大地の癌 Ⅰ 6

アリアは、長距離を飛ぶための複雑な魔法陣をリビングの床に描き、羊皮紙の地図に手をかざした。ミリィの岩屋の方向に固定してあった「追跡」の魔力を辿る。

ミリィの岩屋の中でも、アリアが描いたものと同じ魔法陣が用意されていた。

体が動かせないレミリアを強制的にミリィの岩屋に運ぼうとしているのだ。

アリアが「観て」いることに気づき、ミリィはその「視野」に向けて、「こっちの準備は万端」と声を送った。

「今、レミーを連れてくるわ」と、アリアも声を送り、レミリアの寝室に向かった。

絶対的に本人の意志が邪魔をするであろう術を完成させるには、周りが万全を期すしかない。

寝室でただひたすらボロボロ泣いているレミリアは、アリアに抱き上げられ、「あうー…。うあぁあー…」と、虚しい抵抗の声を力なく上げた。

歯医者に行くのを嫌がる子供をなだめるように、アリアはレミリアを運びながら言い聞かせる。「泣かないの。予言をする前までの時間を、ちょっと吸い取ってもらうだけよ?」

それが祖父嫌いの上、年頃のレミリアには耐えがたい恥辱なのだと言うことは、子供の頃からリッドと触れ合っていたアリアには分からない。

レミリアを魔法陣の上に寝かせると、アリアはテーブルの上の羊皮紙と、魔法陣の両方に手をかざしながら、「転移」の正式なスペルを唱え始めた。

「転移」を行なう時、スペルを唱えることは珍しい。大体の場合は、力場を発生させたと同時に術が完成するものだからだ。

魔法陣の中のレミリアを中心に、白い静電気のような光がバリバリと波打っている。レミリアが、霊術で「転移」の力場を阻害しているのだ。

無言の抵抗とは言え、エネルギーに溢れている年の霊媒師の「抵抗力」は強い。

スペルを唱えながら、アリアは床に描いた文字一つ一つに魔力を追送した。

あおむけに床に寝かせられたレミリアの、顔の横にあった文字が青い光を発した。「退魔」と同じレベルの力が使われているのだ。

レミリアの顔から血の気が引いた。これ以上抵抗を続けたら、全身骨折じゃ済まないかもしれない。

「レミー。体がバラバラの状態で『転移』させられたくないなら、いい加減にしなさい」と言う、アリアの怒りを抑えた心の声を聞いて、レミリアは観念した。

レミリアが静電気を発生させるのをやめると、アリアは残りのスペルを早口で唱え、「転移」の術を発動した。


岩屋の中に用意してあった魔法陣に、孫の五体満足な姿が現れ、ミリィは一安心した。「無事に着いたわ。ご苦労様。後は任せて」と、娘に声を送る。

岩屋の中のアリアの「視野」から、「お願いね。帰りは自分で帰って来させて」とアリアの声がして、視野は消滅した。

「さぁて、まずは原因を探らないとね」と言って、ミリィは片手の人差し指を上に向けた。レミリアの体が宙に浮き、岩屋のベッドに運ばれる。

「レミー。落ち着いて聞いて」とミリィは言って、乾きかけの涙でぐちゃぐちゃな孫の頬を、アベルが持って来た濡らしたタオルで拭く。

「これから、幾つか『記憶』のポイントを探って行くわ。リッドに『食べて』もらうのは、あなたの脳に悪影響を及ぼしてる部分だけ」

ミリィはそう言って、レミリアの額に触れた。


その日、リッドは一夜で国2つほどの区間を飛翔すると、真夜中に慌ただしくミリィの岩屋に辿り着いた。

羽をコートのスリットにしまい、「おーい。リーザ、火急の要件ってなんだ?」と言いながら、岩屋に入ってくる。

「あなたの夢が半分叶う日が来たって事よ」と、リーザことミリィは答える。「レミーから、一部だけ『時間』を食べてほしいの」

リッドは、柄に無くものすごく気まずそうな能面顔で、岩のベッドに横たわってるレミーを見た。「レミーから? 一部? 『時間』を?」と、片言のオウム返しに聞く。

「そう。食べる『時間』は、限定的な一部。それ以外は手を付けちゃだめ。出来なくないわよね? 昔は病人の『病巣』の時間だけ食べてたこともあったんだから」と、ミリィ。

「出来なくはないが…。本人の同意は?」と、リッド。

「おむつを替えてもらわなきゃならない状態が今後の生涯ずーっと続くのと、今一瞬だけ『複雑な気持ち』をするのは、どっちが平気? って聞いたら、後者を選んだわ」

「まぁ、そりゃー…。20歳の娘が選択するとなったら、そうだよな」とリッドは言う。「で、俺の『食べて』良い『病巣』は、どの辺りにあるんだ?」

「だいぶ古い時間よ。『触れれば』すぐわかるわ」

ミリィにそう言われ、リッドは少し考えてから、岩屋の壁をくりぬいたベッドに近づき、レミリアに声をかけた。

「レミー。お前が、俺を『大ぐらいの悪食じじい』であると思ってるのは分かってる。だけど、変な抵抗をされると、『病巣』を的確に狙うのはもっと難しくなる」

レミリアは、むっつりした顔で黙っている。

「手術をするとき麻酔をかけるのは、痛みや恐怖から患者を守るのと、手術をスムーズに進めるためだ。だが、生憎、此処に麻酔薬はない」

リッドの話は続く。

「なので、術をかけられる側が出来るだけ『リラックス』して、俺に『吟味』させてくれる余裕があると、オペは上手く行く。説明は以上だ」

そう言って、リッドはレミリアの額に触れるか触れないかの位置に手をかざした。

レミリアは、脱力したまま一瞬表情を引きつらせた。

「落ち着け。リラックス。構えるな」と、リッド。

レミリアが目を閉じ、出来るだけ「リッドが近くにいる事」を意識しないように努めると、ようやくリッドには「病巣」が見えたらしい。

「なるほど。かなり古い記憶だな。しかも、このごちゃごちゃとした…。まぁ、説明は良いか」と言って、リッドはレミリアの意識の中に刻まれていた「太古の記憶」を吸収した。


起き上がれるようになったレミリアは、「納得がいかない」と言う顔をしたまま黙っていた。

お腹が減っていたのと、イライラのためか、アベルが皿の上に用意してくれるハムチーズサンドを、作る側からがつがつ食べ、「お代わり」を繰り返している。

リッドのほうは、「食べた」時間の内容を考察している。「ふーん。おかしな味だったが、それに続いておかしな事件が起こりそうだぜ?」

「何が見えたの?」と、ミリィが聞く。

「遺跡と亡骸と夕日。断続的なイメージの羅列の他に、月に吠える狼と、素晴らしき俺の甥」

と言って、リッドは暖炉の前のチェアに座り、顎に手を当ててニヤリと笑む。「ちょっとしたパーティーがありそうだ。宴の後がどうなるかを見届けたいな」

リッドはまだ真っ暗な夜空を確認してから、「しばらくディーノドリン市に行ってくる。『観光』しにな」と言って、岩屋の外に飛翔した。

「ホント、落ち着きのないおじいちゃんだ事」とミリィはその背を見送って呟き、レミリアのほうを見た。「レミー。食べ過ぎると太るわよ?」

レミリアは、その問いには答えず、「ハーブティーお代わり」とだけ言った。