エレーナの死、ポルクスの死、ラーシェの登場、この数ヶ月間で、目まぐるしい日常が過ぎて行って、エリーゼは息をつく暇も無かった。
だが、ある日ついに言い渡された。
「エリーゼ。休暇は欲しくないか? 弟達にも、会いたいだろう?」
書斎にお茶を持って行ったエリーゼは、そう聞かれて戸惑った。
恐らく、エリーゼの身の危険を察してくれているのだと言う事は分かった。
「2~3年ゆっくりして来い。その間も給与は出すよ」ナイトは穏やかに言った。「田舎で羽を伸ばして来ればいい」
「分かりました」と、エリーゼは涙ぐみながら、微笑んで答えた。「お食事は、ちゃんと摂って下さいね。ラーシェに、しっかり言っておきますから」
「本当にお前は泣き虫だな」ナイトはからかうように言った。「名前通りだな。ミス・ティアーズ?」
「心配してるんですよ!」エリーゼは泣き笑いのまま、語気だけ強くした。「また半年も何も食べなかったら、ダメですからね?」
「これは、お手の厳しい事で」ナイトはそう言って、ミルクを入れていないアールグレイティーを一口飲んだ。「うん。美味い」
その言葉を聞いて、エリーゼは安心したようにため息をついた。
昼間に外に出るのは何ヶ月ぶりだろう。エリーゼは身の周りのものを詰めた鞄を持って、列車に乗っていた。
密に建物の並んでいた街の風景が、次第にまばらになって行く。
別れ際にラーシェがくれた、水晶をあしらったイヤリングが、エリーゼの両耳で揺れている。
弟達に会うのは、約4年ぶり。エリーゼが家を出た当時、エリーゼの次に年上だったダンは、14歳になっているはずだ。
次の弟のミハエルが12歳、一番末っ子のカイは7歳になっている。
まるで何十年ぶりに会うみたいだ。私、あの子達の顔が分かるかしら?と、エリーゼは少し気が重かった。
今日帰ることは、事前に手紙で知らせてある。ダンが代表になって、返事をよこしてくれた。どうやら、駅まで迎えに来てくれるらしい。
目当ての駅で列車を降り、切符のチェックを済ませると、きょろきょろと辺りを見回している、少しだけ大人びたダンと、目が合った。
「姉さん! お帰り!」と、ダンは笑顔でエリーゼを迎えた。
バスに乗り継ぎ、故郷の町に到着すると、後見人である叔母と叔父が、見慣れない真新しい家の前で待っていた。
しかし、そこは確かに4年前、働きに出かける時出た家のあった場所だ。
「叔母様。叔父様。この家…」
「建て直したのよ」と叔母が言った。
「お金、大丈夫だったんですか?」と、エリーゼは聞いてしまった。
「エリーゼ。君は今までいくら稼いだと思ってるんだい?」叔父が答えた。「1ヶ月に20万ドル。それを3年以上だ。一財産にもなるよ」
「デザインは、みんなで決めたんだけど」とダンが言った。「この家は、ちゃんと姉さんが建てた家だから」
「名義もあなたのものよ」と、叔母が付け加えた。「さぁ、そんな話より、早く入って。ごちそうを用意してあるの」
3年間の休暇は、ひどく退屈なような、気楽なような、おかしな日々だった。日向で本を読みながら、うたた寝をするなんて何年ぶりだろう。
そんなある日、夜の寝室で寝付いたエリーゼは不思議な夢を観た。
闇の中に、最後に会った時より、背の伸びたラーシェが浮かび上がり、「全部は終わったよ。帰っておいで」と言って、暗闇の中に消えてしまうのだ。
「待って、ラーシェ。何処に行くの?」そう問いかけて追おうとしても、足が動かない。
夜の闇の中で目を覚ますと、サイドテーブルに置いていた水晶のイヤリングが、何の光も受けていないのに淡く輝いていた。
「私…帰らなきゃ…」
暗闇の中で、エリーゼは呟いた。
