大地の癌 Ⅳ 1

右腕が膿むように痛む。テイルは、熱を持った腕に、沢の冷たい水を浴びせたい気分だった。

だが、自分の腕に植え付けられたウィルスが、沢の中に流れ込んだら…。

「テイル。これを」と言って、ミリィが「凍結」の戸棚から取り出した、濡らして凍らせた冷たい布を娘婿に渡した。

「すまない」と言ってテイルは清潔な布を受け取り、右腕にあてる。

「アリアもリッドもレミリアも、何処で何してるんだか」と、珍しくイライラとミリィは愚痴をこぼす。「ウィンダーグ家でダンスパーティーなんかやってたら、呪いでもかけたい気分だわ」

「リッドはウィンダーグ家に居るかもしれないが、アリアとレミリアも見当たらないのか?」と、テイルは腕を冷やしながら聞く。

「アリアは留守。レミリアは行方不明」と、ミリィ。「こうなったら、私が『外出』するしかないわね。アベル、テイルの身の周りのこと、よろしくね」

8歳ほどの、プラチナブロンドの髪とアースアイの少年は、突然大仕事を任されて目をぱちぱち瞬いたが、「うん」と答えた。

ミリィは、外出前にできるだけ入念な用意をした。結界をはれるタペストリーを床に置いておき、あらかじめ術を刻んだ護符をタペストリーの4隅に置く。

モップとタライとかまどに生活魔法を設定し、掃除と洗濯は自動で行なえるようにして、かまどの火は調理器具やパンを網に置いたときにだけ発火するようにした。

「もしもの時のために」と言って、ミリィは「強制睡眠薬」を戸棚から取り出し、アベルに手渡した。「テイルが、発熱に浮かされるようなことがあったら、飲ませてあげて」

普段の勉強の知識から、アベルはその薬がとても作用の強いものであることを知っていた。量や服用の時間を間違えば、眠ったまま死んでも目が覚めないこともある薬だ。

8歳の少年は、自分に任された仕事の重大さに、気を引き締めた。「ミリィ、いつまでに帰ってくる?」

「長くは離れないわ。丸1日時間があれば…『なんとかできるかも知れない』としか言えないけど、私まで『行方不明』に成ったりはしないわよ」

と言って、ミリィはアベルの頭を撫で、テイルのほうを見る。そしてこう告げた。「私まで『帰って来れない事態』に成ったら、地図に信号を送るわ。その時は…腕を、切り落としなさい」

テイルは、表情を硬くし、少し悩むような間を置いてから、「分かった。切った腕はどうすれば良い?」と聞く。

「油をかけて燃やして。骨すら残らないように」ミリィは言う。「でも、それは最終手段よ? それに、その措置をとっても、安全かどうかは分からない」

「分かった。こっちに異常が起こったら、エッジを送る。エッジがウィンダーグ家に行くようなことがあったら、俺達のほうの『危険信号』だと思ってくれ」

「了解。最善を尽くすわ」と言って、ミリィは自分に「変化」の術をかけた。12歳ほどの少女の姿だったミリィの体が、一羽のコンドルになる。

岩屋から飛び立って行ったコンドルを見送り、テイルはため息をついた。「花を引っこ抜いただけで、命の危機にさらされるとはな」

アベルは、テイルの緊張が分かったようで、テイルが腰を掛けている席の斜め横に座り、「僕、何の力もないけど、ちょっとだけ薬の知識はあるんだ」と言い出した。

「今、ミリィから預かった薬、なるべく使わないほうが良いから、まずは気分を落ち着けることから始めよう。カモミールを乾かしてあるから、お茶淹れるね」

少年はそう言って、戸棚から茶葉の入った陶器の箱を取り出した。

テイルは、自分に息子が居たら、こんな気分だろうか、と想像した。10歳にもならないのに、妙に大人びてて、背伸びをしていることは分かる。だが、そこにいるだけで安心できる。

