Ash eaterⅢ 6

ナイトはラーシェに、執事に家系図を持ってこさせるように申しつけ、書斎で鼻歌を歌いながら待っていた。

書斎に住んでいるもの達も、主の上機嫌が分かるらしく、無意味に本棚の本をパタパタ言わせたり、電話をぐらぐら言わせたりしている。

家系図を持った執事と、ラーシェが現れると、書斎の怪奇現象は治まり、ナイトはほとんど笑い出しそうな顔をしていた。

「何かあったの? ご当主様?」と、ラーシェが不気味そうに言う。

「私も、予感が的中しそうなときは少し陽気にもなるさ」ナイトは心持口調も軽く言った。「バトラー、家系図を5代前まで」

言われたとおり、陰気な執事は、巻物状の家系図を5代前までめくりあげた。

「カート・ルシル」の名が、危険を表すように真っ赤に光っていた。

「やはりか」と言って、ナイトは口角を吊り上げた。「ここまで騒ぎを大きくしておいて、本人も唯で済むとは思っているまい」

「やっぱり犯人は親戚?」ラーシェは訊ねた。

「犯人と言うより、その一派と言うところかな」ナイトは言って、執事にさらに家系図をめくらせた。

あちらこちらで、真っ赤に光る名前が浮かび上がっていた。

「べネル、リーディー、アポロトス、ザック、ナディーン、デリトン…これはこれは。頭の固い連中を集めたものだ」

ナイトはそう言って、「ラーシェ。お前の言うとおりだな。これから、この屋敷で戦争が起こる。戦えない者を残さなかったのは正解だ」と続けた。

エミリーのしわがれ声がした。「楽しそうな話ね。私も混ぜて下さる?」

何もない空間から、青緑色のローブのフードを被ったエミリーの姿が、煙をたてるように現れた。

「見回りはどうした?」呆れたようにナイトが聞くと、「見回りなら、エンダーだけで十分よ」とエミリーは答えた。

「それでは、エミリー・ミューゼ。我々の戦力として働いていくれるかな?」ナイトは楽し気に聞いた。「もちろん、謝礼は弾むよ」

「じゃぁ、契約期間延長って事ね。私達も、この頃、冴えない仕事ばっかりで飽き飽きしてたの」エミリーは悪戯に参加する子供のような笑顔で答えた。「さて、どこから手を付けましょうか?」


数日後の宵、最近更年期に悩んでいるリック・アポロトスのところに手紙が届いた。差出人の名前は、エレーナ・パフ。リックはゾッとした。

ルシルは、人間の間の問題で済ませると言っていたはずだ。エレーナ・パフは死んだはず。ならば、その死と私の関係を知っている者が、この手紙をよこしたことになる。

リックは、手紙を開けようか、破こうか、燃やそうか、と一瞬迷った。

そのうちに、封印も剥さない封筒の隙間から、リックの手の皮膚の上を、文字が這いまわり始めた。

幻術か?! そう思って、イーブルアイを発動させようとしたリックは、途端に頭痛に激しい頭痛に見舞われた。頭の中に、様々な声が聞こえる。

まだ食欲も旺盛だった青年期に、一口の血を飲むために喉笛を噛みきった、田舎の村の娘の命乞いの声。逃げる子供を捕まえ、子供をかばおうとした母親の目の前で肩を食い破った時の2人の悲鳴。

リックは、契約を交わしてもいない唯の人間を襲い、その血を糧とする事を好んでいた。人間など、唯の血の袋だ。いくらでも増えるし、いくらでも食える。

助けてくれ、と誰もが叫ぶ。その人間達に、リックはこう言い放つのが好きだった。

「お前も、豚や牛を食べるだろう? 豚や牛は神が人間に食べさせるために作った生き物だと言うじゃないか。ならば人間は、神が我々に食べさせるために作った生き物ではないかね?」

そして、十字架を握りしめる無力な者達を、絶望に追いやり食い殺してきた。

もちろん、リックはそれを後悔したことなどなかった。今でも、後悔どころか、武勇伝くらいに思っている。だが、湧き上がってくる、この声の洪水はなんだ?

「助けてくれ、助けてくれ、タスケテクレ!!」。ギンギンと声が頭の中に響き、痛む額に手をあてようとして、リックは手紙を持っていた自分の手に、古代文字のスペルが書かれているのが分かった。

「狂乱の呪い…」と呟いた自分の声さも聞こえないほど、命乞いの声は大きくなった。頭が割れんばかりに痛み、皮膚を這いずりまわる文字が、手の甲を破って、血管に侵入したのを見た。

それが魔術なのか、幻覚なのかも、リックは判断がつかなかった。全身の血管を、焼くような痛みが走り抜ける。

「助けてくれ!」と叫んだ声が、誰ものものだったのかも、リックは分からなくなっていた。

手紙を届けた使用人が、再びリックを発見したとき、そこには正気を失った老人が、机に突っ伏して何かをごにょごにょと呟いていた。


その同時刻、メルリア・べネルの家に、電話がかかってきた。使用人に公衆電話からの番号だと言われたが、妙な胸騒ぎがして電話に出た。

「はい。メルリア・べネルですが?」と言うと、「おひさしぶりですっ。ミセス・べネルっ? エレーナですっ」と言う、聞き覚えのある声がした。

「エレーナ? あの、エレーナ・パフ?」メルリアは総毛だって繰り返した。「あなた、死んだんじゃ…」

「何言ってるんですかっ。私は元気ですよっ? それより、ミセス・べネルにお知らせがあるんですっ」と、陽気にエレーナの声は言った。「貴女、この後、壊れちゃうんですよっ。じゃぁねっ」

そう言われた途端、メルリアは脚先から青白い業火が全身を包むのが分かった。

悲鳴を上げ、通話の切れた電話を離すと、業火は皮膚を侵食し、肉を焦がして髪を燃え上がらせ、神経の一本も残さずメルリアを焼き尽くした。

悲鳴を聞きつけて戻って来た使用人は、卒倒する直前のメルリアを抱え上げたが、何故メルリアが暴れ狂っているのか、全く分からなかった。

やがてメルリアは気を失い、使用人の腕の中でぐったりと脱力した。


公衆電話の中から声を呼び戻し、エミリーは「気が付く度に、呪いが再燃するようにしておいたわ」と言った。

「完璧な声帯模写だ。面白いものを聞かせてもらった」ナイトはパンパンと手を叩いた。「さて、宣戦布告はできたわけだが…私が死んだら、エレーナに謝らなくてはな」

そう言って、にやっと笑い合うナイトとエミリーを見て、「これがダークタレントと言うものか」と、ラーシェは心の中で納得していた。