闇の鼓動 Ⅳ 6

邪魔な烏達に襲われなくなった救援隊は、ようやく地上伝いにグランの町に入れるようになった。

感染者達は消毒済みだったが、ひどいトラウマを抱えており、救援軍を見て逃げ出す物や、泣き出すものなどが多数いた。その様子から、彼等には精神的なケアが必要だろうとみなされた。

なんとか生き残っていた未感染者達も、シェルターの中や避難場所から助けの声に呼び出され、生き残ったことに安堵していた。

だが、とある地下の食品売り場で、未消毒の感染者が発見された。

食品売り場に置かれている、腐った肉をむさぼっているところを発見され、「僕は…」と言いかけたが、隊員が向けたライトでショック状態になったので、「感染者」だと判断され、射殺された。

その首に下げた名札には、グリン・セラとあった。


リノン・ベルは、グランでの救助活動が波に乗り始めたことを伝えるため、キルテの館を訪れた。

しかし、その時にはもうレミリア達はキルテの館を後にしていた。

「レミリアさん達は、何処に行かれたのでしょうか?」と聞くと、キルテは「小さな男の子を悪い夢から助けに行ったのだわよ」と答えた。「カツレツが食べれるようになったからね」

リノンはその答えを聞いて、意味が分からずぼんやりしていた。


「灯台」では、カインがアベルから詳しい話を聞き出し、自分の察していた通りに自体は進行していたのだと確認した。

アベルは、知らない人ばかりの場所で不安そうにしていた。突然姿を消したラナのことをひどく気にかけており、カインにそのことを質問したりもした。

「たぶん、旅に戻ったんだろ」と、カインは適当に答えた。「さてさて、薬剤が効いてるうちに、此処からは離れてもらわないとな」

必要な情報が無くなったので、カインはアベルを自分達の持っている「変異」から遠ざけようとした。

感染経路は主に飛沫だ。喋っているだけで、無菌状態になったアベルに再びウイルスを移す可能性がある。

アベルも、放浪することには慣れていた。「休ませてくれてありがとう」と言って、席を立ち、「一つだけ聞いて良い?」と、切り出した。青い宝石の採れる浜辺は何処かと。


自分の脚で普通に歩けるくらに回復したレミリアは、ラナと一緒に、初めて海に来ていた。アリアの作った、「擬態」のアミュレットを持って。

海獣達からは、レミリア達の姿は風景の中に溶け込んで見えているはずだ。

ラナは、「アベルは、本当にここに来るのか?」と心の声で聞いた。キルテの家で着替えを借り、チェックのシャツと綿パンを着ている彼女は、殺戮兵器である様子など微塵も感じられない。

「青い宝石の採れる浜辺って言ったら、此処だけだから…」と、レミリアも心の声を返す。「アベルが『夢』でのことを忘れて無きゃ、此処に来るはずだよ」

そう心の声で言って、レミリアは海の遠くを見た。何処かの国の軍艦が、ベルクチュアの海岸へ向かってくる。

「あれ、きっと、外国からの救援軍だ」と、レミリアは言う。

ラナも、自分の視力で船を見て、「確かにな」と答えた。「もし、アベルに会えた後はどうする?」と、ラナは聞く。

レミリアはそれを聞き、ラナの方を振り返った。「ミリィの岩屋に連れて行く。ミリィ達なら、アベルをちゃんと育ててくれるもの。ラナこそ、どうするの?」

ラナは、その言葉を聞いて少し寂し気に微笑んだ。「どうするかな。今まで黙っていたが、私は『ラナ』そのものではないんだ」

「え?」と、レミリアは意表を突かれたように聞き返す。「でも、私は『ラナ』の意識をその器に宿して…」

「『私』が目覚める前に、この器が、何度か意識を持ちかけたことがあったはずだ。だが、覚醒するまでには至らなかったろ?」と、ラナ。「本体からのデータを読み込んでいたんだ」

「それじゃ、あなたは、誰なの?」と、レミリアは聞く。

「『ラナ』のコピーだ。本体と連絡を取れない、不完全な『転写物』だよ」ラナは打ち明けた。「『ラナ』はデュルエーナに居る。トム・シグマと言う本体の中の一部のデータとして」

