闇の鼓動 Ⅳ 7

一連の危機が去ってから、ラナはオルドックの家で、アリアとレミリアと共に同居するようになった。

アリアは職業柄多忙なのと、執事として働いていたルルゴが霊体になってしまったので、ラナをお手伝いさんとして雇った。

長期間のエネルギーの酷使のため、ルルゴの鬼火達は衰弱しきっていた。

レミリアが霊術で回復させても、一つまた一つと消えて行き、最後に生き残ったマリーナと言う名の鬼火も、レミリアの手の中でしばらく灯った後、「ありがとう」と言い残して消えた。

マリーナの火のぬくもりが残った手に、レミリアは「ありがとう」と声をかけた。

ルルゴの霊体は、自分の最後の奉公が終わったことを知って、悲しげだったが、何処か満足そうに微笑んでいた。

「ルルゴさん。あなたは、これからはどうする?」と、レミリアは聞き、「あ、そっか。お母さんの所に魂を添い遂げるんだっけ?」とからかった。

「その通りでございます」と、ルルゴは否定しなかった。「しかし、そのためには、レミリア様のご協力が欠かせません」

「私の周りに居るのは良いけど、お母さんから離れすぎないようにね」レミリアはそう言って、歯を見せてにやっとする。「それじゃ、『添い遂げた』ことにはならないから」

「レミリア様を見守るのも、わたくしの仕事でございます」兎のルルゴはスーツの襟を正す。「まだまだ、勤務は怠りませんぞ?」

レミリアは、「ボディーガードよろしくお願いします」と答えた。


ある日、ラナはアリアに指示され、感染者の集まっている「灯台」へ出かけていた。

始めこそ警戒されたが、銃も持たず平服で、おまけにお近づきの印として精肉工場から買い付けたブタの脚の肉塊を持って行ったのが、功を奏した。

感染者達は肉を受け取り、ラナに礼を言ってカインの部屋へ案内した。

「パン…じゃないが、食い物を持ってくる奴とはお友達でいたいからな」と、カインはラナに言う。「お前の裏に居るのは、マイクに護符を持たせた魔女だろ?」

同席していたマイクが、まだわずかに魔力を放っている護符を差し出して見せる。ラナは、それを見て、「ああ、その通りだ」と答えた。

「灯台」の外では、住人達が焚火をして大きな石を焼き、ラナの持って来た豚肉をその上に乗せて焼いている。

「私が作られた理由は知っているだろうが、今はその任務にはついていない。今の私は、その魔女…アリアの家の家政婦だ」

ラナはそう説明し、「アリアから伝言を持ってきた。お前達が、新しい種族として生きて行く方法を、共に探そうと」と続けた。

「確かに、俺達も市民権は得たい」カインは言う。「だが、既存の世の中で生きていけないことは分かっている。生きるなら、人の近づかない静かな場所が良い。この『灯台』みたいな、な」

「此処には人間は近づかないのか?」と、ラナ。

「この『灯台』の周りくらいなら、俺の意思で人間を近づけないくらいは出来る」とカインは言い、少し顔を曇らせる。

「しかし、あいにく俺も、寿命ってものがあるからな。いつまでも、この場所を守っていられるわけじゃない。俺が死んだ後でも、安全に生きられる場所に移住する必要があるんだ」

