闇の鼓動 Ⅳ 5

チーズ工場で飲み食いしていたマイクとセトは、突然外でスコールが降り始めたので、驚いていた。

「だいぶ大雨だな。こんなところまで聞こえてくるなんて」と、マイク。

「町が少し綺麗に成れば良いがな」と、セトは言った。そして、ウィスキーのソーダ割りをあおる。「ワインは駄目だったが、飲めるリキュールがあって良かった」

「俺はバーボンよりモルトのほうが好きだな」とマイクも言い、自分の飲んでるウィスキーの瓶をセトに渡す。

「麦が美味いなら、ビールを飲んでみたらどうだ?」と、セトはからかう。

「あれは、味わって飲む酒じゃない」と言って、マイクは苦い顔をした。つまみ代わりに、スモークチーズにかぶりつく。

「フレッシュチーズが食えないのが残念だな」と、セト。「俺が粗方食い尽くしたからな」

「この体になっても、チーズの味が分かるのは幸せだよ」

二人はそう言い合いながら、酒盛りを続けた。


カイン達は、灯台の中に身を潜め、雨が通り過ぎるのを待っていた。

オリンは気が気でなかったが、カインが「絶対に外に出るな」と厳重に注意していたので、階段の途中にある窓のカーテンを少し除け、外の様子をうかがっていた。

閉じた灯台の入り口は、時々雨が叩く音がする。

オリンは、階段から離れ、カインの部屋に行った。

「カイン。なんだか、嫌な予感がするんだ」言い出すと、「どんな予感だ?」と、カインは呆れたように言う。

「このまま、灯台の中に居ちゃいけないような…」と、オリン。

「ふむ。確かに、これは『恵みの雨』かも知れないからな」カインはそう言って、腕をのばし、肩をひねる。

「だが、逆を言えば、この雨を受け入れるなら、俺達を『人間ならざる者』として扱って来た連中に、服従しなければならないんだぜ?

