弾丸に貫かれ、ナイトは激痛と共に心臓から噴き出る血を、左手で抑えた。
だが、倒れそうになる体をぐっと踏み留め、「何をしている。心臓にある血が無くなるぞ」とポルクスに言った。
「ははっ。本当に、僕に協力してくれるんですか?」とポルクスは言って、コルク栓を抜いた小瓶を持ってナイトの近くに行き、心臓から噴き出ている、動脈血と静脈血の混ざった血を小瓶に受けた。
「これで良し。本当に物分かりの良いご主人様で助かりましたよ」ポルクスは血でいっぱいになった小瓶にコルクの栓をして、屋根裏部屋へ戻って行った。
一時的に術が弱まったのを察し、ルーゼリアは片腕に力を込めて首を叩くと、ナイトの返り血で首筋の模様をぬぐい消した。
術から逃れたルーゼリアは、床に倒れそうになったナイトに駆け寄った。「まだ、死ぬには早いぞ」そう言って、ナイトの腕を肩に回し、胸の傷に手をあてた。
「私の、唯一知っている魔術だ」
ルーゼリアがそう言うと同時に、彼女の手が淡く光り出した。心臓とその周りの組織が再生し、出血が止まった。
「ルーゼリア…すまない」と、ナイトが呟いた。
「まだ気を抜くな。私の力じゃ、血を止めるので精いっぱいだ」
そこに、書斎からフラフラとエリーゼが現れた。操作の魔術にかかっているわけではない。その目には、確かに意思の光があった。
「ナイト様に…私の血を…」と言って、エリーゼは書斎に合った万年筆のペン先を、左腕に突き刺した。
「何を馬鹿なことを!」と、ルーゼリアが叫んだ。
「ナイト様は…きっと、噛みつけないから…」と言って、まだ麻酔で朦朧としているエリーゼは、だくだくと鮮血の溢れている左腕を、ナイトの口元に差し出した。
ナイトは、その手首に吸い付き、生まれて初めて生血を飲んだ。美味いものか不味いものか、味など分からない。
だが、3口ばかりの血を飲み、「ルーゼリア。血を止めてやってくれ」と言った。何者に対する涙かも分からない涙を滲ませながら。
屋根裏部屋に戻ったポルクスは、さっそく「解約の儀」を行なっていた。
カラスアゲハの鱗粉とコオロギの爪を蒸留水の中に入れ、狼の目玉は潰して、中身と皮を全部さっきの蒸留水に混ぜた。
最後に、主の心臓の血を入れると、蒸留水がシュワシュワと音を立て、ソーダ水のように泡立った。
「これを飲んで、日の光に当たれば良いんだ」とポルクスは呟き、外の様子を見た。
さっきまで玄関に群がって来ていた人間達は居なくなっている。もちろん、表玄関から出る気なんてなかったが。
屋敷の影になった裏口の前で、ポルクスは薬を飲んだ。
そして裏口を出て、陽の光に当たった。
胃の中から全身にかけて、力のみなぎるような感覚が起こった。服が小さくなったような気がしたが、気のせいではない。ポルクスは、自分の背がどんどん伸びているのが分かった。
「成長できるんだ…。大人になれるんだ!」と言った途端、髪の毛がざらりと抜け落ちた。
「なんだ?!」ぎょっとしてポルクスは抜け落ちて来た髪の毛を見た。真っ白で傷んだ、白髪だ。
のびたと思った背も、急激に縮まり、骨が変形して、立っていられなくなった。
「どう言う事だ?!」と老人の声で叫んだポルクスの耳に、ナイトの心の声が聞こえてきた。
「契約を解除したからだ。お前と私が出逢って、何百年が経ったと思っている?」
「そんな…」と、しわくちゃの老人になったポルクスは、なおも老化を続けながら、身動きの出来なくなった体を地面に横たえ、「僕は自由になるんだ…自由に…」と呟いて、息を引き取った。
日の射しこまない裏庭を、ルーゼリアに肩をかされたナイトが見ると、そこには皮すら失った、古びた白骨が転がっていた。
ナイトは謝礼を支払うと言ったが、ルーゼリアは「狩るはずの標的に操られてちゃ、本末転倒だ。今回の仕事は失敗だ。金なんてもらえない」と突っぱねて帰って行った。
エリーゼは病院で輸血を受け、医者に「なんでこんなにひどい貧血になったのですか?」と聞かれた。何せ、左腕の傷口はルーゼリアが跡形も無く消してくれたからだ。
ゾンビの執事は、傷口を修理され、再び通常業務に戻った。
周りの反対を押し切り、ナイトはポルクスの葬儀を行なった。
「お前が居なければ、私は今まで生き延びれなかっただろう」石造りのポルクスの墓標にナイトは声をかけた。「お前を自由にしてやりたかった。だが、それは最初から叶わないことだったんだ」
葬儀を終えて帰る途中、聞き覚えのある声がした。
「ナイト君? 聴こえてるかなっ?」
ナイトは目を見張って、声のしたほうを見た。暗闇を見透かす目に、青白い影が映る。
でっぷりと肥えたエレーナが、墓場の一角で親し気に微笑んでいた。
「エレーナ…今までどこに?」と、ナイトはエレーナの霊に訊ねた。
「実はね、私も操作の魔術にかかっててっ。あれ、反魔術も利かないの。それで、自殺しちゃってたのねっ」
世間話でもするように、エレーナは気軽に言う。
「誰がナイフを持ち去ったかは、記憶が無いんだけど…。あの…ポルクス君だっけ? あの子も相当悩んでたみたいだから、そんなに恨まないで上げてねっ」
霊魂とは思えない明るさで、エレーナはそう言ってウインクをした。
「私、あなたの雇ったハンターの子が来てるのも分かってたんだけど、なんせ余計なこと言えない身じゃない? 姿隠すしかなくって。おかげで彼女の仕事が失敗しちゃったようなものだから、これも彼女の責任じゃないのっ」
「何処を探したら、そこまでの寛容さを出せるのか、教えていただきたいものです」と、ナイトはすっかり緊張も解けてしまった。
「私は、みんなに愛の道しるべを教えるために占い師になったのっ」
相変わらず両手の人差し指を振って、言葉を強調しながらエレーナは言う。
「みんな、愛に恵まれなかった可哀想な子達なのよっ。私は誰も恨んでない。だから、ナイト君も泣きべそかいちゃだめだぞっ。ふふっ。ちゃーんと、分かってるんだから、ねっ?」
そう言って、エレーナの霊はふわりと宙に浮いた。
「ああ、言うこと言ったら軽くなっちゃったみたい。じゃ、ナイト君。またいつか会いましょ。素敵な人と巡り会えてから、こっちに来るようにねっ。バイバイっ」
底抜けの明るさを振りまいて、エレーナは星空の中へ消えて行った。