大地の癌 Ⅱ 7

ディーノドリン署中核コンピューター「トム・シグマ」は、ある日発見した。霊体の放つ微弱な魔力。過去、アリア・フェレオに仕えていた、執事のウサギ、ルルゴの魔力を。

それは、何者かの肉体を借りて術を発動し、かつてルルゴが人間を装う時に形作っていた姿をして、ディーノドリン市の街を歩いていた。

トム・シグマは、慎重にその様子を観察し、記録した。

「力」を見通す眼鏡をかけ、執事服のまま、魔力の続く限りに行動している。

赤茶色の髪の青年は、往来にあった鏡張りの壁に手をついて、不思議そうにそこに映る影を眺めていた。

空を飛ぶ飛行機の音を聞きつけ、視線をあげる。「だいぶ大きな鳥だな」と独り言ちる。「いや…鳥の形をした…石か? 鉄か?」

目は悪くなさそうだ。眼鏡越しに、物質の組成も分かるらしい。だが、知識が現代のものではない。

「この者はルルゴではない」と、トム・シグマは判断した。ルルゴの気配を持ち、能力を操っているが、中身は別者だ。

同時に、何故全く別の人物から、ルルゴそのものの気配がするのかが不思議だった。

悟られないように細かく魔力を調べると、その者は、ルルゴから「正式な魔力の授与」をされたようだ。そして、ルルゴの霊体ごとエネルギーを吸収した。

何故、ルルゴは自分を乗っ取った得体の知れない者に魔力を渡したのか。その疑問をデータ内に保存し、トム・シグマは観察を続けた。


鬱蒼とした山の中の道なき道…に見える場所を、アリア・フェレオと夫のテイルが、「近所の商店街にでも出かけた」ような様子で歩いている。

季節は夏だ。標高の高い山の中とは言え、歩いている2人はわずかに汗をかいている。

特に、50代に入ったアリアは、街暮らしに慣れてしまったこともあり、山道がきつそうだ。「実家に帰るのに足の裏が痛くなるなんてね」と、誰にと無く呟く。

「テイル。傷は?」と、アリアが振り返って言うと、右腕に包帯を巻いたテイル・ゴーストは、「ちょっと汗が染みる。痒いんだが、掻いちゃ…」と言いかけ、

「だめに決まってるでしょ」と、アリアに念を押された。

僅かな獣道のような道をたどり、出入り口に布を下げてある岩屋に辿り着く。

アリア達が岩屋に入る前に、岩屋のカーテンをくぐって、薄紫色のローブを着た12、3歳くらいの白い髪の少女が岩屋から出てきた。澄んだ水色の眼をしている。

「お母さん」と、アリアが少女に呼び掛けた。理由の分からないものが外から見たら、なんともおかしな光景だろう。「連絡した通りなんだけど、テイルが…」

「分かってる。さぁ、入って」と、少女は娘夫婦を岩屋に招き入れた。


岩屋の中のチェアに座り、テイルが自分で腕の包帯をはずすと、すっかり出血の治まった傷は、既に塞がりかけていた。

「まだ傷口が分かる状態でよかったわ」と、アリアの母、ミリィは言う。瞳に魔力を宿し、娘婿の腕を確認する。

「『花』が根を下ろした部分が、『変異』を起こし始めてる」と、ミリィは言う。「でも、全身にウィルスを撒いてる気配は無いわね。アリアの言う通り、『卵』を植え付けたみたいな状態だわ」

「薬剤で治せそう?」と、アリア。

「『変異』の性質を調べる必要があるわね。まだ、『花』から感染した者の前例がないから」と言って、ミリィは細い管のついた注射針を取り出した。「『変異体』を採取するわ。同意は?」

