闇の鼓動 Ⅳ 2

マイクがグランの中央公園で奮闘している時、レミリアはグランの町を異様な気配が包んでいるのに気付いた。アリアに確かめたが、アリアは分からないと言う。

そうなると、魔術的なものではないらしい。レミリアは、キルテの屋敷の居室に戻り、既に暗記してあるグランの町の上空に意識を飛ばした。

透明な闇が、グランの町を包んでいる。

レミリアは、「追跡」の魔術を応用し、闇が流れてくる場所を探した。

そして見つけた。ひどく陰惨な意識を持った、一人の人物を。白に近い金色の髪と、鮮やかなアースアイ。見た目は、20代前半。だが、彼の心には、ほとんど「記憶」が無い。

知識だけは大量に維持しており、彼は彼の「視力」で町を眺めながら、テレビで格闘シーンを見て喜ぶ子供のように、はしゃいでいる。

彼は、自分の意思が「感染者」達に影響している事には気づいていない。あらかじめあった惨状を見て、「もっと大騒ぎに成れば良いのに」くらいの心を持っただけだ。

その意識は、呪いのように町に広がっていた。レミリアの目に映った「透明な闇」は、彼の意識の闇だった。

彼が、「アベル」だ。レミリアはそう気づいた。


アベルは、視野に映る世界が急に賑やかになったので、とても喜んでいた。

銃を乱射する者を「そうだ、もっとぶっ殺せ!」と囃し立て、家屋を荒らす者に「火を点ければ良いのに」と囁き、疲労で動きの鈍くなった感染者には、「おいおい。まだ働けるだろ?」と呟く。

アベルにとって、その「視界」に映る物は、ショーだった。自分には危険の及ばない所で起こっている、悪意の世界。

その世界が、ちょっと刺激的に成れば良いと思った途端、ある種の人間達が、奇怪な行動を始めた。それは見ているだけで面白かった。それだけだった。

新しい刺激を求めると、事態はそのように変わって行く。なんだか、自分が世界の王様になったような気がして、アベルは愉快だった。

そんなショーの中に、誰かが乱入してきた。ものすごいスピードで走ってきたそいつは、公園のような場所にあるバリケードに群がっていた人間達を、バリケードから引きはがし始めた。

なんだろう、あいつ。と、アベルは思った。見た目は訓練を受けたことのある青年と言う風だが、他の人間と違って、血みどろでも、武装しているわけでもない。

だが、ものすごい怪力の持ち主で、バリケードの周りの人間達を、むしり取っては遠くに放り投げている。

すごい、カッコイイ。とアベルは思った。そして、きっと、彼はこの町の狂人達を、成敗に来たヒーローだ、と勝手な設定を付けた。

しかし、「彼」は、アベルの思ったようには動かなかった。バリケードの安全を確保すると、反対側のバリケードを守っていた痩せた男と言葉を交わし、公園の塀に寄りかかって座り、休み始めた。

なんだよ。狂った奴等はいっぱいいるんだ。やっつけろよ、ヒーロー。と思ったが、「彼」は動かない。

なんだ。つまんないの。興の削がれたアベルは、一度町を見るのをやめた。


マイクは、低温火傷になりそうなほど熱を持っていた護符が冷えたのを感じた。効力が無くなったのだろうか? と思ったが、ズボンのポケットに入れてあった護符は、淡い緑色の光を灯している。

