Ash eaterⅢ 3

翌朝、ナイトが寝付いた頃、台所仕事の終わったラーシェは、屋敷がいつの間にか堅固な結界で固められているのに気付いた。

「核シェルター級だ。相当な使い手だな」と、ラーシェは呟いた。

「お嬢ちゃん?」と、ラーシェより少し年上の女の子の声が耳の中で言った。「あなたも魔女なら、雇われてる家の守りくらいしっかりしなさいよ」

「それは仕事内容には含まれてないんでね」ラーシェも、声の方向を探るようにあちこちを見回しながら、心の中で答えた。「あんたは誰?」

「名前はエミリー」と声は答えた。「あなたも、通り名くらい考えておきなさい。魔女が本名名乗るなんて、殺してくれって言ってるようなものよ」

「それはご親切にどーも」ラーシェは言いながら、ついに声の主のいる場所を特定した。「あんたも、変化するなら完璧にしたほうが良いと思うけど? エミリーばあちゃん?」

そう言った時、ラーシェは既に4階の廊下に居たエミリーの背後に「転移」していた。

「失礼な子ね」エミリーはそう言って、何事もない風にゆっくりと後ろを振り返った。「反魔術の心得はあるようね」

「反魔術は魔女の基礎だよ」そう言って、ラーシェは茶に近い金色の瞳を、エミリーに向けた。「イーブルアイが使えるのか。あんた、闇の者との混血だね?」

「少し昔の話になるけど」

エミリーはそう言って、目の奥の赤い光を隠した。

「死にかけたある女が、パンパネラの血を受けて蘇った。女は、自分がパンパネラのしもべになったことも知らずに、夫と子供をもうけた。その子供が私の母」

「ふーん。通りで、人間離れした魔力だと思った」ラーシェはそう言って、話を変えた。「ちょっと前に、人間の刑事が二人来た」

「知ってるわ。片割れが、この家の警護を任されているようね」

と、エミリーは返した。

「一見唯の若造だけど、あの者も闇の血が混じってるわ」

「あたし、その二人が来た日から、年よりのほうの刑事の行動を監視してたんだ」ラーシェは打ち明けた。「察するに、この屋敷が結界で守られることは分かってたらしい」

「でしょうね。私達は、味方に見せかけた暗殺者を送り込まれたようなものよ。ウィンダーグ様には伝える?」

「今のところ、ご当主様は気づいてないみたいだ。刑事のほうも、自分に闇の血が流れてるなんて気づいてない」ラーシェは言った。「ご当主様が、あたし達のほうを信じてくれる保証もない」

「私達で、隙を作らないようにするしかないわね」

エミリーの提案に、ラーシェは頷いた。


それから3週間はあっという間に過ぎた。任期の終わる最終日前、ジャンは何事も無かったことに安心したような、拍子抜けしたような心持ちで居た。

夜も更け、外にはライトアップと月の光が満ちている。

月を見上げるなんて、どのくらいぶりだろう。そう思った途端、ジャンは喉笛に、焼きごてを押されたようなショックを受けた。

頭の中で何かの声が聞こえる。「奴を殺せ。奴を殺せ。奴を殺せ」

瞳孔が光を求めて拡大するのが分かった。抗いようのない命令が頭の中を支配しようとする。だが右手に浮かんだ六芒星の魔法陣から、ジャンの人間としての意思を守る力が送られてくる。

