日が落ち、デュルエーナとベルクチュアの国境を越える時、ナイト・ウィンダーグが天空にある「トム・シグマ」の視点に、最後の合図をした。
テイル・ゴーストが居ると言う、ベルクチュアの山小屋へ向かいながら、ナイトはシェディとこう話し合った。
「我々の任務は、隠密に進めなければならない。フェネルの研究所に侵入するのはお前の役目だぞ」
「分かってる。トム・ボーイの情報は、確かなの?」
「私の『傑作』を疑うな。いくら『読み取り』しか出来なくても、情報は確かだ。しかし、何とも皮肉だな。女性型のアンドロイドに『転写』されるとは」
「おじい様は、トム・ボーイを男だと思ってたの?」
「あいつに性別は関係ない。唯、やんちゃで悪戯好きだった頃を覚えている身としては、これが女の子だったら大変だとは思っていた。だからボーイと呼んでいる」
「器がなんであれ、性能に問題が無きゃ良いんじゃない?」
「うむ。それは一理ある。『ラナ』とやらも、多少の魔力は持っているようだしな。しかし、『転写』されてから、だいぶ時間が経過してる。余計な自我も芽生えているかもしれない」
「それは、何か不都合あるの?」
「本体に戻せなくなる。複合意識を持っていた頃の状態を『嫌う』かも知れないからな。プライバシーの意識が出来てると、一番厄介だ」
「じゃぁ、『転写』されたデータは、そのままアンドロイドの中に残すことになるの?」
「そうなる。私も、まさか隣国から霊術で『転写』が可能だとは思って無くてな。反魔術の装備はさせていたんだが…。おや?」と、ナイトが行く先を見ておかしな声を上げた。
シェディも、ナイトの視線の先を見た。熊が居る。四つ足で立ち、牙を見せ、こちらを威嚇しているようだが、様子がおかしい。
ガタガタと震えていた熊の体が、急に丸まったかと思うと、熊の皮を引き千切るように、肉の塊が膨張してきた。
「まさか、これが…大地の癌?」と、シェディは驚いて言う。
「その通りのようだぞ。さて、若者よ。どうする?」と、ナイトは平然と言う。
シェディは、片手に炎の魔力を集め、じりじりと忍び寄ってくる「大地の癌」に火炎を浴びせた。
だが、「芽」を全てつぶすことは出来なかった。残った「芽」が、餌を求めるようにシェディのほうに伸びてくる。
シェディは2度、3度と火炎を操り、5度目の「砲火」で「芽」を全てつぶした。溶解した肉塊の下に、水仙が咲いている。
「水仙か…球根があると言う事だな」と、ナイトがヒントを出す。
シェディは、地中に隠れている球根が灰になるまで、「火炎の魔術」の練習をすることになった。
見張りをしていた山の管理人の一人が、山頂のほうから降りてくる者の足音を聞きつけて、シェディ達にライトを向けた。
「こんな時間に登山か? 道に迷ったのか?」と、管理人は聞いた。
「いやいや、テイル・ゴースト氏はいらっしゃるかな? 彼の親戚の者だ」と、ナイトが名乗る。
「デュルエーナから来たのか…? パスポートは?」管理人はちゃんと仕事をしている。
ナイトは年齢をごまかしたパスポートを取り出し、シェディはまっとうなパスポートを提示する。
ナイトの見た目が年齢にしては若く見えると思ったようだが、真っ白な髪をしているし、暗がりで顔のしわが見えないだけだろうと管理人は思ったようだ。
「不法侵入じゃないみたいだな。ようこそ、ベルクチュアへ。と言いたい所だが」と、管理人は言う。「今、山を下りることは勧められない。国全体に、化物の病が広がってるんだ」
「それはニュースで知ってます。僕達は、テイルさんに会いに来ただけです」と、シェディが言う。もちろんベルクチュアに来るための口実だが。
