Ash eaterⅣ 序章

彼女を、「女性」として見るようになったのはいつからだろう。

いつかは屋敷を去ってしまう、唯の奉公人だと思って見ていた自分の視線が、彼女の姿を追い、仕草を愛で、少しでも長く自分の側に置けたら、そんな風に思い始めたのは。

最初のきっかけは、先代のメイドのメアリーがくれた。メアリーが選びあてたのは、偶然だったのか運命だったのかとまで考えた。

次のきっかけは、皮肉にも、小間使いのポルクスの事件の時だ。

彼女は、ひ弱な人間だ。私が守らなければ。そんな風に思った。

占い師のエレーナに言われた「ヒント」の中で、思い浮かんだのも彼女だった。

数年、彼女と会えなかった日は、「今日の彼女は何をしていただろう」と思いながら、平和な田舎町を思い浮かべて心を安らげていた。

成長した彼女を久しぶりに観た時は、こんなに美しい女性がすぐ近くに居たなんて、と驚いたものだ。

最初は、お茶の時間、食事の時間、折々に彼女の名を呼ぶだけで、満足できた。だが、いつしか「絶対に手放したくない」と言う、独占欲のようなものが芽生えた。

だが、なんと言おうか、その思いをうまく言葉にすることが出来ない。

もし、彼女が自分以外の異性に恋をして、お嫁に行くので屋敷を去りたいなどと言い出したら…と思うと、気が狂いそうだった。

見ただけだが、彼女の左の薬指のサイズは知っていた。ダイヤモンドとプラチナで出来た一級品の婚約指輪を、密かに用意して、機会をうかがっていた。

けれど、言い出せない。

気の利いたプロポーズの言葉? 人間の女性に向かって? なんと言おうか1ヶ月考えたが、考えれば考えるほど、頭が湧きたつような微熱が出てくるようになった。

その日は突然やってきた。

自分の思いは、とっくのとうに他人にはバレていたのだ。

タイムリミットを突き付けられ、早急に頭の中をまとめ、なんと言うかを決定した。

きょとんとしている彼女に、指輪を見せて、「結婚してくれ。お前は…いや、お前も、子供も、必ず私が守る」と、神より何より本人に向けて誓いを立てた。

自分の名前は、よくつづりを間違えられる。それもそうだ。「夜」なんて言う意味の名前があるはずがないと思われるのも仕方ない。

その時は、まさに風車に向かって馬を走らせようとしたドン・キホーテが、自分を騎士だと錯覚していたように、自分の名前を改名しても良いくらいの気持ちで、誓いを立てた。

彼女の返事がなんだったかを思い出そうとして、考えが詰まってしまう。いつもそこだけ記憶が抜けている。

だが、彼女は今自分の隣に居る。当たり前のように。一瞬のように。

死が分かつまで? 冗談じゃない。死んでからも、彼女は永遠に私の妻だ。この時間が、私の生涯の中で一瞬になろうとも、絶対に失いはしない。

一緒に日向ぼっこをすることは出来ないが、一緒に夜の月を見上げて、ワインを酌み交わすことは出来る。

この時間を、この一瞬を、惜しむことのない日々にするために、私はどんな努力だってする。

毎晩、月を見上げるたびにそう思いながら、彼女の返事の言葉がなんだったのかを思い出そうと、ナイトは今日も考え込むのだった