ウィンダーグ家の屋敷に入ると、ミリィは少し両肩が重くなった気がした。
結界の効果かと思い、屋敷の壁に書かれている紋章に視線を送ったが、ミリィの魔力に負荷がかかるような処置はされていないようだ。
屋敷の中に、「何か」が居る。決して住人達に好意的ではない、「何か」が。
「こちらです」と、ルディは歩を止めていたミリィに声をかけた。
ミリィは、黙ったままルディの後に続いた。
ミリィがウィンダーク家を訪れた日の昼間、アレグロムの宿に籠っていたルーゼリアの携帯電話に、着信が入った。
「ルーゼリア・ボリトスだ」と言って、電話に出ると、「エミリーよ。久しぶりね、お嬢ちゃん」と、15歳くらいの少女の声がした。
「ナイトの知り合いの魔女か」とルーゼリアが言うと、「そう。今回の仕事、私も参加させてもらってるの」と、エミリーは答える。
エミリーはこう続けた。
「まだあなたが動くには早い時間だと思うけど、私の『予知』では、あなたの管轄になってる区域に、ちょっとした騒ぎの種があるみたいなの」
「騒ぎと言うと?」と、ルーゼリアは聞く。
「そうね…。依頼された仕事と関係あると言えばある。無いと言えば無い。だけど、とても重要な事。見過ごせば、ちょっとした騒ぎどころじゃなくなるわ」
エミリーは電話をしながら手元で「占術」を行なっているらしい。
「水には気を付けて。川を流れている水は、特に注意よ。それから、もし旅先で食料に困っても、川で魚を採って食べようとはしないでね」
「了解。その他に気を付けることは?」と、ルーゼリア。
「あなた、銃を使ってたわよね。もし、旅先で魔獣や半獣人に遭っても、返り血を浴びない事だけは気を付けて。それを守れれば、あなたに降りかかる災難は回避できる」
「助言は心得た」とルーゼリアが答えると、エミリーは「じゃぁ、お互いベストを尽くしましょ」と、少しだけしわがれた声で言って、電話を切った。
術を使いながら、電話の魔力もキープできるとなると、相当な魔術の使い手だ。
ルーゼリアは、ずいぶん昔にその魔女と面識があったが、その当時から、「異常なくらいの」魔術の才を持った者だと思っていた。
「水か…」と、ルーゼリアは呟いて、喉が渇いたので携帯用のウィスキー入れから少々のリキュールをあおった。
ベルクチュアのアミュレット工房に寝泊まりして、アリアの弟子、リト・ロイドは複数のアミュレットを作っていた。
どれも、雪の結晶のような複雑な形をしており、仕上がった物をアリアが確認すると、結晶の形の先端から、何等かの魔力を放出している。
リトは、「何のアミュレットを作っているのかは分からない」と言っていたが、アリアが魔力を込めた眼でアミュレットを見ると、「退魔」と「守護」の力を強く放っている。
しかし、その力は人間に適したものではない。何からの「変化」を起こしている者達を守る力を発している。
アリアは、きっと食事を満足にとっていないであろう弟子の所に、ベーカリーから買って来た大量のベーグルと、ジュース屋で買ったスムージーを持って行った。
「リト。食事休憩はとりなさい」と言って、アリアは紙袋に包まれたベーグルと、専門の容器に入れられたスムージーを差し出した。
「はい。もう少し…」と言って、リトが作業を続けようとするので、「人間が集中できるのは45分間」と言って、アリアはリトから彫刻刀を取り上げ、パンを持たせた。
リトもさすがに諦め、ベーグルを齧った。だいぶ空腹だったようで、ほとんどパン生地を噛まずに、がぶがぶと食事を摂る。
「ちゃんと噛んで。ベーグルは喉に詰まりやすいんだから」と、アリアは優しく声をかける。
「ふぁい」と曇った声で答えて、リトは目を白黒させながら、確かに喉に詰まりかけたベーグルを、スムージーでなんとか飲み込んだ。
それまで蒼白だったリトの顔に赤みが戻ったのを確認し、アリアは少しほほ笑んだ。「リト、誰かのために力を使うって言うのは大事なことだけど、力を回復する力と言うのも、必要なのよ?」
まだ少女だった頃のアリアが、仕事に熱中しすぎて体を壊した時、ヒーラーから聞いた言葉を、アリアはリトに伝えた。
「あなたはまだ成長期。これから、あなただけの力を発現するときが来る。それまで、体を壊さないようにね」
「はい…」と、気弱そうにリトは返事をする。3個目のベーグルをもぐもぐと咀嚼し、嚥下してから言う。「私、『囁き』を聞いたんです」
そう言って、リトは古い港の灯台であったことを、アリアに伝えた。
