Cigar flavor 3

エリザは、ルイジを「祖母の書斎」へ連れて行った。

そこには、扉付きの本棚にびっしりと古い伝承の書かれた本達が並んでいた。

テレサ・ラースは、科学者でもあったらしい。部屋には、良く手入れのされた古い試験管やフラスコなどの実験器具が並んでいた。

「祖母は、免疫学に興味があったんですって」とエリザが言った。

ルイジは、考え深げにテレサの書斎を見回り、「あの…変なことを聞くと思うんですけど、私、テレサ・ラースさんの本を読んだ時、ラースさんはまだ生きてるんじゃないかって思ったんです」

エリザは、悲しげに言った。「残念だけど、祖母は亡くなった。本に書いてあったでしょ?あの年に」

昔を懐かしむようにエリザは答える。

「でも、祖母の研究は生きてる。あなたみたいに、時間を超えても祖母の研究を愛してくれる人もいる」

「あの…もっと変なこと言うと、私…テレサ・ラースさんの研究してた、『魔物』の血を継いでるんです。すごく弱い遺伝みたいだけど」と、ルイジは告白した。

エリザは琥珀の目を見張り、ルイジを見た。そして困ったように微笑み、「もし、祖母の生きてる頃に会えてたら、祖母はとても喜んだでしょうね」と言った。

「私、いつかテレサ・ラースさんみたいに、誰かの迷いを打ち消せるような人になりたいんです」と、ルイジは続ける。「私みたいな、闇の血を継ぐ者が、生涯をかけて存在する意味を確かめられるように」

エリザの目に、涙が浮かんだ。エリザは涙をぬぐい、微笑むと、「ええ、あなたなら、きっとそうなれるわ」と言って、力強くルイジを抱きしめた。

抱きしめられたときにルイジは分かった。この人も、闇の血を継いでいるんだ、と。だが、何も言わなかった。言葉にしてしまったら、人魚姫のようにエリザは消えてしまうような気がした。

別れ際に、エリザはルイジに聞いた。「祖母の遺影が無いことを、不思議に思わなかった?」

ルイジは、「そう言えば…」と呟いた。

「間違われちゃうから、置かないの。若い頃の祖母は、私とそっくりなのよ」と、エリザは言った。「今日は、来てくれてありがとう。あなたのことは忘れないわ、ルイジ」

「私も忘れません。ありがとう、エリザ」そう答えて、ルイジはテレサ・ラースの家を後にした。


帰りの電車の中で、ルイジは気づいていた。エリザが、そっと「ヒント」をくれていたことに。エリザ・ラース。彼女こそ、テレサ・ラースその人だったのだ。


ルイジは、学校に戻ると、自分の卒業課題をウェドネストの地方に伝わる民俗学の研究に決めた。ウェドネストは、まだ未開の樹林と山脈が残り、それから古い伝承が生きている。

精霊や妖精として細々と生きながらえている者達を、脅かしはしない。唯、彼等の存在が、決っして幻などではなく、守られるべき尊い存在であると言う証を残したかった。

16歳までにすべての必須教科の単位を取り終え、残り一年はフィールドワークに費やした。

実際にウェドネスト地方に出かけたこともあった。

山脈の中に住んでいる小さな村の老婆に、幼い頃に聞いたと言う、エルフ達の受け継ぐ「言霊の歌」のメロディーを教えてもらった。

そのメロディーは何度も口ずさんで暗記した。

念のためにテープレコーダーにも録音したのだが、後で聞いてみると、「言霊の歌」のメロディーに差し掛かる部分で、それまで録音されていた老婆の声がぷつりと消えてしまっていたのだ。

歌が終わるとまた老婆の声が録音されているので、レコーダーが壊れているわけではない。

ルイジは、エルフ達にまつわる魔力の話を思い出した。きっと、言霊の歌を口伝以外で伝えられなくする何等かの魔術がかかっているのだろう。

1年間のほとんどをかけて研究に没頭した。論文を完成させ、提出して無事卒業確定を迎えても、ルイジの研究意欲は消えていなかった。

明日が卒業式と言う晩、ルイジはまた寄宿舎を抜け出し、「ジャックおじさん」に会いに行った。

ジャックおじさんは、いつも通り校舎裏で一休みしていた。

そして、ルイジは自分の進路についてジャックおじさんに報告した。「私、『闇の血』について研究するわ。自分のことを知るのと同じだもの」

ジャックおじさんは、「立派な目標だね。今の君になら、きっとできるだろう」と言って、煙草を携帯灰皿でもみ消し、「フェンスに片手をついて」とルイジに指示を出した。

ルイジは意味が分からなかったが。フェンスに右手をついた。その手の平に、フェンスの隙間から、ジャックおじさんが「封じの魔術」が施された指先を触れた。

何か、強い力が送り込まれてくるような感触がした。

「これで、僕に会いに来なくなっても、夢遊病は復活しないはずだ」と、ジャックおじさんは言う。「僕も、もうここで一休みするのは止めにするよ」

「ありがとう、ジャックおじさん」ルイジはそう言って微笑むと、ジャックおじさんに背を向けて寄宿舎に戻った。


卒業した後も、ルイジは研究を続けていた。ある日、ルイジの母が「あなたも、本ばっかり読んでないで、将来のこと考えなさい」と言って、結婚を勧めてきた。

ルイジは、諦めたようにため息をつくと、「お母さん。今まで黙ってたけど、私、遺伝性の病気なのよ?」と答えた。

母親はその言葉に驚いたようだった。「病気って…私は何も病気を持ってないし、あなた、夢遊病だって治ったじゃない」

それにかまわず、ルイジは続けた。「私は自分の子供にまで、自分と同じ苦難を味あわせたくはない。私は結婚はしない。子供も作らない。生涯を研究に捧げるわ。それが私の成すべきことなの」

娘の決断を聞いた母親は、父親に相談して、娘を精神科にかからせようかとまで考えたが、父親の家の反発に遭って、そのたくらみは実現しなかった。


数年後、ルイジは、テレサ・ラースも興味を持っていた、免疫学…特に、闇の血を継ぐ者の「免疫力」について詳しく研究し始めた。

ルイジは、自分の就学コースが理系では無かったことを悔やんだが、独学でも、きっと謎の解ける時は来る。そう信じて、研究に没頭した。

そんな彼女を、親類縁者は、「魔物に憑りつかれている」と揶揄してせせら笑っていた。