日が陰り始め、マイクは「月の光のあたらない所に行こう」と、褐色の髪と黒い瞳の男―セト―に呼びかけた。その呼びかけを、セトは拒んだ。

「俺は、此処を守る。救援隊が、もう一周くるはずだ。それまで、『感染者』を公園に入れるわけには行かない」

「なんでだ? あんただって、獣人化すれば、多少は知能に影響があるんだろ?」と、マイク。

「ああ。『人間』が『肉塊』に見えてくるな」と言って、セトは自嘲するようにクックッと笑った。

「それでも、俺は此処を離れるわけにいかない。結界も張ってない公園に、何故『感染者』が忍び込まないか、不思議に思ったことは無いか?」

「ああ…それは、確かに」と、マイクは、自分でも軽く跳び越せそうなバリケードを見る。

「俺も、多少の『意識』の操作が出来るんだ。カインほどの強制力はないけどな。この公園に近づく『感染者』から、自分の身体能力を忘れさせる程度の力はある」

セトはそう言って、視線を遠くに向けた。

「カインから聞いたかもしれないが、何者かが『感染者』の意識に影響を及ぼしてる。カインに勝る力を持っているとすれば、『アベル』かもな」

「『アベル』って…あんた達のデータから作られた人間の事だよな?」と、マイク。

セトは頷いた。「そうだ。『アベル』は、何体か造られた。確か、6人目のアベルは、まだ生きているはずだ。処分の前に、研究所が破壊されたからな」

「この騒ぎを起こしたのが、『アベル』だとすると…相当、イカレテる奴なのか?」

「いや、むしろ、この騒ぎは穏やかなほうだ。今まであった『食物連鎖』の秩序が無くなっただけだ。『アベル』が望んだのは、恐らく唯の混乱だろう」

そんな話をしているうちに、西日が射してきた。

「その話はまた今度しよう。俺は、何処かのビルにでも避難するよ」と、マイクは言い、手頃なねぐらを探しに行った。


夜になったので、アベルは「動物園」に行ってみた。

グランの町には、アベルが以前いた「研究所」によく似た施設と、生物達がいた。彼は、その生物達を見つけた時、「其処に居ちゃ危ない。早く逃げるんだ」と思ったのだ。

グランの施設のキメラ達は、「死」と言うものを察し、アベルの意思に誘導されるままに暴れ出し、研究施設を破壊して逃げた。

だが、研究所は火災が起き、生き残って外の世界に逃げ出せたキメラは、ダンキスタンのキメラ達よりずっと数は少なかった。

アベルは、食事の摂りかたも分からないキメラ達を、空き家になって居た館に集め、そこを「動物園」と名付けたのだ。

キメラ達は基本が雑食なようで、アベルが差し出す餌はなんでも食べた。サツマイモや葉野菜、館の庭に生えている草、穀物、なんでもだ。

異様な姿をしたキメラ達は、柵のある屋敷の庭で、大人しく眠っていた。だが、アベルの気配を察して起きた。そして、まるで飼い主に会った犬のように、好意の意思を示した。

「ただいま。みんな、今日も良い子だったかい?」と聞くと、角の生えた猪が、アベルの服の袖を噛んで、彼を屋敷の庭の一角に連れて行った。

キメラではない子猫が、小さな声で鳴いて居た。

「そうか。拾って来たのか」とアベルは言って、「誰か、お乳の出る子は居る?」と、周りのキメラに聞いた。

しかし、繁殖能力の欠如しているキメラ達は、誰も乳を与えることが出来なかった。

「子猫は専用のミルクか餌で育てるんだよな…」と、アベルは呟いた。ミルクや餌はペットショップと言う場所に置いてあるはずだ。

無人の屋敷の中を漁ると、壊れた冷凍庫の中に、鶏肉があった。解凍されてから数日経っているらしく、新鮮ではなかったが。

当分はこれを与えよう。と、アベルは思って、子猫にも食べやすいように肉を加工しようとした。

ガスはまだ止まっていない。コンロで、火傷をしそうになりながら鶏肉をあぶり、手で細かく千切って、子猫に与えた。

子猫は、恐らく初めて食べるであろう肉に、果敢にかぶりついた。

「美味しい?」と言って、アベルは子猫の背中を撫でた。

肉が無くならないうちに、「ペットショップ」を探してみよう。アベルはそう思った。


東の山から朝日が射してきた。廃墟のビルの一室で、壁に寄りかかって眠っていたマイクは、遠い窓から朝日を確認し、月の光の危険が無くなったことに一安心していた。

しかし、次の問題は「空腹」だった。何か食べ物を探しに…そう思って、以前カインから聞いた言葉を思い出した。

「セトは、肉以外で空腹を癒す方法を知っている」

その記憶を頼りに、また公園に行ってみた。

マイクは、バリケードの前にセトが居ないことに気づいた。そして、自分の「視野」に、バリケードの向こうの芝生の上に倒れているセトの姿が映った。

まさか、死んでないだろうな?

そんなことを思いながら、マイクがバリケードを飛び越えて、公園に入る。

歩を緩めてセトに近づくと、彼は笑っていた。目元は長い前髪で見えないが、口元は愉快そうに歯を見せている。

「死んでるわけじゃなさそうだな」と、マイクが言うと、セトは「お前も寝転んでみないか。緑の絨毯は良いもんだぞ」と言ってきた。

「人間が300人近く居たわりには、小奇麗だな」と、マイクは周りを見て言う。

「無作法な奴がいなったと見える。俺も、此処を守って…。いや、上等な肉を育ていたと実感できて、嬉しいよ」と、セト。

マイクは、セトが、本心ではあの人間達をどう思っていたかを察して、笑い返した。「仕事の終了を祝うためにも、何か食べられるものを教えてもらえると助かるんだがな」

「それなら、此処の近くにチーズ工場がある。ウィルスが求めてるのは、『蛋白質』だ。高濃度の蛋白質であれば、肉の代わりに出来る」

セトはそう言って、勢いをつけて体を起こすと、「俺達の体にワインが合えば、一杯飲みたいところだな」と言いながら、マイクと一緒に公園を出た。