弟達と後見人達に、また別れを告げて、エリーゼはバスと列車を乗り継いで、ディーノドリン市に戻った。
馬車を止め、「パルムロン街。ウィンダーグ家前まで」と告げると、御者はエリーゼを馬車に乗せ、軽快に馬を走らせた。
ウィンダーグ家に着き、ドアのベルを鳴らすと、聞き覚えのある執事の声が、「どちら様でしょうか」と訊ねてきた。
「エリーゼ・ティアーズです」と答えると、ドアが開かれ、見覚えのある執事がエリーゼを屋敷の中へ招き入れた。
「ナイト様とラーシェは?」と、執事に聞くと、執事は応接室を手で指し示した。
応接室に入ると、そこには、人待ち顔のラーシェとナイトが、ポーカーをしていた。
「ストレート」とラーシェが言った。「フルハウス」とナイトが言った。
「ちょっとー。ほんとにイーブルアイ使ってないんだろうねー?」イライラしたようにラーシェが嘆いた。「あたし、30戦中2勝しかしてないんだけど?」
「勝負ごとで反則はしない」ナイトはしらっとした顔で言い放つ。「お前の勝負運が悪いんだろ」
2人の無事な顔を見て、エリーゼはついに泣き出した。
エリーゼのしゃっくりの音に気づいたナイト達は、号泣しているエリーゼを見て、駆け寄ってきた。
「どうしたの? なんかあった?」ラーシェが言った。
「だって、わたし…」と言ってテーブルに泣き伏してしまったエリーゼに、「落ち着けエリーゼ」と、ナイトが声をかけた。「ラーシェ、水を持って来い」
ラーシェの持って来た水を飲んで、しゃっくりの止まったエリーゼは、ようやく言葉の続きを話した。
「ここに着くまで、不安で仕方なかったんです…。2人の身に何かあったんじゃないかって思って…」
ナイトはだいぶ背の伸びたラーシェを見て、「ちゃんと伝言したのか?」と聞いた。
「短時間しか話せないって言っただろ? あたしだって、魔力ギリギリの状態だったんだから」とラーシェは言い返す。
それを聞いて、エリーゼはまた涙目になった。「やっぱり何かあったんじゃないですかー。私、なんの役にも立てなくて…」
「足引っ張らなかっただけ立派だよ」ラーシェが、彼女なりに励ました。「もし、あんたが屋敷に居ても、かばってる余裕なかったからね」
それを聞いて、無力感と安心感から、エリーゼは大声で泣きだしてしまった。
泣き止んだエリーゼは、着なれたメイド服に着替え、さっそく厨房で料理を始めた。血の腸詰をコトコト煮込みながら、大量のフルーツをカットし、山盛りのフルーツサラダを作り始めた。
「エリーゼ。張り切り過ぎじゃないか?」さっき泣かせてしまったことを後ろめたく思っているのか、ナイトは遠慮がちに注意した。
「そんなにおやつれになるほど、大変なことがあったんですもの。このくらい食べなくちゃ、回復しませんよ?」
と言って、エリーゼはフルーツの山にドレッシング代わりのビネガーをかけると、硝子のボウルいっぱいに出来上がったサラダを、食卓についたナイトの前に差し出した。
「さぁ、お召し上がりくださいませ」
ナイトは、困り果てた顔をしながら、スライスされたキウイを口に運んだ。
まだ日の昇らない早朝、遮光カーテンを閉めようとしたナイトの目に、青白い輪郭を光らせたメアリーの霊が現れた。
「ナイト様。私の選んだ子の名前、教えていただけます?」と、メアリーは聞いてきた。
「エリーゼだ。エリーゼ・ティアーズ。名前の通りの泣き虫だ」ナイトは答えて微笑んだ。
「あら。泣き虫は、ナイト様もでしょ?」と言って、メアリーは空に昇って行くとき、呟いた。「お休みなさいませ、ナイト様」
「お休み、メアリー」と、ナイトも夜空に向かって囁いた。