闇の鼓動 Ⅰ 1

女性の裸身の姿をしていた人形に、レミリアが入院着の中からサイズの合う物を持ってきて着せつけた。

魔法陣の外には、一体の亡骸がある。胸から出血し、顔はすっかり蒼白だが、人形は、かつて「トム・シグマ」と共有していた記録を頼りに、その遺体の人物がリム・フェイドであると判断した。

人形が死体をじろじろ見ていたので、レミリアが「フェイド博士だよ。学生の頃、ルディさんのお友達だったんだって」と話し始めた。

「私が連絡をもらう頃には、もう『兵器』を作ることは決まってたんだ。ベルクチュアの中央都市は、手の付けられない状態になってる。この病院のある町は、まだ平和なほう」

レミリアが言うに、アリアの話によると、リム・フェイドが研究の一端を担っていたプロジェクトで、開発中だったクリーチャーから、「ウェアウルフ化」と同じ型の病原菌が発見されたのだと言う。

そして、その病原菌は発見前に外部に流出し、ベルクチュアの大都市でパンデミックが起こった。

ウェアウルフ化に対する知識を持っていたリム・フェイドは、なんとか対処療法を行なおうとしたが、病原菌は突然変異を起こしており、通常の「ウェアウルフ化」を止める薬剤では効果が無かったのだ。

リム・フェイドは、ルディ・ウィンダーグに助けを求めた。そして、ルディ・ウィンダーグは、ベルクチュアに住むアリアの一家にリム・フェイドの援護を頼んだ。

「発症した者も、昼間は人間の姿をしてる。でも、極度に神経質になって、光や水の気配でショックを起こす。夜は、化物の姿になって、主に肉を食べる。お互い同士を食い殺し合う時もあるし、

普通の人間を襲う時もある。でも、どちらかって言うと、感染者は身体能力がすごく上がるから、共食いをするより、動きの鈍い人間や動物を襲う事のほうが多いんだ。

私は、見ればすぐ『感染者』だって分かるから、なんとか生き延びれた。

感染経路は飛沫感染だから、普通の人は防護服とマスクが必要だった。事件が起こってからすごい勢いで感染者が増えたから、普通の人間が身を護るための対策は後手に回ってしまったの。

今、ベルクチュアで生き残ってるのは、魔力に対して知識のある者と、シェルターや、もっと人気のない田舎に隠れてる人達だけ」

レミリアは、今までため込んでいた不安を一気にぶちまけるように言う。

「ベルクチュアの外に感染が広がらないうちに、感染者を処分することが決まったんだ。病気の進行の程度を測ってる暇はない。感染者は…みんな、殺すしかない。

感染者の多い地域に切り込める『兵器』が必要だってことになって、フェイド博士と、リッドの知り合いの科学者の人が、器を作ったの。今、ラナが宿ってるのが、その器。

『未感染者』には危害を加えないくらいの判断力と、『感染者』に警戒心を起こさせない形状が必要だって言うことになって、人間の姿にしたんだって。

フェイド博士が、私に言ったの。『器には魂が必要だ』って。人工知能にも適性があって、膨大なデータを処理できる、人間を理解した存在。

私が、その魂を呼び出す係だったの。私、まだメディウムとしては経験が浅いから、そんな都合の良い魂なんて、ラナくらいしか思い浮かばなかった。

本当は、ラナにこんなこと頼みたくないけど…。でも、もう時間が無いんだ」

入院着を着た「ラナ」は、視線を壁のほうに向けた。「近づいてくる」と、滑らかな発音で言う。

レミリアも、目に力を宿して、ラナの見ているほうを見た。「『感染者』だ! ラナ、逃げよう!」

レミリアがラナの手を引いて病院の個室から走り出すと、大型トラックが壁をぶち抜いて病室に突っ込んできた。


レミリアは、12階まである階段を駆け上る途中で、疲れの限界が来た。踊り場の表示は、6階と7階の間。

ラナが、息を切らしているレミリアを肩に担ぎ、残りの5階分の階段を、屋上まで駆け上がった。

屋上には、レミリアが隠しておいた一定の装備があった。

緊急避難用の、守護の結界が張れる絨毯、数日分の水と食料、数本の閃光弾と、銃弾を込めたマガジンと一丁のライフル。

「フェイド博士が言うには、体液に触れること自体が危険かもしれないから、至近距離での戦闘は避けるようにって」

「レミリアは、防護服は要らないのか?」

「私は、常に簡易結界を張ってる。でも、力を維持できなくなるくらいまで消耗しないうちに、安全な場所に避難する必要がある」

「分かった。『感染者』も、知能は保っているんだな?」

「うん。昼間のうちに獲物を殺しておいて、夜食べようとするやつも居る」

「そして、光や水でショックを受ける、か…。了解した」

そう言って、ラナは今登って来た階段の螺旋を見下ろし、一本の閃光弾を発火させて投げた。

数階下で、目を焼く青白い光が炸裂する。階下から苦痛の悲鳴を上げる声がした。

ラナはレミリアの近くに駆け戻り、「トラックの運転手が追いかけてきている。レミリア、荷物をしっかり持ってろ」と言った。

レミリアが、荷物を抱え上げると、そのレミリアを抱き上げ、ラナは助走をつけて隣のビルに飛び移った。

ラナの踏み切りの圧力で、病院の屋上に足跡型の凹みが出来た。レミリアを抱えたラナの体は、綺麗な弧を描きながら隣のビルの屋上に着地した。


追っ手を撒いたレミリアとラナは、「態勢を整える必要がある」と言うラナの判断の下、装備品を探し始めた。

まず、ラナの服。洋服屋で、レザーのジャケットと皮パンを見つけ、ブーツを履いた。一般の洋服店で見つかる「防御力のある衣服」としては、それが限界だった。

次に、街の地図。ラナは遠方から、本体である「トム・シグマ」と連絡を取ろうとしたが、電波の通りが悪く、データを受信できなかった。

地図には、レミリアが「探知」の紋章を描きこみ、「感染者」と「未感染者」の位置を、赤と青の光の点で浮かび上がらせた。

「お母さん達がフェイド博士の研究を引き継いでる場所があるの。そこまで移動しよう」と、レミリアは言う。

「ルートは?」と、ラナ。「感染者に後をつけられても困る」

「大丈夫。結構複雑だし、暗号キーがかけられてる場所を何ヶ所か通るから」

二人は顔を見合わせて頷き、閑散とした昼間の街中を慎重に進み始めた。