闇の鼓動 Ⅳ 3

ディオン山のデュルエーナ側にある、ミリィの岩屋では、ミリィがフラスコの中の液体に術をかけながら、透明な液体の変化をじっと見つめている。

リッドを含め、3人の男達とアンジェは、術師の邪魔をしないように、岩屋の外で陣取り遊びをしている。枝葉が空を埋め尽くしている深い森であるからこそ、昼間でも遊べるようだ。

陣取り遊びと言うのは、地面に木の枝で描いた四角いスペースの夫々の面にプレイヤーが1人づつ立ち、スペースに石を放り投げ、片足立ちで歩きながら放り投げた石が取れるかどうかを競う遊びだ。

片足立ちのまま、四角いスペース内の中の石を拾って自分の面まで戻って来れれば、自分の足跡のついた場所を自分の「陣地」として確保できる。

最終的に、一番広い陣地を取った者が勝ちと言う、ごく単純なゲームだ。

アンジェは、怪我や発汗に気を使わずに遊べる時間を、非常に楽しんでいた。

「そろそろ飯の時間だな」と、リッドが薄暗いながらも日射しの強さを見ながら言い出した。「アンジェ。何が食べたい?」

アンジェは少し考えてから、「カレーライス」と答えた。

「OK。俺は飯作ってくるから、勝負は一休みしててくれ」と言って、リッドは岩屋に戻った。

「はーい」と、アンジェとシェディが声をそろえる。

3人は、手頃な岩に夫々腰をかけ、休憩を取った。

「おじい様、結構片足でも歩けるんだね」と、シェディはナイトに言う。

「筋肉は毎日鍛えてるからな」と、細身のナイトは自分の膝を叩き、健脚を自慢する。

アンジェは、近くに生えていた草を摘み取って、草の繊維を剥して遊んでいる。

「そう言えば、父さんが、元・バックパッカーだって、ホント?」と、シェディ。

「ああ。寄宿学校を卒業した日から、数年間、国中を旅していたな。思えば、あいつはその期間で『戦うこと』に満足してしまったのかも知れない」と、ナイトは嘆く。

「僕を中々家から出したがらなかった理由は、それ?」とシェディ。

「恐らくな。ルディは、『平和な普通の家庭』を維持することに、執着するようになっている。全く、能力のある者の占いはよく当たる」

ナイトは長い間、自分の中に抱えていた秘密を、孫に打ち明けた。

「私がいずれ結婚して子供を授かることを『読んで』くれた占い師に、言われたことがあるんだ。『あなたの子供は、近くに置き過ぎてもダメ、遠くに置いていたらもっとダメ』とね」

シェディは、その話を静かに聞いていた。

ナイトは続ける。「私も、レナのほうとは、上手い具合に距離感を取れるんだが、ルディに関しては、『男同士だから言わなくても分かるだろう』と思っていたのかも知れない。

その結果、近くに置く時間も、遠くに置いていた時間も、取り過ぎてしまった。おかげで、あの通りの分からず屋になって居るんだろう。

シェディ、恐らくルディは、お前を、『かつての自分』と同じだと思っているのかもな」

「父さんと僕は別人だよ」と、シェディは少しイラっとしながら言う。「つまり、父さんは僕が唯の好奇心で戦場に行こうとしてたと思ってるって事?」

「それは本人に聞かないとどうか分からないが、お前を『子供』だと思ってるのは確かだ。悪い意味でね」と言って、ナイトは両手を上に上げ、肩をすくめてみせる。

「じゃぁ、もし僕が絵を描かないで、毎日ボディービルディングしてるような『筋肉男』だったら、もっと自由を与えてもらえたのかな?」と、シェディ。

「あながちそうとは言い切れない」

ナイトは顎に片手をあてながら言う。

「親としてのあいつは、無駄に過保護だからな。唯一の救いは、お前が女の子じゃなかったことくらいだ。もし、女の子だったら、それこそ『深層の令嬢』扱いだっただろう」

「考えただけで寒気がするね」シェディはそう言ってゆっくり瞬きをし、膝に肘をのせて、頬杖をつく。「大学にすら通わせてもらえなかったら、外の世界との接点なしじゃん」

「もしかしたら、絵すら描かせてもらえなかったかもしれないぞ?」と言って、ナイトはニヤニヤしている。「女性が芸術の世界に首を突っ込むもんじゃない、なんて言ってな」

「いやー、神様って本当に居るのかもね」シェディは皮肉交じりに言う。「よく僕を『シェリー』にしなかったよ」

「シェリー?」と、ナイトは聞き返す。

「父さんが昔言ってたんだ。もしお前が女の子だったら、『シェリー』って名前にしようと思ってたって。父さんは女の子が欲しかったのかって思って、だいぶ僕も凹んだんだよ?」

