その日一日の仕事を終え、アリアは自宅に向かっていた。アミュレット工房と塾の講師を掛け持ちするのは慣れているが、近年は工房のほうが忙しい。
若い技師達も、次第に腕を上げ始め、独り立ちする者も増えてきたからだ。だが、少なからず工房に留まり、アリアの仕事を手伝ってくれる技師もいる。
リト・ロイドと名乗る、ある女性技師もその一人だった。魔術師の家系の者なので、恐らく工房に登録してあるのは「仮の名」だろう。
彼女は、最近特に腕を上げてきた。言霊を扱う方法も熟知しているし、何より手先が器用で、自ら作った細工の中に魔力を込める方法も体得している。
もし、このまま工房を続けることになったら、いずれは彼女に工房を任せよう、と、アリアは心の中で思っていた。
何せ、アリアの娘のレミリアは、12の時に魔女から霊媒師に転職してしまった。アリアは、自分の技の全てを受け継がせる弟子を探して居たのだ。
夜道を歩いていると、何かの気配がした。瞳に魔力を集め、気配のほうを霊視すると、「何か」が居る。アリアは立ち止った。
霊体にしては生々しく、生物にしては希薄な、なんとも言い難い気配だ。
アリアは、気配を良く見定めようとしたが、「それ」はアリアが警戒していることに気づいたように、姿を消した。
オルドックのアリアの自宅で、レミリアは母親の帰りを待ちながら、お遊び程度の「占い」をしていた。
霊媒師に転職してから、危険な時以外、魔力はほとんど使わなくなった。霊術で出来る「占い」はあるが、まだ霊媒師になって8年しか経たない彼女に使える術は限られている。
最初から霊媒師を志せばよかったのだろうか? と思ったが、生まれも育ちも魔力の世界で過ごしたので、そればかりはどうしようもない。
レミリアが今行なっている「占い」は、魔法陣の上にグラスボールを幾つか投げて、ぶつかったボールの転がった方向で未来を占うものだ。
「レミリア様。そろそろ睡眠をとられてはいかがですか?」と、魔法陣の向こう側で、レミリアの様子を見ていた執事服姿のウサギの霊体が言う。
「うん。もうちょっとだけ」と言って、レミリアは赤いグラスボールをひょいと投げた。
色とりどりのグラスボールが散らばる魔法陣の上で、不思議なことが起こった。ボールが、おかしな軌道を描いて勝手にぶつかり合い始めたのだ。
レミリアは、そのグラスボールの動きを目で追った。何かの「文字」を描いている。
頭の中に、誰の声ともつかない声が響き、「文字」を読み上げる。
「我、深き眠りに就きし者。目覚めし時、この世界の王とならんために」
レミリアは、とっさに自分の身の周りを霊術の結界で覆った。「何か」が、自分の体に憑依しようとしているのが分かったのだ。
結界にはじかれ、「何か」は、雲が蠢くような音を立ててレミリアの周りから退いた。
だが、一人無事でない者が居た。執事のウサギだ。結界の中に入り損ねたウサギに、「何か」が憑依している。
「忌々しい娘め」と、ウサギの声でそれは言う。「我に選ばれた事が気に食わぬか」
「メディウムは呪術師とは違う」レミリアは威嚇するように声音を強く言う。「お前は何者だ」
「我の眠る墓所までくれば、その謎は解けよう。この霊体、それまで預からせてもらう」
ウサギの霊体を乗っ取ったまま、「それ」は姿を消した。
レミリアが魔法陣の上を見ると、グラスボールがある図形の周りに集まっていた。
「『転生』の紋章…」
その図形を見た時、レミリアは頭痛を覚えた。何かのイメージの連続が、頭の中を走る。
夕日、石でできた墓、花を供える夫人、海の深淵、流星群、森の中、絡み合うように天に伸びる枝葉、そして、暗い夜空に、蝙蝠のような翼を広げた青年の姿のナイト・ウィンダーグ。
「ウィンダーグ様が…危ない」
レミリアは、イメージが消えた後も続く頭痛に耐えながら、アリアが帰ってくるのを待った。
玄関のほうで、ドアの鍵を開ける音がする。
「ただいま」と、アリアの声がする。レミリアはその声に返事を返そうとしたが、頭痛で舌が回らない。
リビングに入って来たアリアが、片手で頭を覆い、苦痛に顔をゆがめているレミリアに気づいた。「レミー。どうしたの?」と言って、娘に駆け寄る。
「ウィンダーグ家に…。連絡を…。ナイト・ウィンダーグ様が…」とだけ言って、レミリアは意識を失った。
夜景の光を避けるように、高い上空をふわふわと飛びながら、リッドは「おいしそうなもの」を探して居た。
父親と母親が吸血鬼でも、リッドはその能力をほとんど受け継がなかった。飛翔の能力も、パンパネラほどの持久力はない。
一晩で飛べる距離が限られているので、彼にとって「空を飛ぶ」事は、緊急の事態が起こった時の移動手段か、今のように散歩がてらに近いものがある。
町を3つほど通過した頃に、「百年分の時を食べても然して気づかれないだろう」と思われる、石造りの建築物を見つけた。
リッドはにやっと笑い、その建築物の屋根の先に取りついた。そして、片手にざらっとした緑青がつくのを確認し、
「実に見事な熟しっぷりだ」と満足すると、内部に誰の気配もない事を確認してから、建物から3桁分の「時」を食べた。
「おー。見た目にたがわず、中々イケるな」と言って、リッドは緑青の薄くなった屋根から手を放し、また夜空の高みへ飛翔した。
その時、リッドは一瞬地上を目に映した。
イーブルアイでこちらを見ている者が居る。
黒いワンピースを着た、金色の髪の少女。リッドは一瞬、レミリアを思い出したが、レミーは父親譲りの褐色の肌をしている。
その少女は、レミリアとは違う白い肌をしているが、レミリアと同じく睨むようにリッドを観ていた。
覚えている「孫の表情」が、睨むような目つきをしている時ばかりなのは物悲しい事だが、リッドはなんとなくその少女が気になった。
イーブルアイが使えると言うことは、この少女も闇の血を引いている。
少し話してみるか、と思いながら、リッドは人気のない通りに着地した。
レミリアをモデルにして描いた「リオナ」の絵をいくつか確認していて、シェディは「あれ?」と言った。
慎重に取り扱っていたはずのキャンバスに、黒いシミのような物がついている。
「カビでも生えちゃったかなぁ…」と言って、シェディはそのキャンバスを取り上げ、よく観てみた。
モデルを務めているレミリア…つまり「リオナ」の肩の上に、黒い影がある。
羽箒で拭いてみたが、シミは取れない。絵の具に日光は相性が悪いが、しばらく陰干しでもしよう。
そう考えて、そのキャンバスはアトリエの良く見える場所に保管した。