「研究のお力になれることを喜ばしく思う」と、テイルは冗談を言ってみせる。「俺も、出来たら腕は切りたくないからな」

「正直でよろしい」とミリィは言って、自分の周りに簡易結界を起動させた。

同じ空間に居るアリアも簡易結界を張り、ミリィはその様子を確認してから、テイルの右腕の「病巣」に、針を打った。


アレグロム南西にあるカーラの森、それが「孤立の村」の所在地だ。

その日は、村の数少ない祭事の日だった。ワニ園の周りにみんなで集まって、大人の手で一握り程に切り刻んだ鶏を、ケージの中のワニの口に投げ入れ、大盤振る舞いする。

特に、繁殖用に残されている雌のワニにたくさん肉を与えて、良い卵がたくさん生まれるように祈願するのだ。

子供達が、生の鶏の肉をつまみ食いしようとすると、大人達はげんこつをくれて叱りつける。「ワニ達に『もしも』のことがあったらどうする!」と言って。

子供達は、「もしも」のことが具体的に何のことかは知らない。だが、ワニの体に何か異常を起こさせる「悪い事」であることは分かっている。

レミリアやアリアが、「諸々の事情」で参加できないので、この度の祭事はカインが取り仕切り、ラナはせっせと鶏の解体に勤しんでいた。

ワニを育てることは、かつて彼等がベルクチュアの灯台で暮らしていたときの生活の名残だ。

今では、主な主食を豚やシカなどに移しているが、何年かがかりで大きなワニを育て、育て上がった際には、別の祭事で「敬意をもって殺傷」し、焼いて分割し村人の胃袋に収める。

閉ざされた村の中では、そんな小さな祭が、村人の心の拠り所だった。

最初はワニを焼いて食うだけの祭だったが、やがて祭で「舞いの発表をしたい」と言い出すものや、「楽器を演奏したい」と言い出すもの、果ては「歌を歌わせてくれ」と言い出すものまで現れ、

村の「祭」は芸術性を高めて行った。

「演者」達は、夫々に、衣装や化粧、髪の結い方などをアレンジし、朔月の夜の焚火の明かりの中で、日頃磨いた芸を披露する。

その「演者」の中に、ひときわ美しい声を持った女性が居た。「アリサ・テルア」と言う名の、ふくよかな体つきをした、20代半ばほどの優し気な面持ちの女性だ。

透き通ったソプラノボイスと、柔らかいアルトボイスを器用に歌い分け、その声は月の出ない夜空の下に響き渡る。

アリサは詩人でもあり、バイオリン弾きのミュアと言う女性と組んで、毎回自分達の「持ち歌」を作り、祭の度に「コンサート」を行なっていた。

2人の持っている普遍的なテーマは、「太陽と月、炎と水の栄光」だ。自然を「神」と崇める、異国の世界感を取り入れ、その「神」の与える試練と豊穣を歌い、奏で上げる。

既定の世界にある「造物主」から疎まれる存在となった自分達が、心を許せる「神々」を彼女達は探し当て、そしてその存在に尊敬と友愛を寄せているのだ。

「御心の雫を手の平に受け 宙を想う私達は新月の子供 暗き闇に炎を灯し歌う 与えられた生命の恵みは 果てることが無い宇宙の真」

ミュアの奏でる静かな弓の音の響きと、アリサが歌うその言葉に、観衆は聞き入り、時に微笑み、時に涙を浮かべる。

子供達は、何故大人達がアリサの言葉に涙するのかは理解できないようだ。何せ、「造物主」と言うものも、それにまつわる神話や伝説すらも知らないのだから。

自分達が、存在するだけで罰せられなければならない咎を負っている、等とは考えない。自分達を異端者などと考えない。

この村で生まれ育った子供達は、まだ概念において無垢なのだ。

カインは考えていた。いずれ、子供達にも、何故自分達が「外の世界」と触れ合えないのかを、それとなく教えておかないとな、と。

その答えを、アリサは既に歌い上げているのかもしれない。神聖な存在である「無垢なる自然」は、心を寄せようとも、触れることは出来ない尊いものなのだと。