「出来の悪い息子ですまんな。つくづく、お前には迷惑をかけていると思っている」

ナイト達がそんな話をしていると、リッドが大きなフライパンをお玉で叩きながら、「飯出来たぞー」と言いに来た。


テーブルの上には、ホカホカのライスに、スパイシーな香りのカレーソースがかかった皿が2つと、丸薬の入った瓶が1つ、そして治癒の魔力を込めた護符が1つ。

アンジェとシェディはカレーの置かれている席に招かれ、ナイトは自主的に護符の席に着く。

「伯父様。ライスはどうやって用意したのですか? 普通に『焚く』と、45分はかかると聞いたことがありますが」

「裏技があるんだよ」と、リッドは言う。「洗ったライスを布に包んで、沸騰してる湯に15分くらい浸すんだ。大昔のヤハンって言う国の宿で使われてた方法らしい」

そう言いながら、リッドは丸薬の席に着き、旅先で見聞きした色々な料理の裏技を、客人達にレクチャーした。


夕方まで「陣取り遊び」に時間を費やした4人は、日が沈む前に夫々布団で寝息を立てていた。

慎重な術の過程を経て、ミリィはようやく肩の力を抜いた。薬が完成したのだ。後は、必要な量まで培養しなければならない。

リッドの枕をゆすって起こすと、ミリィは「ようやくあなたの出番よ」と言った。

「おー。出来たか」と言って、リッドは寝ぼけながら体を起こした。「夢の中でも石ころ投げてたぜ」

どうやら、リッドに「時間」を送らせて、培養にかかる期間を短縮しようとしているようだ。

「さて、薬液の量はどのくらい要る?」と、リッド。

「タンクの数がそんなにないから、まずは500リットルで十分よ」

ミリィの言葉を聞いて、リッドは術を発動した。


アベルは、着いて来ようとする子猫をキメラ達に守らせ、館の外に出た。町の様子は見なれないが、何が自分に「有益」なもので、何が自分に「害意」のあるものかは分かる。

町外れの屋並みを眺めながら歩いて行くと、「動物病院」と書かれた看板があった。

ペットショップとは違うようだが、此処にも何か子猫の成長に役に立つものがあるだろうか。

そう思いながら建物の中を探索すると、小さなキャットフードの箱がいくつかあった。「試供品 子猫用」と書かれている。

一箱は小さいが、だいぶ数があったので、「アベル」は両手に持てるだけキャットフードを持って、外に出た。

一人の「感染者」が、奇声を上げながら「アベル」にナイフを振りかざしてきた。彼が動物病院に入って行ったのを見ていたのだろう。

思わずナイフを防ごうと手を伸ばすと、ナイフがキャットフードの箱をかすめた。箱の中から、ドライフードの粒が散らばる。

「何するんだ!」と、アベルが叫ぶと、「感染者」は、びくっと体をすくめ、逃げ出した。

アベルは訳が分からなかったが、危機が去ったことは分かった。散らばった小袋入りのキャットフードを拾い集め、「動物園」に帰った。


月夜の中、遠距離からアベルの館を見張っていたラナは、心の声で、アベルの行動と、「感染者」の反応をアリアに伝えてた。

レミリアは、ここ数日、意識を体から切り離していた時間が長すぎ、極度の疲労に襲われていた。アベルの「居住地」を突き止めるので精一杯だったので、後をラナ達に任せて寝込んでいた。

キルテの「治癒」の力も追いつかず、熱を出してベッドでぐったりしている。

アリアは、ラナと霊術でつながっているわけでないので、代わりに「伝心術」と「読心術」で、情報のやり取りをしていた。

「子猫を育てようとしているわけか…」と、アリアは呟いた。「先日の件と言い、どうにも、『アベル』はまだ精神的な成長が行き届いていない様子が見られるわね」

「『アベル-F』は、まだ意識を持ってから数ヶ月のようだからな」と、ラナは言う。「どうする? このまま様子を観察するか?」

「一度、コンタクトを取ってみましょ。話し合いが出来たらベスト」アリアは指示を出した。「なるべく、敵意のない事を示して、館の柵の外まで近づいてみて」

ラナは、指示通りに銃器を腰のベルトに収めたまま、足音を殺して館まで近づいた。

その気配に気づいたキメラが、威嚇の声を上げる。

「誰だ?!」と、アベルの心の声がした。「それ以上近づくな!」

ラナはその声が聞こえないふりをして、「誰かいないか。一晩、宿を借りたい」と、声をかけた。

考え込むような間を置いてから、館の玄関が細く開く。玄関ホールに、薄汚れた服を着た青年が現れた。「誰なんだ?」と、今度は実際の声が聞こえた。

「旅の者だ。道に迷ってな。物置でも良いので、雨風を避けさせてもらえないか?」と、ラナは言う。

まるっきりでまかせだが、筋は通っているし、敵意のなさも示している。トム・ボーイがルディ・ウィンダーグとの会話で培った「融通の利かせ方」が、ちゃんとラナにも受け継がれているようだ。

アベルはしばらく黙ってから、「物置はガラクタでいっぱいだ。屋敷の中なら、いくつか空いてる部屋がある」と言った。

その脳裏には、自分が、かつて行き場もなく彷徨っていた頃のことが浮かんでいた。


ラナをベッドのある客間に招き入れ、寝具を叩いて埃を払うと、「ちょっと埃っぽいけど、この部屋は綺麗な方だよ」とアベルは言う。

「お腹は減ってない? 水は要る?」と、思ったより積極的にアベルは声をかけてくる。

「食事の心配はいらない」と、ラナは答える。そして聞いた。「この館に、一人で住んでるのか?」

「ううん。家族って言うか…友達はいっぱいいるんだ。ちょっと変わった連中だから、隠れてもらってる。姿を見せたら驚かせちゃうから」

そう話すアベルは、確かに年齢不相応なくらいに幼い表情をしている。

「旅の途中らしいけど、町には行かないほうが良いよ。変な奴等がいっぱいいるんだ。だけど、町を迂回して、山沿いを進んで行けば大丈夫」

そう案内して、アベルは枕の埃を叩くと、「じゃぁ、ゆっくり休んで」と言って、ラナを客間に残し、別の部屋に行った。