「たぶん、まだ眠ってるよ。あいつ、ここのところ大忙しだから」管理人は訳知り顔で言う。「化物の病を持った鳥や獣が、この山を越えようとしてくるんだ。そいつらを毎日追い払ってる」
「それは大変だ」ナイトはしらばっくれた。「それでは、私達も山小屋で一泊させていただけますか? ゴースト氏に会うのは朝になってからでもよいので」
「そこまで言うなら、案内するよ。ついてきな」と言って、管理人は山小屋へシェディ達を連れて行った。
山小屋に着くと、寝室らしき部屋からはいびきが聞こえ、銃やコートが置かれている「居間」のような場所に、蝋燭を灯して、一人の人物がお茶を飲んでいた。
「アンソニー。お前、まだ眠って無かったのか?」と、見張りの管理人は驚いたように言う。
「寝付けなくてね。こんな時は、いつも…」アンソニーと呼びかけられた青年はそこまで言って、シェディ達を観た。「なんだ。客か?」
「テイルの親戚だとさ。茶でも出してやってくれ」と、見張りは客の接待をアンソニーに任せ、小屋を後にした。
「はじめまして。シェディ・ウィンダーグです」
シェディが名乗ると、「アンソニー・イーグルだ」と、変わった青年は答えた。それからナイトのほうを見て、「何か魔術を使ってるのか?」と聞いた。
「化粧程度の魔術ですよ、ミスター・イーグル。私はナイト・ウィンダーグ。よろしく」と言って、ナイトは片手を出した。
だが、「握手は趣味じゃない」とアンソニーが言うので、ナイトは差し出した片手を上に向けてひらひら降り、登山用のジャケットのポケットにしまった。
アンソニーは、火を焚き起こしてお湯を用意すると、シェディとナイトにお茶を出そうとした。だが、いつも茶葉を入れているらしい箱を見て言う。「あれ。茶葉が無いな…」
アンソニーが申し訳なさそうに振り返ると、シェディがミリィの岩屋でもらったハーブティーの箱を渡した。「これ、使って下さい」
「悪いな。箱ごともらえると嬉しいんだが」と、アンソニーは言う。「良いですよ」とシェディは答えた。
「これは気前の良い客だ」と言って、アンソニーはそのハーブでお茶を煎れた。
アンソニーの話では、彼は昔から「霊感」が強く、何か大事が起こる前には、寒気や異様な不安感を覚えたり、神経質になったりしてしまうらしい。
「デュルエーナで魔術が流行り出してから、嫌な予感はしてたんだ。魔術って言うのは、掟を持たない人間が使って良いものじゃない」
アンソニーはそう言って、冷めかけた自分のお茶をぐっと飲んだ。
「俺は、この事件が起こってから時々思う。本当に救わなきゃならないのは、創り出された生物のほうじゃないかって」
「なるほど。我々と利害は一致していますね」と、ナイトは含みを持たせて言う。シェディは祖父を見つめ、ナイトが頷いたのを見てからアンソニーに打ち明けた。
自分達が、「秘策」を持って、この山に来たことと、その「秘策」を有効に使うために、少し「盗み」を働こうとしていることだ。
「正確には、盗むと言うより一時的に『黙ってレンタル』をしようと思っているんです」
シェディがそう言うと、アンソニーはクックッと声を抑えて笑い出した。
「実に愉快な計画だ。テイルが起きたら伝えておくよ」と言って、アンソニーは振り子時計を見た。深夜0時を回ったところだ。
「あんた達も、ここに長居するわけには行かないんだろ? フェネル山脈には、尾根伝いに南に行けば辿り着ける。昼間になる前に、飛んで行きな」
シェディは、自分達に飛翔の能力があることをアンソニーが何故気づいたのだろうと思ったが、ナイトは心得たもので、
「気を利かせてくれてありがとう。ミスター。では、良い夜を」と言うと、椅子から立ち上がり、孫を連れて小屋の外に出た。
