翌宵、大きなバッグパックをガチャガチャ言わせながら、一人の女性がウィンダーグ家を訪れた。
黒い髪に青い目。真っ黒なTシャツと真っ黒な革ジャンパー、それから真っ黒な皮パンを身に着けている。
呼び鈴を鳴らすと、「どちら様でしょう」と執事の声がした。
「ルーゼリア・ボリトス。ナイトから依頼を受けて来た」簡潔に女性は答えた。
玄関のドアが開き、執事が一礼して、ルーゼリアを招き入れた。
ルーゼリアが応接室に通されると、既にナイトは正装姿でテーブルの向こうの席に座り、両手を目の上で組んでうつむいていた。
「ずいぶんまいってるようだな」と、ルーゼリアは男言葉で言った。「他と目も合わせないなんて、お前らしくもない」
「私はそんなに社交的でもないよ」ナイトは顔を上げ、疲れた様子で答えた。
「ここに来る前に、今回の件の殺人現場を見て来た」
ルーゼリアは、バックパックの中からごつい銃器を次々に取り出しながら、淡々と説明した。
「どうやら、被害者の首を切り裂いたのは、ナイフだ。地面と水平に血の名残があった。出血の量からしても、血を吸われた形跡はない。犯人は人間の可能性もある」
「ふむ」ナイトは心非ずと言う風に相槌を打った。「人間と関わることが多いな…」
「普通に社会の中に居れば、周りはほとんど人間ばかりだ」
ルーゼリアは、銃器の安全装置を確認し、弾丸を込め始めた。
「こう人目の多い場所に住んでたら、引きこもりにならざる得ないのは分かるが。すまないが、少し腹が減っている。酒はないか?」
「バトラー、ルーゼリアにワインを」ナイトは指示を出した。執事は一礼して、キッチンのほうに消えた。
「殺されたのが一昨日なら、まだ霊魂が残っているかと思ったが、影すらなかった」と、ルーゼリアは残念そうに報告する。「霊魂になっても、何等かの術で隠れているのだろう」
その報告を聞いていたナイトの耳に、執事の呻き声が聞こえてきた。ルーゼリアも気づいたようで、執事が出て行ったドアを見つめた。
ルーゼリアは常にイーブルアイを発動している。青いカラーコンタクトレンズの中で、赤く光る目がドアと壁を透かして、キッチンの様子が見たらしい。
「メイドが執事を刺した」とルーゼリアは言った。
「そんな馬鹿な!」と叫んで、ナイトはテーブルの周りを通って、キッチンへ続く廊下の扉を開けようとした。
「待て」ルーゼリアが止めた。「メイドの狙いは、執事だけじゃない。私達もだ」
ルーゼリアが、持っている銃の種類を変えた。
「こっちに向かって来ている。ドアから離れろ。早く!」
ルーゼリアが指示を飛ばした直後、ドアが軋みを上げながら開かれた。
怯えたような表情のエリーゼが、震える両手に包丁を持ち、廊下に立ちすくんでいる。
「エリーゼ…」と、ナイトは呼びかけた。
「な…ナイト様…。お…逃げ…くださ…い!」そう言葉を話す意思とは反して、エリーゼはナイトに向かって包丁を突き出した。
ナイトが身をひるがえして刃を避けると、絨毯の手前で、見えない壁にぶち当たったように、エリーゼは包丁を突き出したまま動かなくなった。
「結界か?!」ルーゼリアは言って、手にした銃の銃口をエリーゼに向けた。「好都合だ」
ナイトが何か言う暇も無く、銃弾が放たれた。小さな注射器のような弾丸が、エリーゼの首筋に刺さる。
脱力するように、エリーゼは包丁を取り落とし、床に座り込み、そのまま倒れた。
「麻酔銃だ」とルーゼリアは説明した。「屋敷に誰かが侵入しているぞ。様子の変わったところはないか?」
ナイトもイーブルアイを赤く光らせ、屋敷の床下から天井裏、表と裏の庭までを素早く見回した。
そして気づいた。「ポルクスが居ない…」
「ポルクス?」と短くルーゼリアは聞く。