ウェアウルフ・ウィルスに感染してから、お前も散々な目に遭って来たんだろ? オリン?」

「うん…。そうだけど…」と、オリンは珍しく暗い顔をする。

「それに、セト達は、今の所、酒盛りで忙しいらしい。あいつ等だけおいて行くわけには行かないだろ?」

と言って、カインは椅子から立ち上がり、オリンに片手を差し出す。「俺達は同士だ。俺は、死ぬ時まで仲間は裏切らない。お前は?」

オリンは、迷いを払ったような表情をして、カインの手を握った。「僕だって、裏切らない。なんで、カインみたいな人が『死刑囚』になったのか、不思議だよ」

「言ってるだろ? 仲間は裏切らない。そのせいさ」

そう言って、カインは手を放し、オリンに背を向けて、壁越しに外の雨を眺めていた。「しかし、雨を使う方法を思いつくとはね。頭の回る連中だ」


ベルクチュア全体の「殺菌」には、丸48時間を費やした。

筋肉痛になった腕をもみほぐしながら、シェディはミリィの岩屋で一休みしていた。

「シェディ君。お疲れ様」と、ミリィが丸薬の瓶とお茶のカップをのせた盆を持ってきた。「強壮剤。飲んでおくと良いわ」

「ありがとうございます」と言って、シェディは丸薬を一粒口に含み、お茶で飲み込んだ。「体は鍛えておかなきゃダメですね…」

「密閉空間に居たものはどうなるのですか?」と、ナイトは聞く。

「蒸発した水分を吸い込んだ者にも効果はある」と、リッド。「空気が乾ききるまで籠城されなきゃ、『殺菌』できるよ」

「それは御見それいたしました」ナイトはそう言って、両手の平を上にして見せた。「どの程度の威力なのかはお聞かせ願えますか?」

「アンジェの抗体の性質からして、ウェアウルフ・ウィルスに感染していた者達は、一度死ぬ」リッドはそう言って、話しを促すようにミリィを見た。

ミリィが、リッドに代わって話を続ける。「ウィルスが死滅した後、通常の生命体として蘇生するの。人間がベースの生き物なら、人間に。動物がベースの生き物なら、動物に」

「動物にも属さないものは?」と、ナイトは鋭く聞く。

「生き残れるものと、命を失うものに分かれるな」と、リッド。「生憎、全部の命を神様みたいに救うことは出来ない」

「神のみぞ知る、ですか」と、ナイト。昔、教会で結婚式を挙げた時のことを思い出していた。「慈悲深いご加護を祈るしかありませんね」

「吸血鬼に祈られてたら、神様も立つ瀬がねーな」と言って、リッドは愉快そうにケラケラと笑っていた。


数日も経たないうちに、アベルは深い眠りから意識を覚ました。頭の奥が痛む。体を起こそうとしたが、手足に力が入らない。

アベルが意識を覚ますのに気付いたラナが、温かいスープを入れたカップを持ってきた。「まだ動くな。体が回復していない」

「ラナ…。側にいてくれたんだね」と言って、アベルは少し安心した顔をした。「良かった。一人で起きるのって、結構怖いんだ。取り残されたみたいで」

ラナはアベルの背を持ち上げ、上体を起こさせると、アベルの口元にカップを近づけた。


雨で体を洗われたキメラが数匹、畑用に耕していた柔らかい土の上で寝ころんでいた。

歩けるまで回復したアベルは、何かおかしいことに気づいた。「この子達…。なんにも言わなくなっちゃった」

アベルが近づくと、生き残ったキメラ達は、いつも通り親愛の情を示したが、アベルは彼等の知能が通常の動物と同じレベルになって居るのが分かった。

「そうか…。君達、分かんなくなっちゃったんだね…」

アベルは悲しげにそう言い、「清潔」になった、角の生えた猪の頭の毛を撫でた。

「ラナ。僕、海に行かなきゃ…」と、アベルは言う。「きっと、レミーが会いに来る」

ラナは反発せず、アベルを海に連れて行った。


チーズ工場に籠城して、3日間ほど飲んだくれていたマイク達だったが、ある朝、外がからりと晴れているのに気付き、「雨も乾いたみたいだ。そろそろ『城』に戻ろう」と話し合った。

外に出ると、血なまぐさかった町は嘘のように綺麗になって居た。血だまりも血飛沫の跡もない。そして何より、何かを壊す音や、悲鳴や銃声、狂気の叫び声なども聞こえない。

「ほー。洗えばそこそこ綺麗な町なんだな」と、セトが言う。

「あんたは、此処の出身じゃないのか?」と、マイク。

「ああ、エルドって言う、片田舎の出身だ。呪われたダンキスタンの近くだよ」

マイクは、移動しながらセトの身の上話を聞いた。

治外法権な家庭で育ち、昔から盗みで生き延びてきたこと、13で地元のストリートチルドレンと知り合い、15の時「抗争」で4人を殺したこと。

その裁判が18になってから行われ、少年院に入る暇もなく、死刑判決を受けたこと。

刑が執行されるまで、本をよく読んでいたこと。カフカの「変身」にひどく興味を惹かれ、自分が「化物」になった時、不思議な既視感を得たこと。

実験として、「牛の肉」「豚の肉」「鹿の肉」そして、「人の肉」を食べさせられたこと。

「どれが一番うまかった? なんて聞いてきやがるから、豚って答えておいたよ」と、セトは言って苦笑いをする。

「人間って書いて、ブタって読むって意味じゃないよな?」と、マイクは冗談を言う。

「人間の肉なんて、食べるもんじゃない」セトはそう言って舌を出して見せる。「そう言えば、ライオンのハンバーガーは美味いらしいぞ。ワニもそこそこいけるだろ?」

「ああ。ワニの養殖がしたくなるくらいにな」

マイクは冗談のつもりで言ったのだが、セトはその案に興味を持ったらしい。

「『灯台』に戻ったら、カインに進言してみよう。ワニを増やす方法を考えようってな」


灯台が見える場所まで来ると、マイク達とは別の方角から、海に向かって来ている者達が居た。

黒い髪と、ヘーゼルの目の女性と、白に近い金髪と、アースアイの青年。

年の頃は同じくらいに見えたが、離れて歩いている様子からして、恋人同士というわけではないようだ。

女性のほうが、先日、オリンから聞いた「兵器」の容貌に似ていると思ったが、外見上は完璧に人間だ。とても機械で出来ているようには見えない。

「おーい! こんな時に、こんなとこで何してるんだ?」と、マイクは呼びかけた。

青年のほうが気づいた様子をみせ、女性に何か声をかけて、マイク達の方へ歩いてくる。

「はじめまして。僕、アベルって言います」と、青年は言った。

マイクとセトは顔を見合わせた。何せ、その「アベル」からは、普通の人間と同じ気配しかしなかったからだ。

「この辺りで、人と待ち合わせてるんです」と言って、アベルは待ち人の外見をマイク達に伝えた。

「残念だが、『灯台』の中には、そう言う人はいないな」と、マイクは言う。「でも、何かの縁だ。しばらく休んでいくと良い」

「ありがとうございます」と礼を言って、アベルはラナの居たほうを見た。「ラナ。ちょっと休ませてもらおう」

そう言いかけて、アベルは既にラナの姿が無いことに気づいた。


アリアの魔力で、キルテの屋敷まで「転移」させてもらったラナは、アリアから「感染源を持っていないか」をチェックされた。

「実験体に触れたにしては、綺麗な状態ね。一応、シャワーは浴びておいて」とアリアが言うので、ラナはそれに従って、キルテの家のバスルームを借りた。

重湯が食べれる程度に回復したレミリアは、しきりにアリアに言う。「お母さん。浜辺に行こう」

それを聞いて、アリアは答える。「カツレツが食べるようになったらね」と。