Ash Eater 5

リーザが岩屋の辺り一帯にはった結界の中に「悪意ある者」が入ってきたことに気づき、リッドは木陰に身を潜めた。

ここから気配までの距離は、20kmと言う所だ。リッドは、リーザの編んだコートのフードを被り、小さく合言葉を唱えた。

途端に、リッドの姿は岩の一塊になった。

魔力を持つ合言葉は、リーザの耳に届いた。リーザは岩屋の中のベッドから飛び起き、暖炉の中の炎を見た。

でっぷりとした燕尾服姿の老紳士が、黒い蝙蝠のような翼を広げて、山の中腹を滑空するように飛んでいるのが炎に映っている。

リッドは、夜の間、古い木々を求めて森の中を散策している。今下手に動けば、間違いなく見つかるだろう。

気配を発さない種族だが、闇を見透かす目を持つものになら、あの赤毛は間違いなくはっきり見えるはずだ。

リーザは、紫色の粉を暖炉の炎に振りかけた。視界が変わり、リッドが変化している岩が見えた。

「リッド。察しの通りよ。白髪と白いひげの燕尾服の男が、この辺りを飛んでるわ」と、リーザは返事を返さない岩に囁きかけた。

「あなたが時を食べた木を調べてるみたい。そのまま動かないで居て」

そう言ってから、リーザは岩屋の壁にかけてあった、天と地を描いたタペストリーを床に置き、タペストリーの四隅に、魔力の宿った水晶と呪文を刻んだ護符を置いた。

タペストリーの真ん中に座り込み、リーザは小さな声で結界を作るスペルを唱えた。

時間軸の歪みを辿っているなら、リーザの存在に気づかないわけがない。五百年以上前、リッドに出逢ってからずっと覚悟し、用心してきたことだ。

タペストリーの中にドーム型の結界が発生し、時間軸の歪んだリーザの存在を隠した。

吸血鬼なら、朝になる前に引き上げるだろう。だが、岩屋の外はまだ真っ暗だ。

紫の粉が燃え尽きた暖炉には、また侵入者の姿が映し出されていた。地面に着地し、リッドが「時」を食べた木を入念に観察している。

リーザは、月明かりが淡くなるまで、侵入者を監視しながら、結界の中で静かに待っていた。


カルサスは、何処かから観られている視線を感じていたが、そこが何処かまでは突き止められなかった。

一ヶ所にばかりじっとしているわけにもいかないので、時間軸のずれた若木を調べてから、また空へ飛び立った。

カルサスの気配が遠ざかるのを確認してから、リッドは術を解き、フードを被ったままいつも通っているルートを迂回して岩屋に辿り着いた。

東の空が白み始めたのが分かり、リッドは岩屋の中に飛び込んだ。

「リーザ。無事か?」リッドは小さな声で聞いた。

タペストリーが床に置かれているのを見つけ、リッドはそこに、姿は見えないがリーザが居ることが分かった。

「リーザ。俺は、ここが知られる前に離れる」と、リッドは結界の発生しているタペストリーの上に話しかけた。「西へ行く。しばらくお別れだ」

何も見えない空間から少女の2本の手が伸びてきて、リッドの顔に触れた。リッドは、結界に触れないように気をつけながら、その手を握った。

「私がまた90歳になる前に、帰ってきて」とリーザの声がした。

「熟女になった頃にまた来るさ」軽口を叩いて、リッドは羽を広げた。「じゃぁ、またな」

そう言って岩屋を飛び立ったリッドを、リーザは追わなかった。


朝焼けの出るギリギリの時間に、カルサスはウィンダーグ家の屋敷の前に戻った。

「やれやれ。骨折り損だ」とカルサスは言って、玄関のベルを鳴らした。

「どちら様でしょう?」と、執事の声がした。

「カルサスだ」分かっているだろう、と言いたげにナイトの大叔父は名乗った。

執事がドアの鍵を開けると、カルサスは朝日から隠れるように屋敷の中へ入ってきた。

「ナイトはどうしている?」と、カルサスは執事に聞いた。

「ご当主様は、お休み中でございます」と執事は答えた。

「早寝だな。食事を摂らない分、睡眠は重要か」カルサスは言って、ポケットの中から小さく折った木の枝を取り出した。

「ナイトが起きたら渡しておいてくれ。時間軸の歪んだ木だ。私も少し休む」

と言って、滞在中にあてがわれた部屋へ向かって、カルサスは歩いて行った。


「これが、問題の木か」夕方前に起きて、正装姿で書斎に行ったナイトは、やうやうしく銀の盆に乗せられた小枝を観た。

手をかざしてみて、何も気配がない事を確認したらしい。「このくらいの若木なら、生命力くらい感じるものだがな…」

そして気づいたように言った。「ポールが来たな。応接室に通せ」


旅行鞄を片手に、応接室に現れたナイトに、ポールは椅子から立ち上がって握手を求めた。

「久しぶりだな。友人。また痩せたんじゃないか?」と、ナイトを見ると誰もが言う台詞を、ポールも口にした。

「そちらも、相変わらずの偏食のようだな」ナイトも言い返した。「全身から薔薇の香りがするぞ」

「忙しくてもシャワーは浴びているがね。さて、問題だが」ポールはさっそく仕事の話を始めようとした。「警護のレベルはどのくらいで? 留守番程度から、徹底的にターゲットを攻撃するものまで」

「場合によるな」とナイトは考え込むように言った。

「大叔父が、自慢話や武勇伝を語ってるなら、その相手をしてくれれば良い。しかし、頼んである2名によからぬことをしようとしたら、徹底的に排除してくれ。殺さない程度に」

「言葉で制止する必要は?」と、ポールは確認した。

「その程度の聞き耳は…恐らくあるはずだが、2人の隙をついて噛もうとしたら、火炎くらいぶつけてもかまわない」

「そうか。持久戦だな」と言って、ポールは自分の荷物から金のペンダントを取り出し、執事の構えている銀の盆に乗せた。

自分のところに持ってこられたペンダントを見て、ナイトは「これは?」と聞いた。

「パンパネラ用のアミュレットだ。弱い日射しなら、そいつが守ってくれる」ポールは言った。「私も愛用しているくらいでね。夕日や朝焼けくらいなら防げるよ。今日の移動で実験済みだ」

そう言って、友人はネクタイの下に隠した金鎖を少し引っ張り出して見せた。

「相変わらず命知らずな勇者だな」ナイトは呆れたと言わんばかりに苦笑いをしたが、「ありがたく使わせてもらうよ」と言ってペンダントを受け取った。