闇の鼓動 Ⅰ 5

アンジェとレミリアは、少しの飲み水とパンで渇きと飢えを癒し、フルパワーまで充電の終わったラナは、早朝の町を見回した。

朝日が昇ると、「感染者」達は一時的に大人しくなるようだ。

ラナがアンジェを抱え、レミリアが施設内のコンクリートの地面に大きな図形を描く。南の山まで全員で飛ぶための、「転移」の魔法陣を描いているのだ。

魔法陣を起動させる前に、レミリアがルルゴの霊体に呼びかけた。「ルルゴさん。行先は知ってるでしょ?」

「はい。ですが、私が霊体を保てる時間も、残りわずかでございます」

ルルゴがそう言うと、レミリアは安心させるように返した。「大丈夫。私、こう見えてもメディウムだよ? 霊体の疲労くらい治せる。一緒に行こう」

ルルゴは、感極まったような顔をしたが、涙は流さず、素早く魔法陣の中に入った。

瞬時に術が起動し、3人と1匹は南の山まで「転移」し、魔法陣は術の起動後、蒸発するように消えた。


禁猟区のある南の山脈に着くと、ラナが太陽の位置を見て方角を確認した。自分達の現在地を把握し、データ内の地図と照らし合わせる。

「ラナ。今居る場所、分かる?」と、レミリアが聞く。ラナは速やかに答えた。「フェネル山脈の麓だ。地図上では、そこまでしか分からない。世界地図以外の詳細なデータがないのでな」

「ご安心を。禁猟区の位置でしたら、手帳の何処かに地図と写真が」と、ルルゴが言う。

レミリアは、パラパラとルルゴの手帳をめくった。魔力を持った一枚のページから、ホログラムのように、地図と、付近の写真が浮かび上がる。

「禁猟区以外は、だいぶ開発されてるみたいだね。安全な登山ルートがある」と、レミリア。

「途中で登山ルートからはそれることになる。獣の気配には用心しろ」とラナが注意を呼び掛け、山道を移動し始めた。


登山ルートを外れて、2時間も歩いたころ、蠢くように、雲が山脈を覆い始めた。「濃霧が来る。アンジェにも簡易結界張らなきゃ」と、レミリアは慌てて指を空中で一回転させた。

健康保菌者とは言え、アンジェの体液も通常の人間の物ではない。濃霧で眼や鼻や口が湿り、微粒子が飛散しないとも限らないのだ。

アンジェは、息の出来る透明な殻のように入ったようになり、ラナに抱え上げられたまま、不思議そうに手や体を見下ろしていた。

ラナが鋭く一方を観た。「近い」と言って、片手に持ったショットガンを構え、撃つ。

銃弾で甲羅の一部にヒビを入れられ、体を甲羅で覆った生き物は、ショックで低木の中から体を起こした。

ラナは、その生き物が、変異体ではなくこの山由来の魔獣であると判断した。

簡易結界でくるまれたアンジェをレミリアのほうに放り、レミリアは自分の結界とアンジェの結界が融合しないように注意しながら、アンジェを受け止めた。

ラナは武器をライフルに持ち替え、魔獣の額に照準を合わせると、魔力を込めて引き金を引いた。


魔獣を仕留めた後、ラナは魔獣が向かってきた方角を見て、「禁猟区はもうすぐのようだな」と呟く。

「ラナ~。一言声かけてくれても良いんじゃない?」と、アンジェの体重で押しつぶされたレミリアが、体を起こしながらぼやく。「私、あんまり腕力強くなんだよ?」

「それは見ればわかる」と、ラナ。「アンジェが怪我をする方が、我々にとっては不利益だ」

「それはそうだけどさ。アンジェ、大丈夫?」

レミリアは自分の腹の上で目を回しているアンジェの頭を撫でた。結界同士がぶつかり合う感触がする。簡易結界越しでは、普通のあやし方は出来ないようだ。


禁猟区の「壁」が見えてきた。山の一角が、金網で仕切られている。

「ディオン山とは違った禁猟区らしいね」レミリアは言いながら、手帳の中の写真と、周りの様子を見比べる。「何処かに、『関係者以外立ち入り禁止』って言う看板があるはずだよ」

「其処から出入りできるのか?」アンジェを片腕に抱えたラナが聞く。

「そうみたい。出入り口があるから、わざわざ『立ち入り禁止』って書いてあるって事じゃないかな?」と、レミリア。

レミリアの肩に上り、エネルギーを分けてもらっていたルルゴが、「その通りでございます」と肯定した。「私もお手伝いいたします。少し力が戻ってまいりました」

レミリアの周りを覆っていた鬼火に、ルルゴが指示を出すと、鬼火達はレミリアから離れ、金網の続く一角を先に探索し始めた。

ラナとレミリアが、夫々の視力を使って鬼火の行く先を透視すると、ある鬼火が何かを知らせるように閃光を点滅させていた。

「見つけたようです。さぁ、お気をつけて」と、ルルゴは言って、一度霊体を浮き上がらせるのをやめた。

金網の側を通って行く途中で、鬼火を回収しながら、レミリア達は禁猟区の「出入り口」に辿り着いた。ボタンを備えた操作盤がある。

「此処もキーコードが要るみたい。無理矢理開けると、警報が鳴る仕組みだね」と、レミリアは言う。「ラナ、片手を貸して」

ラナは、アンジェを地面に下ろし、片手をレミリアに差し出した。

レミリアが、『追跡』の術で、操作盤に残っている、かつて押されたであろうボタンの記録を辿った。

ラナの脳裏に、プログラム言語が流れ込み、キーコードを特定した。

「コードは分かった」と言って、ラナは操作盤のボタンを順番に押した。