Ash Eater 6

夜行列車に揺られ、外套姿で片手に旅行鞄を持ったナイトは、山沿いの田舎町の無人駅まで来た。幸いなことに、外は真っ暗だ。

「新月か。ウェアウルフが発狂しそうな良い天気だな」とナイトは言って、切符をポストに入れた。

「ここからは徒歩か…」目的地の山脈をはるか遠くに眺めながら独り言ちた。「しかたない。飛ぶか」

駅は人里離れた場所にある。同じ駅で降りたものも居ない。人に見られることはないだろう。

スーツと外套の切れ込みから羽を広げると、背中の変な所から関節の鳴る音がした。

「だいぶ凝ってるな…さて、どれほど飛べたものか…」

そう言って、目隠しの黒い靄で全身を包んだナイトは、瞬く間に空高く飛び立った。

なんのあても無かった大叔父の時とは違って、預かった木の枝がある。ナイトにはなんの気配も感じないが、同じ木があれば波長が合うはずだ。

山脈の中腹にはすぐに着いた。これから、数十kmにわたる大迷路を探索しなければならない。

「仕事は速やかに」と言って、ナイトは木々の間を、人間の数倍の速さで飛び回った。だが、ピンとくる気配もなく数時間が過ぎた。

「この枝は本当にあてに成るのか?」疑問を呟いた途端、何かの視線を感じた。

どうやら、千里眼の叔母が見つけたあたりに入ったらしい。ナイトは羽を閉じ、地面に着地して、見ている者に呼びかけた。

「お休みの所を申し訳ない。私の名は、ナイト・ウィンダーグ。私の伯父、リッド・エンペストリーに野暮用があって来た」

すると、視線の方向が変わった。まるで導いているように、木々の間を抜けて強い波動を感じる。

その波動を追っていくと、不思議な少女がランプを片手に森の中に佇んでいた。

紫色のベールを被りローブを着た、真っ白な髪と水色の目の少女。見たところ、12歳くらいだ。千里眼の叔母の見つけた少女だろう。

人間らしい気配はないが、唯立ち尽くしているだけでも、膨大な魔力が少女の体から漂っている。

「なるほど。こんなお嬢さんに守られてたなら、大叔父様が見つけられないはずだ」ナイトは言って、胸に手を当てて会釈をした。「麗しいお嬢さん。はじめまして」

「リッドの甥ですって?」少女は言った。「あの人はもうこの森には居ないわよ」

「一足遅かったか」ナイトはさほど期待もしていなかったと言う風に言った。「ですが、伯父への土産を少々持って来たので、受け取ってはもらえまいか」

少女は訝し気な顔をした。土産を持ってくる吸血鬼なんて、想像もしていなかったのだろう。

ナイトが旅行鞄から古ぼけた箱型のオルゴールを取り出すと、少女は片手を上げた。ナイトは、ゆっくりと少女に近づき、その片手にオルゴールを乗せた。

「ずいぶん古い物ね。確かに、リッドが喜びそうだわ」と、少女は言った。

「あと3箱くらいあるんだが」と、ナイトが言うと、少女は「ついてきなさい」と言って、岩屋に案内した。


「もう分かってるでしょうけど、あの人は、古い細工の時間を食べるのが好きなのよ」

お茶を淹れながら少女は言った。

「木の歯車を使ってある年代の物が一番うまいなんて言ってたわ」

「どうやら、その期待には沿えそうだ」と言って、ナイトはテーブルの上に三箱のオルゴールを置いた。「先代の趣味で、こういう古い細工物がうちには多いんです。私にも、思い出のあるものだ」

「結界がどうしてあなたを阻害しなかったかが分かるわ」と言って、少女は陶器のカップに淹れたお茶を、ナイトの前に差し出した。「あなたは、『悪意ある者』じゃない。ちゃんと礼を尽くす紳士ね」

「それはどうも」ナイトはかしこまって言った。「リッドも、礼を尽くす紳士でしたか?」

「あの人とは五百年以上の付き合いなの。もっとも、私が年老いるまでめったに来ないから、実際一緒に居た時間は、ほんのわずかだけど」

と前置きをして、少女は「リッドも、パンパネラの割には気の利いたことを言うわ。あの人は、いつ来ても、あの生意気そうな子供の姿のまま。おべっかを使う方法は段々こなれてきたみたいだけど」と続けた。

「そして、あなたは年老いる度に、リッドに時間を分けていたのですね?」ナイトは問いただした。

「そう。リッドにとっては、私はちょっとしたおやつみたいなものよ。彼の空腹を満足させられるのは、歳月を経た記憶を持つアンティークだけ」と言って、少女は岩屋の奥の糸車と機織り機を見た。

ナイトもその視線を辿ると、少女は「あの糸車なんかも、リッドのお気に入りよ。ここに来るたびに、時間を食べて行く。おかげで仕事には困らないわ」と説明した。

「魔力のある布を作ってらっしゃる。なるほど」と言って、ナイトはお茶を一口飲んだ。ジャスミンの香りがする。

「リッドは、西に行くって言ってたわ」少女は言い、「でも、どうか追わないであげて。自分の力の恐ろしさは、リッド本人が一番よく知ってるわ」と訴えた。

「無用な詮索はしませんよ」少女を落ち着かせるようにナイトは穏やかに言った。「私も、自分の食事に云々言われるのは好きじゃない」

「でしょうね。あなたからは血のにおいがしない」と、少女は少し笑って言った。「絶食趣味の身内が居るって言ってたけど、もしかして、あなたのこと?」

「伯父は随分口が軽いようだ」ナイトは否定しなかった。「よっぽどあなたのことを信頼されているのですね」

「そうだと良いけど」と言って、少女はふと気づいた。「そろそろ帰らないと、街に戻る前に朝が来るわよ」

「もうそんな時間か」ナイトは飲みかけを残したカップをソーサーにおいて腕時計を見た。「確かに、飛んで帰ってギリギリの時間だな」

「気をつけて。この地方の人達は、街の人より目が良いから」少女は警告した。

「ご心配なく。闇を纏わなくても飛ぶ方法があるのでね」と言って、ナイトは席を立って慌ただしく鞄を閉じると、「それでは失礼」と一礼して、岩屋を後にした。

黒い羽を広げて、闇の中を飛んで行くナイトを見送り、「本当に紳士ね」と少女は呟いた。「最後まで魔女の名前を聞かなかったわ」