ポスクスは、異常な空腹を癒そうと、小間使い用の休憩室で、メイドのエリーゼの持ってくるあらゆる料理を、その小柄な体の中に納まる分だけ平らげていた。
「もう4食目よ?」とエリーゼはポルクスを心配して言った。
「ナイト様が、旅に出るんだって」と、ポルクスは言った。「旅の間のエネルギーが必要だから、めいいっぱい食べて来いって言われたんだ」
「ナイト様が旅に?!」エリーゼは驚いて言ってから、声が大きすぎたと、あわてて口をふさいだ。それから、声を潜めて「あのお体で…どこへ行こうって言うの?」と囁いた。
「そこまでは教えてもらえなかったよ」ポルクスは言って、マッシュポテトをものすごい勢いで食べ始めた。
そこに、カルサスが現れた。「少年少女よ。お邪魔かな?」
「カルサス様。このような場所に来られてはなりません」エリーゼが、出入り口でカルサスを止めた。
「長く、故郷の料理のにおいをかいでいないものでね」と言って、カルサスは休憩室に充満した料理のにおいを吸い込んだ。「素晴らしく、生臭い。なんと言う香しい悪臭だ」
「ここは、下々の者が出入りする場所です」エリーゼは少し厳しく言った。「すぐにお部屋へお戻り下さい」
「だが、素晴らしいごちそうのにおいもする」とカルサスに手を取って言われて、エリーゼはゾッと身を震わせた。
「私は、今晩からちょっと遠出をしなきゃならん。その前に…」とカルサスがエリーゼの手に口を近づけようとした途端、空中に炎の文字が現れた。
「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた炎が、一塊になってカルサスの腹を直撃し、廊下の反対側まで吹き飛ばした。
エリーゼはすぐさま休憩室のドアを閉め、鍵をかけた。
「嫌われてしまったらしい」廊下の壁にめり込んだカルサスは、何事も無かったかのように起き上がり、少し焦げたシャツをサラッと撫でて元に戻すと、燕尾服のジャケットの襟を直した。
宣言通り、カルサスは日没とともにトランチェッター地方へ旅立った。
書斎でポルクスからひと騒動の話を「改めて」聞いたナイトは、「私が出かけている間は、誰かに留守番を頼まなきゃならないな」と、ポルクスの手からエネルギーをもらいながら言った。
「理由を聞かなくても動いてくれて、大叔父に対抗できる信用できる者…」ナイトが呟くと、本棚から住所録が飛び出てきて、ぱらぱらとページがめくられて行った。
そして、あるページを開いて、ぴたりと止まった。
「こいつになるか…」また悩みの種が増えたと言わんばかりに、ナイトは髪をかいた。「家を壊さないでもらいたものだがな」
「どなたですか?」ポルクスは不思議そうに訪ねた。
「私の寄宿学校時代の同期だ。ポール・ロドスキー」
と言って、ナイトはおかしそうに苦笑した。
「もの好きでな。薔薇の花の生気しか吸わないんだ。さる教会の司教になったんだが、吸血鬼であることがばれてクビになった。それどころか、火刑に処されそうになったところを私が助けたくらいだ」
「吸血鬼なのに…司教にですか」と、ポルクスは感心したように呟いた。
「魔力もそれなりに強い。今の私よりは術も使える。性格は穏便だ。司教になるくらいだからな。唯、何かと戦うときは、少し加減を知らない」
ナイトは言って、ポルクスの手が寒さで震え始めたのを察した。
「すまない。すこしもらいすぎたな。私はもう大丈夫だ。風呂に入って早く眠れ」
「はい。では、失礼いたします」と一礼して、ポルクスは部屋を去った。
「さて、電話はまだ通じるかな」ナイトが言うと、机の上でほこりを被っていた受話器が、コードをうねらせながら、ナイトの耳元に飛んできた。勝手に番号が回り、呼び出し音が鳴った。
電話はすぐに通じた。
女性の声が、「はい。ロドスキー事務所です」と言う。
「もしもし? 学友のナイト・ウィンダーグが、火急の要件があるとポール・ロドスキー氏に伝えてくれ」
「少々お待ち下さい」女性はすぐに探し人に電話を替わったようだ。「もしもし? ナイトか? 久しぶりだな」と、快活そうな男性の声が返ってきた。
「友人よ、事務所を立ち上げたのか?」ナイトはまず質問から入った。
「ああ。エクソシズムの会社を運営している」と、以前火刑に処されそうになった吸血鬼は言った。「それより、火急の要件ってのはなんだい?」
「理由はあまり語れないが、当家に滞在している大叔父の食欲から、うちの使用人達を守ってほしい。明日1晩の間だけで良い」
ナイトが言うと、会社のシステムが整っている友人は、すぐさまそれをメモしたようで、「使用人の数と種族は?」と聞いてきた。
「人間が2人だ。メイドと小間使い。バトラーもいるが、こいつはゾンビだから数に入れなくて良い」
サクサクとナイトは説明した。
「大叔父は頑丈だから、それなりに強い魔術を使っても大丈夫だ。だが、家のほうは余り壊さないでくれ。去年、内装をリフォームしたばかりなんだ。バトラーが直せる程度の損傷は問題ない」
「俺の手が必要ってことは、お前は留守にするのか?」と、ポールは聞いてきた。
「旅に出なくちゃならないんだ。これも、理由は言えない。会社の仕事として引き受けてくれるなら、謝礼は払う」
「なんだ。謝礼なんていらないよ。これで、ようやく恩返しできる」笑いながらポールは言った。「たった一晩の警護で、命の恩人が助けられるなら安いもんだ」
「急にすまないな。今度、一部屋埋まるくらい薔薇の花を送る」と、ナイトは詫びた。
「それはありがたい。お前も、減量しすぎるなよ?」話の分かる友人はからかうように言った。
「気をつけるよ。それじゃぁ、頼んだぞ」
「ああ。任せてくれ。じゃぁな」
会話が終わると、受話器はまた独りでに元の場所に戻った。