岩屋の近くに大きな雷が落ち、岩屋のかまどで鍋をかき混ぜていたアベルは、ビックリしておたまを落っことした。
テイルが起きるんじゃないかと思ったが、アベルの作った睡眠薬は正常に効能を発揮しているようだ。
床に落ちて砂のついたおたまを、水で洗おうと裏口に向かうと、表の入り口のほうから、「アベル!」と、彼の名を呼ぶミリィの声が聞こえた。
アベルは、一度おたまを裏口の棚の上に放っておいて、表口に走り、「シーッ。ミリィ、静かにして」と言った。そして、ミリィの連れて来た客の数に唖然とした。
レミリアが「岩屋」に増えるのには慣れていたが、知らない大人の男の人が2人も居る。
アベルは、とっさに家具の陰に隠れた。
「アベル。怖がらないで」と、レミリアが声をかけてきた。「この人達は、私達の親戚だよ。こっちの白い髪の人がナイト・ウィンダーグ様で、こっちのこげ茶の髪の人はシェディ・ウィンダーグ」
アベルは、親戚と言うのはどう言うものか分からなかったが、名前を教えられたので、自分も名乗るのが礼儀だと思った。
「僕の名前はアベルです」と言って、左手を差し出す。
アベルの小さな手を握り返し、ナイトは優しく微笑む。「ナイト・ウィンダーグだ。左手が利き手かい?」
ナイトに意地悪を言われて、アベルは顔を真っ赤にした。「そうなんですけど…。中々、治らなくて」
「自己紹介や世間話してる場合じゃないだろ!」と、エッジがゼーゼー言いながら割り込んでくる。「ミリィ。さっき言った通り」
そう言って、妖精の姿のエッジは、小さな指先を岩屋の壁のベッドに向ける。
そこには、腕を鬱血させ、眉間にシワを作りながら眠りこんでいるテイルが居た。花に刺された片腕が、おかしな瘤を作り始めている。
「薬を作るまで時間が無い」と、ミリィは判断した。「腕を切開するわ。『瘤』になってる部分を摘出する。レミー、手術を手伝って」
アンジェが言う。「私はどうしてれば良い?」
「手術が終わり次第、採血するわ。たぶん、4時間以上はかかるから。男の子達と、外に居て」と、ミリィ。
岩屋から追い出された男性陣とアンジェは、しばらく黙って岩屋の入り口を見た後、「陣取り遊びでもする?」と言い、手頃な石と木の枝を探し始めた。
「大地の癌」が人の体に巣くった時、それは確かに「癌細胞」と呼んでも良い増殖をしていた。しかも、短期間に。
ベルクチュアの寺院で働いていたレミリアは、「手術」を目にするのは初めてではない。だが、見知った人間の腕が異様な有様になっていることにショックを受けた。
ミリィは岩屋のベッドの周りに守護の結界をはり、内側を無菌状態にして、手術着を纏う代わりに簡易結界を起動した。
「レミー、霊術は阻害しないようにしてあるから、テイルの腕に『麻痺』の術を」と、ミリィが指示を出す。
「う、うん。分かった」と言って、レミリアは両手に乗せていたエッジを暖炉の前のチェアの上に置くと、父親の腕に向けて、「麻痺」の術をかけた。
一時的に腕の感覚が無くなったようで、眠ったままのテイルは表情を緩めた。
ミリィが、メスの代わりに風の刃を纏わせた指先で、テイルの腕の皮膚を切り開く。瞳に魔力を宿し、「変異体」の作っている「瘤」を見定める。
動脈や重要な神経を切らないように注意を払い、なおかつ「変異体」の塊を、薄い肉を纏わせたまま抉り出す。
「実際の癌細胞よりマシね。『変異体』は血管を纏ってない」と、ミリィは手術をしながら言う。
「出血は無いの?」と、手術の様子が見えないエッジが聞く。
「多少の出血は仕方ないわ。起きた後、しばらく貧血になるかも。輸血が出来ないから」
そう言いながらミリィは娘婿の腕から親指の先ほどはある肉の塊をいくつか取り出した。
ミリィは、抉り出した変異体を、無菌状態にしたシャーレの中に取っておいた。シャーレの周りに簡易結界をはり、状態を保存する。
アンジェの血液から作った薬が、「変異体」に実際に効くかを調べるためだ。
以前はテイルの腕に薬液を直接注射していたが、もうテイルには「実験」を身に受ける体力が無い。
縫合の代わりに治癒の魔術をかけ、テイルの腕から出血した静脈血を「浄化」の術で殺菌してから、ミリィは「無事に終わったわ」と、レミリアに告げた。
手術の続いていた4時間の間、「麻痺」の術を維持していたレミリアは、渾身の力を使い切ったかのように、岩屋の床に座り込んだ。術が効果を無くす。
アベルがテイルに飲ませていた睡眠薬も効き目を無くしたようで、テイルは目を覚ました。また眉間にしわを作りながら。
「腕がチリチリする」と言いながら、ベッドの上に体を起こす。そして、気分が悪そうに額に手を当てた。
「お父さん。まだ起きないで。横になって」と、レミリアは我に返って床から立ち上がり、テイルに駆け寄って声をかける。「血液が足りてないんだよ」
「レミー…。今まで、何処に居たんだ?」と、父親が気にするのは、まずそこだ。
「それは後で説明するから、今は横になってて。えーと、ミリィ、鉄剤ってある?」
「薬棚にあるわ」と言って、ミリィはアンジェを呼びに行った。
