Cake eater 前編

場所はディーノドリン市のパルムロン街。石造りの堅固な家が多くみられる。一昔前は、有名な観光名所で、表通りや、近くにある市場や繁華街に人が溢れていた。

そんなことはどうでもよく、そのパルムロン街にある、5000年続いた旧家、ウィンダーグ家の現当主は、ナイト・ウィンダーグ。

黒髪にアッシュグリーンの瞳の、30代くらいの風貌は500年ほど前から変わっていない。何せ、彼は吸血鬼なのだ。それも、かなりの偏食の。

千年以上前に亡くなった、彼の両親は、昔ながらの純粋な吸血鬼だった。契約を交わした者達と外で密会し、毎食血をすすっていた。

ナイトは、そんな両親を毛嫌いし、「食事」から帰って来た両親から血のにおいが漂っているだけで胸焼けがすると言う、ひどく人間めいた吸血鬼として育った。

だが、体は吸血鬼なので、ナイトにも捕食用の牙はしっかりついているし、普段はシャツとジャケットの隠しスリットにひそめているが、空を飛ぶために羽も一対背中に備えている。

長い間、食事の代わりに古参の小間使いから活動エネルギーを分けてもらい、ワインやお茶やカットフルーツなどを食べて、餓死を回避してきた。

であるが、そんな彼にも人間の妻ができ、子供ができ、いよいよナイトは「人間らしい暮し」と言うものに興味が出てきた。

日射しはどうしても避けなければならないが、なんであれ、食事が問題なのだ、と言う事はナイトも分かっている。

親類縁者は、やれ血を飲め、やれ従僕を増やせ、とせっついてくるが、ナイトにとっては、婦人の首筋に噛み傷をつけること自体がナンセンスだった。

血の腸詰の他に、水分の多い物なら摂取できると言うことは分かっていたので、まず、ピクルスを食べる練習を始めた。

皿の上にちょこんと置かれたピクルスと30分間睨み合い、かなりの時間をかけて咀嚼した。

もうピクルスの原型は確実に口内で破壊された…と分かっていても、酢を体が拒否して、どうしても飲み込めない。

洗面所に行って吐き出そうか、いや、そんな卑しいことは出来ない、と苦悶していると、妻が駆けつけて彼を洗面所に引っ立て、口の中に指を突っ込んでピクルスを吐き出させてくれた。

「食事を変えるなら、もっと現実的な物から始めて」と妻に言われ、ナイトはピクルスの残り香をうがい薬で洗い流しながら、現実的な「食べ物」を考えてみた。

そう言えば、いつか家族で行こうと思っていたレストランは、オイスターが有名らしい。

ろくろく吐き出せもしないピクルスと格闘するより、来年のクリスマスまでにオイスターを食べれるようになろう、ナイトはそう決心し、翌日から睨み合いの相手を変えた。


とりあえず、血の腸詰と同じように、オイスターを軽くボイルしたものをメイドに用意させ、食べてみた。

風味はそんなに悪くない。成れない味だが、うまみは分かる。

ピクルスと違って、不味いわけではないのだが、どうあっても固形物である「貝の肉」を飲み込めない。

しかし、ここで発想を転換してみた。血の腸詰だって、豚の腸の肉と血を茹でで固めた物じゃないか。固形物が飲み込めないわけじゃないんだ。と。

しっかりとオイスターを「味わうように噛んで」から、豚の腸詰と同じと思って飲んでみた。

茹でられた貝は、つるっと喉を通って、胃袋に下って行った。

一口の食事を終え、ナイトがふぅっとため息をつくと、いつから見ていたのか、妻が笑顔で拍手をしてくれた。


今まで「固形物は飲み込めない」と思っていたのが、どちらかと言うと精神的な理由であると言うことが分かったので、ナイトは茹でた血の腸詰と一緒に、度々オイスターを食べるようになった。

最初は、1個から。慣れて来たら2、3個のボイルオイスターを用意させ、時間はかかるが、なんとか咀嚼し嚥下した。3つのオイスターを食べ切るまで、30分かかってしまった。

口なおしに、豚の血の腸詰を1本食べて、ワインを飲んで口を漱ぐと、一緒に食事をしていた妻が、デザートに珍しいものを食べていた。

ココアの粉末がかかった小さなケーキ。

「エリーゼ。それは?」と、ナイトが聞くと、妻は「チョコレートケーキよ。久しぶりに作ってみたの」と言った。

「ケーキか…。それは食べてみたことが無かったな」ナイトが言うと、妻は心配そうに、「血の腸詰とは全然違うわよ?」と注意してきた。

「何事も挑戦だ」と言って、ナイトは次の敵にチョコレートケーキを選んだ。


初日は、妻が気を利かせて、フルーツがたくさん乗った小さなケーキを作ってくれた。

クリームが少し「濃い」ように感じたが、フルーツは普段食べているだけあって、柔らかいスポンジの部分まで、綺麗に平らげることが出来た。

であるが、その後で異様に喉が渇いてきた。何か液体を飲みたくて仕方ない。食後に、ワインを5ボトル空けた。

酩酊してくると、ようやく喉の乾きも治まった。

「実に味わい深かったよ」とナイトは言ってから、「だが、クリームと言うのはあんなに濃い物なのかい?」と聞いた。

「少し脂が濃かったかしら」と妻は言った。

「甘味はだいぶ抑えたんだけど、生クリーム本来の濃さとしては、あんな物よ? それと、クリームをすぐにすっきりさせたかったら、ワインより紅茶のほうが良いわ」

妻の助言を聞きながら、ナイトはワインでボーッとしている頭の中で、「次回は紅茶の準備を」と計画していた。


いよいよ、チョコレートケーキと戦わなければならない。

妻が手ずから作ってくれるケーキを残したら、男の名が廃る。そんな風に思いながら食事を待ってると、いつものフルーツのサラダ、血の腸詰、それから最後に小さなチョコレートケーキが出てきた。

焼きたてのチョコレートケーキの香りは、少し鉄分の風味がした。

事前に調べたところ、チョコレートと言うのは、カカオと言う植物の実とミルクで出来ているものらしい。

純粋にカカオだけなら、植物だと思って食べることもできるが、ナイトは少々ミルク系のものが苦手だった。

小さなケーキを1口大に切って、食べてみた。

口中の水分が一気に奪われる感じがする。

ティーポットとカップをトレーに乗せて待機していた執事をすぐに呼びつけ、紅茶で口の中の「異物」を呑み込んだ。

「どうだったかしら?」と、妻が不安そうに問う。

「とても美味しいよ。もう少し甘味が少ないと、食べやすいかな」と、ナイトはソフトに意見を述べた。