アリアは、何故リトから「別人の魔力の気配」がするのかに、見当がついた。それと同時に、リトが作っているアミュレットは、「あの村」を守るためのアミュレットなのだと言うことも。
いくら弟子とは言え、今はまだリトに村の秘密を教えることは出来ない。「その時」が来るまで。
アリアは、「そのオルガと言う女の子が、『守ろう』としているものがあるね」とだけ答えた。
「そう言うことなんだと思います」と、リトも言う。「でも、私には、何を守ろうとしているのかが分からなくて…」
「どんな風に自分をコントロールすべきか、悩んでるのね?」と、アリア。
「はい。でも、細工が出来上がる頃には、いつの間にか魔力がこもってるんです」と、リト。「なんだか、訳が分からないまま行動してるみたいと言うか…」
「安心して。あなたは、確実にそのオルガと言う少女の思いを引き継いでる」
アリアは、そう言ってリトを勇気づけた。
「でも、魔力に唯操られちゃならない。自分の生命を維持することも必要よ。よく食べて飲んでよく眠って、それから、よく働きなさい」
アリアはそう言って、取り上げていた彫刻刀を、作業台の上に置いた。
書斎でミリィの話を聞いて、ナイトは以前「サリー」が念写したフィルムに、何故アンジェが写っていたのかを納得した。
「私達は経緯を承知したが…。アンジェが『協力』してくれるかどうかは分からない。一時的に、魔法薬の服用を辞めなければならないからな」
「大人の間だけで話し合ってても仕方ないよ」と、シェディは言う。「すぐに、アンジェに話をしよう」
シェディはそう言ってレミリアを見た。レミリアも頷き、2人は急いで書斎を後にした。
子供達が、アンジェを呼んでいる声が書斎に響いてくる。
「それにしても、大地の癌が、そんな能力を残していたとはね…」と、ナイトは呟く。「『花』が何処に咲いてるかもわからないしな。災害に見舞われるのは、ゴースト氏だけではないだろう」
「それと、ウェアウルフ化を、『人間を完璧にコントロールするための術』だと思ってる連中に、『花』の存在を知られるわけには行かないわ」
ミリィは厳しい表情で、ナイトとルディに言う。
「『花』の寿命がどれくらいかは分からないけど、テイルが見つけた『花』には球根があったそうよ」
「なるほど。一年草ではないわけか」と、ナイト。「私とシェディが遭遇した『大地の癌』の『花』は、水仙だった。あれも、確かに球根がある」
ナイトは、話に付いて来ていないルディを置いてきぼりにしたまま、ミリィと話を煮詰める。
「『実験体』に植物のデータを組み込んだ、と、グランの研究施設にいた職員が言っていたことがあるが、組み込まれた植物のデータによって、長期間生き延びる『花』があると言うことかと」
「一度、ベルクチュア国内に『花』が残って無いかを調べなきゃならないわね」と、ミリィ。
大人達が話をまとめたところに、レミリア達がアンジェを連れてきた。
ディオン山の岩屋で、鬼火のエッジは「次第に差し迫ってくるテイルの症状」を、口惜しげに見ていた。
「花」の根に刺されたテイルの腕は、段々と腫れあがり、指先は鬱血してわずかに紫がかってきている。
テイルは発熱する腕を冷やすために、「凍結」の戸棚から取り出した凍らせた新しい清潔な布を、何度も腕に当てている。
アベルは、自分の知っている薬草の知識から、「睡眠」を促す薬を作り、ベッドに横たわったテイルに飲ませた。
ミリィの置いて行った薬を使うのは、岩屋の中で出来る「治療」の最終手段だ。アベルはそのことを理解している。
アベルの作った薬で、テイルが眠り込んだ後、エッジは「私、ウィンダーグ家に行ってくる」と言い出した。「これ以上悪化するのを見てられないよ」
「待って。まだ、ミリィが出かけて丸1日も経ってないよ」と、アベルは反論する。「テイルが、普通の薬で眠れてる間は、待とう」
「そんなこと言ってもさぁ…」と、エッジも食い下がる。「指も紫色になってるし、腕の腫れも異常だよ。腕を切り落とすか、私がウィンダーグ家に飛ぶか、選ぶなら?」
アベルは言葉に詰まったように少し黙って、「どっちも選ばない」と答えた。「きっと、もっと最善の手段があるはずだよ」
「アベル。お前は神様でも信じてるのか?」と、エッジは説教する。「奇跡なんて、待ってても起こりゃしないんだ。もう、お前の意見は聞かない!」
エッジはそう言って、岩屋を飛び出した。