「一人ぼっちじゃないって言うのは…こんな感じかな」と呟くと、かまどのほうに行っていたアベルが、「何か言ったー?」と声を返してきた。

「いや、なんでもない」と答え、テイルは凍結の溶けてきた布がまだ冷たいうちに、包帯のように腕にぐるぐる巻いた。


長い黒髪と青い目の、革の衣服を着た男装の女性。パンパネラのハンター、ルーゼリア・ボリトスは、ナイト・ウィンダーグの依頼で遠く異国に向かう長距離列車に乗っていた。

夜行便の列車の中は、寝台付きの個室になっており、ルーゼリアは部屋で地図を見て、青いカラーコンタクトレンズ越しにイーブルアイを発動していた。

ナイトからの情報では、ナイトの妻エリーゼの霊体は、「レナ・ウィンダーグ」の下に居ると言う。場所はアレグロムと言う国の「何処か」であるとしか教えられていない。

ルーゼリアの他にも、ナイトは数名の協力者を募ったらしく、ルーゼリアが「探さなければならない範囲」は、ある程度限られている。

アレグロムの西側の、中央から北の部分。その範囲に焦点を当て、「レナ・ウィンダーグ」の気配を探す。

レナ・ウィンダーグは霊術の才もある魔女で、その魔力は本人が抑えていても非常に強いそうだ。

「しかし、パンパネラと人間のダブルか…。昼間に移動していたら厄介だな」と言って、ルーゼリアはナイトから預かった金細工のアミュレットを取り出した。

弱い日光からの影響を防いでくれる、パンパネラ用のアミュレットだと言う。

列車がアレグロムに到着するのは早朝だ。アミュレットで日光を防いでいるうちに、建物の中に避難しなければならない。

「面倒な仕事だ」とルーゼリアは呟いて、アミュレットを首にかけた。


ナイト達が「古代王」に関する騒動を終えて、1日も経たないうちに、ウィンダーグ家に客が来た。

赤いベロアのコートを着て、コートからはみ出る長いスカートを履き、黒いタイツと赤紫のハイヒールを履いた…一見、女性だ。

美しく化粧をし、上品な香りの香水を纏っている。縮れた墨色の巻き毛を繊細な髪留めで二つに結い、コートと同じ色の帽子被っている。そして、片手には大きめのバッグ。

応接室でその人物と会ったナイトは、「今日も肌の調子は良いようだな。サミュエル」と声をかけた。

「いやーね。ドラァグしているときは、サリーって呼んでって言ってるでしょ?」と、赤いコートのサミュエルは言う。「私の魂の名よ?」

「それは…」と言いかけ、ナイトは少し黙ってから、「以後、気を付ける」と答えた。

「あなた、いつもそう言うわね? でも、一度でもサリーって呼んでくれたことあった?」と、肩をくねらせ、意地悪気に「サリー」は言う。

「今回は、その話はやめてくれ」と、ナイトは頼んだ。「それより、電話で伝えた通り、お前の協力を仰ぎたいんだ」

「はいはい。存じておりますわ。奥様の霊体を探したいんでしょ?」と言って、サリーはたっぷりのマスカラで際立たせた睫毛を優美に伏せる。手元のメモ用紙を見ているのだ。「奥様の名前は?」

「エリーゼ」と、ナイトは短く答える。

「結婚前のファミリーネームは?」と、サリーの質問は続く。

「ティアーズ」と、ナイト。

それから、サリーは生前のエリーゼの写真を見て、髪と目と肌の色と質感を暗記した。

サリーの質問は多かった。エリーゼが亡くなったのは何年前か、若い頃の彼女の写真はないか、エリーゼの「気配」が残っている遺品はないか。

血の気のない執事に、それらの質問の対応をさせ、ナイトは術師が「情報」を飲み込むのを待った。

「ナイス。ナイス。ベリーナイスよ」と、サリーは言う。「あなたがどれだけ奥様を愛していたかは分かったわ」

「それはどうも」と、ナイトは答えた。

サリーは応接室のテーブルに置かれたアレグロムの地図を見て、目に赤い光を灯した。「ふーむ。確かに、霊体は現世に居るわね。ひとつ、質問するわよ?」

「どうぞ」と、ナイト。

「奥様の得意料理を覚えてる?」と、サリー。

「『料理の魔法使い』と呼んでたくらい、料理はなんでも得意だった」ナイトは言う。「主に、私達の子供達にその腕を振るっていたんだが、私がハッキリ味を覚えているのはフルーツサラダくらいだ」

「包丁を扱うのが上手だったのね?」

「そうだな。それから、結婚後は、自分でケーキを焼いたりしてた。ココア色の四角い…そうだ。ブラウニーとか言うケーキだ」

「ふむふむ。他には?」

「彼女の作ったフライドチキンの隠し味を、当時のメイドが尋ねたりしていたな。子供達の話では、『とびっきり美味しいチキン』だったらしい」

「なるほど。うん。焦点が絞れてきたわ」と言って、サリーはバッグの中から、自分の魔力を刻んだポラロイドカメラを取り出した。

カメラのレンズを、自分の額に向け、シャッターを切る。巻きだされて来たフィルムに写っているのは、サリーの額…ではなく、青白く光る何かの影だった。

サリーは、魔力を維持しながら連続してシャッターを押す。数枚のフィルムがテーブルの上に並ぶ。

フィルムが乾いてくると、ハッキリと何処かの風景が映っていた。

「どうやら、あなたの奥様は、あなたに知らせたいことがあるみたいだわ」と、サリーはカメラをバッグに戻しながら言う。「自分の姿を見せるより、観てほしいものがそのフィルムの中にある」

「森の中だな…。地面に何か散らばってる」と、フィルムを見ながらナイトは言う。「白くて四角い…手紙か?」

「これ、女の子が映ってるわ。これ、あなたの娘?」と、サリーは聞く。

サリーが手に取った写真に写っていたのは、長い黒髪と、黒い目の少女。

「アンジェだ…」と、ナイトは呟いた。