Ash EaterⅣ 5

夕方もだいぶ過ぎた頃。護衛のジャンを連れて、エリーゼはウィンダーグ家へ戻ってきた。

魔力を持った扉が、当主の妻であることを見止めて勝手に開いた。

「お帰りなさいませ。奥様」と、陰気な執事が出迎える。

「ナイト様…じゃなくて、ナイトは何処に?」とエリーゼは執事に訊ねる。

「ご当主様は、書斎にいらっしゃいます」と執事は答えた。

執事に外套を渡し、エリーゼはシエラから預かった薬瓶を持って、書斎に向かった。


ジャンが使用人用の休憩室に行くと、新しいメイドが、サラダとパンとスープの、簡単な夕飯を用意していてくれた。

「ありがとう、メリー。残り物とは思えないな」ジャンが血の腸詰とハムとパスタの入ったサラダをほめると、メイドのメリーは「ちゃんと私達の分の食費も、お給料から出てるのよ?」と答えた。

「それは知らなかった」ジャンは冗談交じりに答え、ブロック状に切られたハムをフォークで刺して口に運んだ。

「お腹減ったー」と言って、新しい小間使いの少年が帽子を脱ぎながら休憩室に入ってきた。

「アレックス。こっちじゃないって言ってるじゃない」と、メリーが深い茶色の目をぱちくりさせて注意する。「あなたは小間使い用の休憩室があるでしょ?」

「僕もみんなと一緒にご飯食べたいよ」と、幼いアレックスは甘える。まだ8歳の少年には、独りぼっちの食事は寂しいのだろう。

「仕方ないわねー」と言って、メリーは開いている自分の席を指さし、「じゃぁ、ここ座ってて。すぐにあなたの分も用意するから」と小声で言った。

「やったー」と得意顔でメリーの席に座ると、アレックスは「ジャン。今日の特訓は何?」と聞いてきた。

ジャンは、この会話も全部、ナイト様には筒抜けなんだろうなぁと思いながら、アレックスに「今日はボクシングを教えてやろう」と提案した。


エリーゼから薬瓶を受け取ったナイトは、さっそく一粒を口に含み、冷めかけたお茶で飲み込んだ。

そして、一息ついたと言う風にため息をつき、「書類を書くのも、大した仕事だ」と呟いて伸びをした。

「今度は何の書類ですか?」と、エリーゼは聞きながら、ナイトの手元を覗き込んだ。

「乳母の募集?」書かれている文字を読んでエリーゼは不思議そうに呟いた。

「そうだ。君のお腹には、既に子供が居る」とナイトに言われ、エリーゼは驚いた。

胎児の着床を、本人より先に気づくなんて。

エリーゼが両手で口元を押さえて驚いていると、

「双子だ。男の子と女の子。名前ももう決めてある」と、ナイトはご満悦で言った。

エリーゼは、それを聞いて嬉し涙をぽろぽろこぼした。

エリーゼは椅子に座ったままのナイトを抱きしめ、「子供の名前は?」と聞いた。

ナイトも、エリーゼを抱き寄せ、自分の膝に座らせると、

「男の子が『ルディ』で、女の子が『レナ』。男の子は私の遺伝が強いらしい。女の子のほうは、君に似ている」と告げた。

「どんな魔術を使ったら、そこまで分かるの?」と、泣き笑いを浮かべながら、エリーゼが聞いた。

「それは秘密だ」と言って、笑みを浮かべた口元に人差し指をあてると、ナイトはエリーゼの頬にキスをした。

机の引き出しの中で、エレーナの遺品である「魔鏡」が、双子の子供を映し出していた。


それからはおおわらわだ。何週間かした頃、エリーゼのつわりが始まった。

エリーゼは、食べた物を吐いてしまうだけではなく、極度の眠気や、貧血から来る目眩に悩まされるようになった。

ナイトは、洗面台で苦しんでいるエリーゼの背中を叩いてやり、辛うじてエリーゼが食べられる、プリンやゼリー等を、大量にメリーに作らせた。

人間の病院に通うわけにはいかない。何せ、お腹に入っている子供はパンパネラとの混血なのだ。人間と同じ成長をするはずがない。

双子の入っているエリーゼのお腹は、次第に大きくなっていき、妊婦用の服が必要になり、足がむくんで普通の靴が履けなくなり、お腹が出っ張ってきて、靴下も満足にはけない。

メリーがこまごまと世話をしてくれたが、まだ子供を持ったことのない18の娘には、ナイトや使用人の食事を作りながらの妊婦の世話は大変そうだ。

「乳母の前に、メイドを増やすべきだったか」ナイトは誤算を悔いたが、関わる人間が多くなるほど、屋敷の秘密は守りにくくなる。

つわりが終わった後、少しずつ体重が増えたエリーゼは、甘いものが大好きになっていた。

特にフルーツの使われている物が好きで、ある夜、台所に誰かいる気配を察したナイトが様子を見に行くと、勘づいた通り、エリーゼが大瓶入りのジャムをスプーンですくって食べていた。

「エリーゼ。少し食べすぎじゃないか?」と、ナイトは言ったが、エリーゼは「産婦人科の本を読んだら、双子の割には体重が少なすぎるって…」と言って、しょぼんと下を向いてしまった。

「普通の子供が入ってるわけじゃないんだ。人間より、少し軽いくらいでも十分生きられるよ」

ナイトは励ましたつもりだったが、「私、普通に産みたいんです」と言って、エリーゼは泣き出してしまった。「もし、未熟児だったりしたら…生きられない子供だったらどうしようと思って…」

いわゆる、マタニティーブルーと言う物だろうと察しはついたが、安心させようにも、占いの結果を全部告げてしまうわけにはいかない。

ナイトは少し考え、「パンパネラの子供は、そんなにやわじゃない。私を信じてくれ。今まで、嘘をついたことはないだろ?」と言って、ジャム瓶を片手に持ったままのエリーゼを抱き寄せた。