Ash eaterⅢ 1

指紋をつけないようによく調べてから、エレーナの血の付いたナイフは、知り合いの刑事に引き渡した。

ウィンダーグ家の応接間に招かれた古参の刑事は、事情を聴いてすぐに事を理解したようだった。

「ウィンダーグ様。あなたのところに脅迫文が届いたことは、どうかご内密に。メディアの者に知れるといけませんからね」

訳知り顔の老年の刑事はそう言い、後ろに控えていた若い青年を紹介した。

「彼はジャン・ヘリオス。私の引継ぎで、この家の警護にあたらせていただきます」

「引退の時期ですか? ミスター・オークランド」ナイトは信頼を置いている刑事の名前を親し気に呼んだ。

「私も、長く勤めましたからね。そろそろ体にガタがき始めた」

老いた刑事はナイトにそう告げ、ジャンのほうを見た。

「こいつにも、この家の事情は伝えてあります。見た目はまだひよっこだが、中々腕の利く、冴えた奴ですよ」

それを聞いて、ジャンは恐縮して一礼した。


オークランドが帰った後に、残ったジャンはまるで初任務に挑むように緊張した面持ちになった。

脇に抱えていたファイルを開き、この家の見取り図をページを開いた。

「一昨年、内装を変えられたそうですが、この見取り図と間違いはありませんか?」

ジャンは真新しい見取り図のコピーを収めたファイルを、ナイトの前に差し出した。

ナイトはそれを確認し、「ああ、この通りだ」と答えた。

「了解しました。何か不審な点に気づいたらすぐ私にお知らせ下さい」

正義感に溢れた青年はそう言ってファイルを閉じると、「さっそく見回りの準備をします。ウィンダーグ様達は、いつも通りにご生活を」と言って、応接室の外に出た。

ナイトは一瞬閃かせたイーブルアイで、ジャンが防弾チョッキを着て、拳銃を胸に隠し持っているのを見た。

「侮るわけではないが、少々心配だな」そう言って、ナイトは書斎に移動した。

ナイトが書斎の扉を閉めると、机の上の電話のベルが鳴った。

電話が宙に浮き、ナイトの耳元に受話器が滑り込んでくる。

「もしもし? ティナ・リンカーよ」と、女性の声がする。

「妖術師が、今何の用かな?」ナイトは少し苦い顔をしながら聞いた。

「あんたがあたしのこと嫌ってるくらい分かってるわよ」ティナは苦々しくそう言って、話を続けた。「エレーナが殺された件で、ちょっとした情報を持ってるの」

「お上手な占いで、水晶玉にでも映ったのか?」ナイトはティナの商売の方法を皮肉る。

「馬鹿ね。ちゃんと霊視したのよ。あたしだってイーブルアイくらい使えるんだから」と言って、ティナはこう続けた。

「エレーナが殺されたのは、午前2時頃。金髪の少年と、もう一人誰かいるわ。黒いコートを着て…顔は分からないけど、恐らく人間よ」

「ふむ。少しは信憑性があるな」と、ナイトはポルクスを思い出しながら言った。「場所は?」

「新聞にも載ったでしょ。シルベットの駅前。エレーナの家の近くよ」

「何故そこまで分かる?」疑わし気にナイトは聞いた。

「同業者同士、交流があるの。あたし、なんだか胸騒ぎがして、事件があった時間帯に、エレーナの家に行ったの。鍵が開いてたわ」

それを聞いて、ナイトは表情を険しくした。「先に誰か侵入したものが居るのか?」

「そう考えるでしょ? その通りよ」ティナは声音を抑えながら言う。「一見、何の変化も無いようだったけど、エレーナが使ってる『魔鏡』が無くなってた」

「『魔鏡』?」ナイトは聞き返した。

「これまで観た占い先と、占った後の結果が映し出されるの。簡単に言うと、顧客リストみたいなもの」とティナはなんでもない風に言う。

「それは…迷惑な鏡だな」ナイトは呆れたような声で呟いた。

「誰かが、あんたの占いの結果を知ることができるってことは分かってもらえた?」と、ティナは話を急ぐ。「そろそろあたしの結界も限界だから、もう切るわね」

「ご速報、ありがとう」とナイトが言うと、受話器は電話機に戻り、電話機は机の定位置に戻った。


夕方早く、木の枝に紛れて庭木の手入れをしていたラーシェは、年老いた刑事が屋敷から出てきたのを見て、何か違和感を覚えた。

そこで、魔力を宿した木の葉を一枚、帰って行くその刑事の背中に飛ばし、貼り付けておいた。

屋敷を出て、待たせていたタクシーに乗り込むと、オークランドは携帯電話を取り出して話し始めた。

「クルー。美女は気づいていない。次の段階だ」

オークランドの声を遠隔的に聴いて、ラーシェは、しばらくこの刑事を監視する必要がありそうだと察した。


その日の夜に、ラーシェは書斎に居たナイトに進言した。

「エリーゼを、安全な場所に逃がして。これからは、戦える者以外はこの屋敷に置いちゃだめだ」

「どう言うことだ?」ナイトは護衛を雇うために住所録を見ながら言った。

「今話しても、信じないだろうから、理由は言えない。でも、もしこの家が戦場になった時、エリーゼを守ってる余裕はあるのか?」

そう問い詰められ、ナイトは前回の騒ぎを思い出した。

「わかった。エリーゼには休暇を出す」と、ナイトは答え、一度住所録を閉じた。


ジャンは家の中を見回りながら、窓の配置やドアや階段の位置などを徹底的に覚えこんでいた。

吸血鬼の家と言うだけあって、各窓にはしっかり遮光カーテンが備え付けられ、見取り図では書斎や寝室にあたる部屋は、北側を向いている。

オークランドから、この家が吸血鬼の家柄であると聞かされて、ジャンは驚くより先にひどく名誉なことのように思った。

情報の漏洩を恐れて、代々一人の刑事にしか知らされない極秘情報を知らされ、この旧家を守ると言う重要な任務につけるのだ。

まだ刑事としては青二才にも同然だが、毎日の訓練は欠かしていない。基本的な体術や、射撃の能力には、同年代の者達より、少し自信がある。

もし吸血鬼を相手にすることになったら、戦えるかと言われたら分からないが、「恐れるのではなく、立ち向かえ」と言い聞かせてくれたオークランドの言葉を思い出しながら、ジャンは自分を鼓舞していた。


エリーゼが田舎に帰る前にラーシェに教えたのは、血の腸詰の美味しい煮込み方と、果物のカットの仕方だった。

「厚着りすぎると飲み込めないから、出来るだけ薄く切ってね」とエリーゼが手本を見せながら言うと、ラーシェはエリーゼの使ったナイフを手に取り、魔力を通した。

その途端、エリーゼの手さばきそっくりにナイフが動き、見る間にリンゴの薄切りが皿の中で小山になった。

「こんなもんかな?」とラーシェが言うと、「人前では普通に切ってね」と、エリーゼは困ったような顔で答えた。