ジャンは支配と理性の間で、苦悶の叫びをあげた。

「始まった!」廊下の影に隠れていたラーシェが、魔力を宿した声で、エミリーとエンダーに伝えた。

ジャンを挟んだ、3階の廊下の右と左の床に雷光が走り、片側に、既に魔力を練った手を構えているエミリーと、もう片側に、ボーガンを構えているエンダーが現れた。

エンダーの放った6つの矢が、狙い過たず、ジャンの周りを囲むように床に突き刺さる。

その瞬間、エミリーが、練った魔力をボーガンの矢に注ぎ込んだ。矢が緑色の光を放ち、その光が苦痛に堪えているジャンを包み込んだ。

支配から逃れたジャンは、床に膝をついて、ぜいぜいと喉を鳴らした。

「監獄の結界…」と、ラーシェが魔法陣を見て言った。

「お嬢ちゃん!」エミリーが激を飛ばした。「何ボーっとしてるの! ウィンダーグ様を呼んできて!」

「もう来ているよ」と、ラーシェの背後に居たナイトが言った。「一体、何の騒ぎだ?」

「残念なお知らせだよ」ラーシェは言う。「ジャンは、ウェアウルフとの混血だ。それも、あの年よりの刑事に支配されてる。エンダーが予防措置をしててくれたから、なんとか理性が持ったけどね」

それを聞いて、ナイトは一瞬暗い表情を浮かべた。だが、「そうか」と言って、結界のエネルギーが届かないギリギリまで、ジャンに近づいた。そして、目線を合わせるように床に片膝をつき、

「ジャン。意識はあるか?」と問いかけた。

ジャンは苦し気に「はい」と答えた。

ナイトは、「エミリー、ラーシェ。支配を解く魔力を、少し分けてもらうぞ」と言ってから、「ジャン。今日からお前は、この家付きの護衛になれ」と言った。

「理性を保つために、少し強力な封じをかけさせてもらう。変化は出来なくなるが、人間としては十分な力を発揮できるだろう」

「ウィンダーグ様…。私は、あなたを手にかけようと…」と、悔し気にジャンは声を絞り出した。

「何事も起こらないうちに、片が付いたのだから、それで良い。今後は、私の力になってくれ」

励ますようにナイトが言うと、「ありがとうございます」と、ジャンは呻くように応えた。


「クルー。飼い犬は憑りつかれた。プラン2に変更だ」と言って電話を切ると、オークランドは胸一杯にため息をつき、「相当な術者を雇っているようだな」と呟いた。

オークランドが、自宅の居間で今後を憂いていると、「おじいさま」と、幼女の声がした。

「おお。ステファニー。こんな遅くにどうした?」オークランドは、人が変わったような明るい声で幼女の呼びかけに答えた。

「世の中には、悪い悪魔が居るって本当?」と、5歳ほどのその幼女は、ソファに座った祖父を見上げて訊ねた。

「そうだよ。ステフ。お前も、大人になる時に出遭うかもしれない」わざと怖がらせるような声音で、オークランドは言った。

「だが、ステフが大人になる頃には、もっと平和になっているさ。おじいちゃんが、悪い奴等を徹底的にやっつけてやるからな」

「おじいさまは未来が見えるんでしょ?」と、幼女は目をキラキラさせて言う。

「そうだよ。大人になったステフも、ちゃーんと見えている。金色のサラサラの髪も、シアンの目も、今の通りだ。すらっと背が高くなって…」

そう言いかけて、オークランドはあることに気づいた。

「すまないな、ステフ。少し、考え事をしなきゃならない。今日はもう眠りなさい」

「おじいさま、大丈夫?」ステファニーは心配そうに祖父を仰ぎ見た。

「大丈夫。また明日話そう。じゃぁ、お休み」と言って、オークランドは孫娘を部屋から送り出した。

オークランドは、孫娘の姿を見送ってから、居間を出て書斎に向かった。

机の引き出しの中から、布に包んだ分厚く円い、ガラスの塊を取り出した。

そこに鈍く映った影を見て、オークランドは低い声で呼びかけた。「魔鏡よ。この者が、ナイト・ウィンダーグの妻か?」

その声が響いた途端、魔鏡に映っていた影はどろりと溶けた。

「ふん。ガラス細工のくせに、主人が分かると見える」と言って、オークランドはガラスの塊を布に包みなおすと、乱暴に引き出しの中に戻した。