「そう」レミリアは大して気にも止めないと言う風に言う。「でも、私はあなたを『ラナ』って呼んで、あなたはそれが自分を読んでる名前だって分かるんでしょ?」

「ああ」と、ラナは答えた。

「それなら、あなたは『ラナ』だよ。私、小さい時からずっと話しかけてたんだから。あなたが返事するまで、ね?」と言って、レミリアはにっこりと笑った。

ラナは、この「感情」は何だろうと思った。安心でもない、悲しみでもない、憤りでもない、ほんの少しの喜びと、それを表せないもどかしさ。

「そうか」とラナは答え、自分に涙を流す機能が無いことを、少し恨んだ。

遠くから、誰かがレミリアの名を読んだ。


ミリィの岩屋に、新しい住人が増えた。アベルと言う名の、5歳くらいの男の子。

「実に珍妙な味だ」と、アベルから「時」を食べたリッドは、感想を述べた。「こってりとした味付けがされているが、後味は無いに等しい」

「大した評論ですこと」と、ミリィは言う。「私には、『スパイシー』とか『刺激的』しか言わないのにね」

「おいおい。妬いてんのか?」と、リッドはニヤつきながらミリィに絡む。

パートナーの首に腕を絡ませ、「『刺激的』だからこそ、何度食っても飽きないんだよ、お前のは」と言ってミリィの顔を覗き込み、ウインクをしてみせる。

「お父さんが『やんちゃ』な理由が分かったわ」

暖炉の前のチェアに腰を掛けたレミリアは、イチャイチャしている10代にしか見えない祖父母を見て、不機嫌そうに言う。

「あれがお手本じゃ、自分のパートナーに対してどう接すべきかの基準がおかしくなる」

「テイル・ゴーストが、何かあったのか?」と、岩壁に背を預けているラナが問う。

「未だにお母さんにキスする癖が抜けないの」と、レミリア。「年頃の娘が観てることくらい考えてほしいんだけどね」

「レミー、としごろって何?」と、アベルが聞いてくる。

レミリアは笑ってごまかし、「いつかわかるよ」と言って、アベルの白に近い金髪をくしゃくしゃと撫でた。


2週間にわたる長旅から帰ってきて、書斎にこもったナイトはようやく金細工のアミュレットを首から外した。

「付けなれているとは言え、2週間、鎖が首にあたっていると言うのは…なんとも肩が凝るものだ」

「魔力の影響じゃない? いくら身を守るのものだって言っても、無理のある状態だったんだから」と、シェディ。この2週間の旅で、ナイトとはすっかり打ち解けたようだ。

「生まれて初めて日焼けの心配をしたよ」ナイトはおかしそうに言う。「さて、一休みしたら我々の次の任務を始めるぞ」

「戦争ってアフターケアが必要なんだね」シェディは、傍らのアンジェを見て、「アンジェ。ようやく、約束が果たせそうだよ?」と言った。


その戦争の終結を知らない者達が、地下でまだ活動していた。フェネルの研究員達だ。

「ありがとうございました」と言うメモと、1ドル紙幣一枚が丁寧に置かれた横にある機材には、何等かの薬剤を使った後、洗浄した形跡があった。

フェネルの研究員達は、誰が機材を持ち出したのか証拠をつかもうとしたが、防犯カメラのデータは魔力で削除されていた。

アンジェの血液を抜こうとした注射器だけが、唯一持ち去られた物だった。


オルドックの家に戻って来たアリアは、留守番状態にしてあった電話に、275件の夫からの通話記録があることを知って、一連の騒動の間、テイルに連絡を取るのを忘れていたことに気づいた。

最初のほうは、「連絡をくれ」とか、「何があったんだ?」等の短いメッセージが記録されていたが、後半は、ため息や、苛立ち気味に電話を切る音が記録されていて、

相当テイルをイライラさせていたんだろうと、アリアも気まずく思った。

お茶を飲みながら通話記録を聞いていると、新しい呼び出し音がした。慌てて受話器を取ると、「アリアか?」と、テイルの声がする。

「そうよ。ごめんなさい、ずっと連絡取れなくて」と、アリアは困ったように言う。実に半年以上がかかったが、彼女はようやく夫に事の顛末を伝えることが出来た。

「大変だったんだな」とだけ、テイルはアリアを責めずに言った。「俺のほうも、ようやく仕事が落ち着いてきたんだ。早く会いたいよ」

「ええ。レミーが、ミリィの所に行ってるから、帰ってきたら教えるわ」とアリアが言うと、「家族水入らずも良いけど、二人っきりで逢う事は出来ないのか?」と、テイルは聞く。

「私はキス人形じゃないわよ」と答えるアリアは少し怒っている。「まだお父さんの真似してるの?」

「そう言うわけじゃない。でも…。別にキスできなくても、ハグでも、手を握るだけでも…」と、テイルは段々、自分の要求を引っ込めていく。

「小指だけならつないであげるわ」と、アリアは言って、「レミリアを間に挟んでね」と付け加えた。