「小間使いだ。いつもは屋敷の中にいる。何処にも姿が無い」ナイトが言うと、ルーゼリアは「連れ去られたか」と呟いた。
2階の書斎へ移動するため、武装したルーゼリアとエリーゼを抱えたナイトが、玄関ホールの階段まで移動してきた時、外から無数のドアを叩く音が聞こえてきた。
魔力を持った屋敷の扉は、そう簡単には開かない。
ルーゼリアが扉を透視すると、無数の人間が扉の前に詰め掛けていた。
「国営放送局の者です!」
「ウィンダーグ様! エレーナ・パフさんの死について一言!」
テレビカメラも付いてきている。姿を映されたら、後々まずいことになると、ルーゼリアも察した。
「唯の野次馬だ」ルーゼリアは言って、ナイトを連れて2階への階段を駆け上った。
廊下の曲がり角を見据え、ルーゼリアは足を止めた。「誰か居る。吸血鬼だな。小間使いではなさそうだ。ナイト、ここで待て」
指示通りにナイトは足を止め、抱えていたエリーゼを壁にもたれかけさせると、いつでも火炎を投げられるように、片手に魔力を集中した。
ルーゼリアは両手にサイレンサー付きの無骨な拳銃を持ち、廊下の角へ向かって素早く移動した。
銃を構えると、マント姿の巨体の吸血鬼が、牙をむきルーゼリアに襲い掛かってきた。
ルーゼリアは、吸血鬼の顔に弾丸を放った。
右目をつぶし、左の目の縁と頬をマグナム弾がえぐる。
両目をつぶす予定だったが、相手の素早さをとらえきれず、わずかに狙いがそれた。
巨体の吸血鬼は、にやりと笑いながらルーゼリアと間合いを詰めてくる。
ルーゼリアは、迷うことなく間合いの近くなった吸血鬼の頭に2撃目を打ち込んだ。
頭蓋骨が吹き飛び、脳を砕かれて吸血鬼は廊下に倒れこんだ。
ルーゼリアがその巨体の横を通って、廊下の先の様子を見ようとした途端、死んだはずの吸血鬼が、ルーゼリアの足首をつかんだ。
なんだこいつは?! と、ルーゼリアが心の中で驚きの声を上げた途端、脳が砕けている吸血鬼は、ルーゼリアの足首をつかんだまま逆さまに持ち上げた。
ルーゼリアは、片足を取られた状態のまま、吸血鬼の腕の付け根に弾丸を打ち込んだ。
モンスターのような吸血鬼の肩がはじけ飛び、腕が千切れた落ちた。
ルーゼリアは落下するとき体をひねり、背中から廊下に着地すると、すぐに起き上がった。
だが、足首をつかんでいる化け物の手には、力が入ったままだ。そして、化け物自体も、頭と片腕を失った姿のまま、体を起こし、ルーゼリアが驚いているのを楽しむように、口元だけにやりと笑った。
ルーゼリアは、こいつは本体じゃない、と直感的に気づいた。何処かで、この巨人を操っている者が居る。
だが、それを探るより早く、目の前の化け物を殲滅することが先だと言う事も分かっていた。
ルーゼリアは、片手の銃を足元に撃ち放ち、足首を捉えている化け物の指を吹き飛ばした。
のそのそと敵のほうに体を向けた化け物は、残った片手で再びつかみかかってきた。
ルーゼリアが、その心臓めがけて銃を放った。弾丸が、化け物の体をえぐって、背中に貫通する。
追い打ちをかけるように、化け物の背後から巨大な火炎が浴びせられた。
化け物の体はみるみる炎に包まれ、傷口から体内を焼かれて、ついに倒れた。
パチパチと音を鳴らしながら、巨体が燃え尽きて行く。
火炎を放ったナイトが、目を赤く光らせながら化け物を見下ろしていた。
「すまない。これじゃ、どっちが助けられたか分からないな」とルーゼリアは詫びた。
「いや、良いんだ。これを見ろ」と、ナイトが化け物の背中を指さした。衣服が焼かれて、こげた肉が露出している。貫かれた心臓の位置に、十字の模様と、何やら古代文字めいた記号が描かれていた。
「エリーゼの腕にも、同じものがあった」ナイトは言った。
「術者は近くにいるな…。まず、メイドを安全な場所へ」と、ルーゼリアはナイトを促した。