「了解した。それは、アリアに伝えておく」ラナはそう言って、マイクのほうを見た。「マイク。お前の体に起こった変異の経過を聞かせてくれ」

ラナはマイクとしばらく話し合い、ウェアウルフ・ウィルスの変異についての情報を、正確に記憶した。

「感染経路が飛沫と血液であることが変わらないなら、お前達が安全に暮らせる場所も探せそうだ」とラナは良い、「当面、何か手伝えることはあるか?」と聞いた。

「灯台」の者達は、いつかマイクが言った冗談を真剣に受け止め、ワニ園のワニの養殖を始めていた。

ワニの餌にするための鶏を、精肉工場から定期的に買い付けて来てほしいと頼まれ、ラナはその仕事を引き受けた。

そして、頃合いを見計らっていたカインが切り出した。

「相談と言えば。現在、一つの問題がある」と、カインは言う。「入ってこい」と、部屋の外に呼びかけると、男女二名が入室してきた。

「この二人が、子供を設けたいと言って居るんだが、『感染者』同士の子供にどんな影響が出るかを調べてもらえないか?」と、カイン。

「血液サンプルを提供してもらえるなら、調べられなくもない」と、ラナは返す。「数日中に、採血の道具を持ってくる」と答えて、その日は引き上げた。

あの「感染者」達が血を継いで行くなら、これからも細かいサポートが必要だな、と、ラナは思った。

そしてその記憶と思考は、デュルエーナの『ラナ』に読み取られ、本体であるトム・シグマと情報を共有することとなる。

彼等の未来を、トム・シグマは「憂慮すべき項目」として、データの中に保存した。


ベルクチュアの復興のニュースが、デュルエーナでも報道されるようになった。

荒れ果てた廃墟は、建物が再建され、綺麗な景観を取り戻しつつある。

ナイトは、息子のルディに、「今回の影のヒーローはシェディだ」と伝え、孫の活躍を語ってから、「良い子供に恵まれたな」と、ルディに言う。

ルディは、その話を聞いて、自分がシェディの「闇の者」としての能力を過小評価していたことに気づいた。

だが、素直にシェディを自由にする気はないようで、「よくやったな」と言ってシェディの肩を叩いた後、「次に戦争が起こったら、私もついて行くよ」と告げ、書斎を出た。

書斎のドアが閉まってから、シェディは、「『パパ』と一緒にトラベルに行くのは、三十年後でも良いかな」と言っていた。


アベルがかつて「動物園」と呼んでいた屋敷で、まだ生存の可能性がある実験体達は、食べるものを探して居た。かつてアベルが教えた、「柵を越えてはならない」という決まりを守ったまま。

庭草を食べつくし、冬が来る頃に、飢えた実験体達は、火の点らない屋敷の中で、衰弱して命を失った。

その屋敷の元の所有者が帰ってくる頃、屋敷のそこここには、奇妙な生き物の死体が転がっていた。

保健所に連絡すると、その亡骸達は、速やかに運び出され、焼却処分された。まるで、過去の罪悪を隠すかのように。


シェディの下に、新しい絵本が届いた。どうやら、かつてウィンダーグ家の小間使いだったボブ・アンデルを雇っている「エバーグリーン出版社」も、活動を再開したようだ。

シェディは、義理の妹になったアンジェに、ボブの絵本を見せてあげた。

「おおきなあめがふりました。くさきがするするとめぶき、ちいさないきものたちがめをさましました。いきもできないほどかわききっていただいちは、あたらしいいのちをあたえられたのです」

そう声に出して読んで、アンジェはシェディと目を合わせてくすっと笑った。

アンジェの体液は、ミリィの作った魔法薬で、「他者に影響する力」を失っている。定期的な魔法薬の服用が必要なので、完全に危険が無くなったわけではないが、普通の生活をするには支障はない。

ウィンダーグ家で暮らすことになったアンジェは、珍しいことに、血の気のないゾンビの執事を気に入り、執事が庭木の手入れや接客や食事の給仕等の仕事をしている間、後に着いて仕事ぶりを観察していた。

無表情で、機械的な動きしかしない執事だが、子供にはそれが面白いらしい。

執事も、家の「お嬢様」になったアンジェを無視するわけではなく、アンジェが「この花はなんて言うの?」等と聞くと、「ラピスローズでございます」と抑揚のない声で丁寧に答えていた。

その他にアンジェが気に入ったのが、ウィンダーグ家に飼われている二匹の猫だ。

リフォームでキャットウォークを作った天井を、するすると歩いている猫達を見上げ、やはりアンジェはその後に着いて、猫達が何処へ行くのかを観察していた。

そして、ネズミ狩りをしている二匹を見て、感心したように目を輝かせていた。

「バトラー。なんでも、アンジェはお前について歩いているようだが」と、書斎でナイトは聞いた。「様子はどうだ?」

執事は、アンジェが十数種類の花の名前を覚え、蟻の巣の場所を覚え、働き蟻達の動きを毎日観察していると告げた。

「なるほど。子供らしい好奇心を見せるようになったようだな」と、ナイトは言う。「良い子に育ちそうだ」


ある日、シェディからモデルの依頼を受けたレミリアが、ウィンダーグ家を訪れた。ベルクチュアとデュルエーナの間の検疫が解除され、自由に行き来が出来るようになったのだ。

「アンジェが会いたがってる」と言われ、レミリアは二つ返事でモデルの仕事を引き受けていた。

ウィンダーグ家を訪れた時、子供用のオシャレ着を着て、アンジェは明るい笑顔でレミリアを出迎えた。「レミー。久しぶり!」

「アンジェ~。髪伸ばしたんだね。似合ってるよ~」と、猫なで声で言って、レミリアはアンジェと目線を合わせるように地面に膝をつき、9歳になったアンジェを抱きしめた。

「それだ!」と、ハグをしているレミリアとアンジェを見て、シェディは叫んだ。「レミー、ちょっとそのまま動かないで」と言って、ポラロイドでレミリア達を写す。

それから、アンジェも巻き込んで、シェディは新しい創作に取り掛かった。