夜行便の飛行機が、滑走路から離陸する。黒いベール姿のパトリシアを、同じ国から飛行機に乗った男性達が、不思議な物を観るようにじろじろと眺めてくる。
女が一人で、それも民族衣装をまとったまま飛行機に乗るのは、確かにこの国では「珍事」だ。
だが、慌てて家を出てきたパトリシアは、髪を整えていなかった。彼女は、血筋として小さな「角」を受け継いでいたのだ。
普段はまとめた髪の中に隠しているが、その時のパトリシアは、長い金髪を肩に乗せたままにしていた。
飛行機が気流に乗り、シートベルトをはずせるようになった。パトリシアは、急いで化粧室に向かった。髪を結って、角を隠さなければならない。
1ヶ所しかない化粧室を占領するのは気が引けたが、まだ誰も機内食も食べてないし、ジュースも飲んでない。個室に籠るな今の内だ。
5分かけて髪を結い、角を隠した。ようやく、ベールをはずせる。
席に戻ったパトリシアは、一時的に「危険」が去ったことを察して、ため息をついた。
「お食事はいかがですか?」と、客室乗務員に声をかけられ、ドキッとしたが、唯の機内サービスであることが分かって、「ありがとう」と答えてメニュー表を受け取った。
ミリィ達が手術を行なっていた頃、ウィンダーグ家に施されている守護の結界の作り主、エミリー・ミューゼに、ルディが電話をかけていた。
しかし、電話に出たのは男性だった。「誰だ?」とぶしつけに聞いてくる。
「ルディ・ウィンダーグです。ナイト・ウィンダーグの息子の。エミリーさんはいらっしゃいますか?」と、答えると、電話の向こうの男性は、「エミリーは今、外国旅行中だ」と言う。
「あなたのお名前は?」と、ルディ。「エンダー・ホーク」と、短く男性は答える。
「ミスター・エンダー・ホーク。あなたは、確か…エミリーさんの相棒でしたよね?」
「そうだが?」
その答えを聞いてから、ルディはエンダーに「ウィンダーグ家に設置されている結界の機能がおかしくなっている」事を告げた。
エンダーは言う。「具体的にどんな魔術を使っているかは、本人に聴かないと分からんな。エミリーと通信が取れるようになったら連絡する」
「ありがとうございます。お願いします」と言って、ルディは電話を切った。
書斎に居たアンドロイド「ラナ」が、「エミリーは居なかったのか?」と聞いた。
「ああ。外国旅行中だそうだよ」と、ルディ。「エミリーさんと通信が取れたら折り返してくれるって。それまで、僕達でもわかる範囲の情報を収集しよう」
「そうだな。我が主が帰って来ないうちに」と、ラナ。
「留守番中に失敗した子供みたいな気分だ」とルディは冗談を言う。「親が帰って来ないうちに片づけはしないと、みたいな?」
「同じ気分だ」と、ラナは答えた。
アリアからの差し入れで、食事の行き届くようになったリト・ロイドは、眠る間も惜しんでアミュレットを作り続けていた。
その数は、もう100を越えようとしている。
塾の講師の仕事を終えてから工房に来たアリアが、リトの顔を見て「あなた、眠ってないでしょ?」と問い詰めた。
「時間が無いんです」と、リトは言う。「もう少し…もう少しで、全員の分が…」と、リトはもはや自分で何を言っているかもわからないようだ。
「リト。前も言ったでしょ。魔力に振り回されちゃだめよ」と言って、アリアはリトの額に触れようとした。
「やめて下さい」と言って、リトはアリアの手を振り払った。「今眠ったら…。力が維持できない…」
それを聞いて、アリアは、ふーっと息をついた。それから、「分かったわ。私も協力する」と言って、改めてリトの額に手をかざした。
「治癒」の力を、リトの頭の中に送り込む。
リトは、それまでの疲れが急に無くなったのが分かった。動きの鈍くなっていた手指も機敏さを取り戻し、肩や首の凝りも無くなった。
「あなたの操ってる魔力を阻害しないように、頭の中だけ『治癒』したわ」
アリアは説明する。
「でも、『疲れを感じなくなった』だけで、体は実際には治癒してない。カフェインで疲れをごまかすのと同じよ。この方法にも、『限界』はあるわ。無茶はしないようにね」
「ありがとうございます」と言って、唇を噛んで笑顔のような表情を作ってから、リトは再び細工を作る彫刻刀に力を込めた。
治療所に戻ったレイアは、フェルに先にシャワーを使わせている間に、イーブルアイで姿見を見つめた。
霊視の力で、鏡に映った自分の周りを見る。
姿見に映っているのは自分の影だけ…のような気がしたが、自分の姿と重なるように、青白い「そばかす」が見えた。
「母様? やっぱり、母様なの?」と、レイアは鏡の中に声をかける。
青白い影が、ふっと口元を笑ませた。そして、何か言っている。だが、声は聞こえない。何度も、何度も、同じ形に口を動かす。
「く、す、り、を、と、ど、け、て」と、レイアは霊体の唇を読んだ。
「母様、何処へ?」と、レイアは聞く。
レイアの頭の中に、以前見たことのある景色が思い浮かんだ。細かい路地の続く村。ハンモックで揺られている赤ん坊が泣いている。
大声で泣いている赤ん坊の口には、狼のような牙があった。
フォルルの村だ、とレイアは気づいた。あの村の危機は、まだ去っていなかったのだ。
