内の方が、ナイト様用の食事を用意するようにと」とポルクスは言った。

2人で顔を見合わせ、どう言う事だろうと首をひねりながら、ナイトとポルクスは食堂に向かった。


毒々しい血の匂いを、コショーやハーブでなんとかごまかそうとしたと言う香りの漂う食卓が用意されていた。

目を引くのが、血を薄めて沸騰させたらしい、赤茶色のスープ。

「エリーゼ。これは…なんの冗談だ?」ナイトは胸焼けを覚えながら給仕兼調理係のメイドに問いただした。

「ルシル様が、1日に1品は血を使った料理をナイト様に提供するようにと」

エリーゼは昨日来た叔父の名前を出し、申し訳なささで泣きそうになりながら述べた。「ナイト様のご健康のためだと押し切られまして…」

「お前が気に病むことじゃない」調理係を労い、ナイトは腕を組んで赤茶色のスープを見下ろしながら、「やっぱり食事の説教をしに来たんじゃないか」と苦言を呈した。


ある日の昼間、ナイトは夢を観た。

ざっくり切られた首から、だくだくと流血している豚達が、ふがぴが言いながらナイトの元に押し寄せ、ナイトの口に流血を浴びせようとしてくるのだ。

遮光カーテンのかかる暗い部屋でベッドから飛び起き、ナイトはガウン姿のまま洗面所まで歯を磨きに行った。

何度、口や歯を磨いても、血なまぐささが取れない。

3日に1本血の腸詰を食べ、残る2日は薄めた血液を煮たてたスープを飲むようになってから、ナイトは3kg痩せていた。

血の腸詰は食べ慣れているからまだしも、血液のスープを飲むようになってから、食事後に胸焼けと吐き気に襲われ、何とか吐かずに洗面所に行って歯磨きをする…と言う日々が続いている。

余りの胸焼けに、ポルクスからエネルギーをもらうことも出来ず、結果、健康的になるどころか、以前より手首が細くなり、頬がげっそりしてきている。

エリーゼも、なんとか食べやすいように、スープにワインを混ぜたり、スープの色が真っ黒になるほど煮込んだりと、色々手は尽くしてくれるが、その効果もないようだ。

「死期が近づいてきたかな…」ナイトは、いつもに増して青ざめている自分の顔を鏡で見ながら言った。