大地の癌 Ⅳ 6

宙に大きな下弦の月がかかり、何処かで狼の遠吠えがする。ネシスとネイクは、フォルルの村の中央広場まで走りながら、その声にゾッとした。

「ネイク、先に結界に入って。私が先に入ったら、あなた置いてきぼりに成っちゃう」と、早口で状況を告げる。

「う、うん。でも、私まで狼に成ったりしないよね?」と、ネイクは以前の事件のことを思い出して警戒している。

「大丈夫。その問題はもうクリアしたから」と、ネシスは友人を励まし、ネイクが2重円の内側に入ったことを確認してから、斜めクロスのアミュレットを握りしめ、自分も結界の内側に入る。

呪術の結界は正常に起動した。少女達は、結界の中で身を縮め、お互いの手を握って震えを我慢していた。

異形の者に「変化」した、ウェアウルフ・ウィルス保菌者達が、広場に入ってくる通りの中で、互いを食い殺し合っている。

「ガナードの奴は何やってんのよ」と、ネシスは泣き声で愚痴る。「私達だけ助かっても、村がボロボロだよ」

「ネシス。悲観的にならないで」と、ネイクは勇気づける。「私達は、なんにもできないけど、考えることはできる。思い出してみよう。この騒ぎが起こった原因に心当たりはないか」

「原因も何も…」と呟きながら、ネシスは思い出した。一番近い記憶は、つい昨日だ。

川辺の地区に住んでいるある家の母親が、「赤ん坊に牙が生えた。これは治せないのか」と、村の中央にある医者に相談に来ていたそうだ。

その前のことを思い出すと、やはり川辺に住んでいる、ある家族が、「水のにおいをかぐと気持ち悪くなるんだ」と言って、総勢15名の所帯を連れて医者にかかりに来ていた。

その前にあったのは、やけに村に近い場所で狼の遠吠えが聞こえ、やはり村の川辺の地区に住んでいる家で、火事が起こった。近隣住民が水で火を消すと、家の中でおかしな獣の焼死体が見つかった。

その情報を互いに言い合いながら、ネシスとネイクは「思い当たる節」を探し始めた。

何故、川辺の地区にだけ騒動が多いのか、川辺の地区から、段々と村の中心部へ向けて「何かが押し寄せてきている」気がしないか、と。

全ての問題に共通するのは、「水」だ。

「ネイクの時もそうだった。きっと、あの病気にかかった人達は、『水』に、拒絶反応を起こすんだ」と、ネシス。

「うん。それと、この騒動って、全部『川辺』の地区の人達が異変を訴えてる」と、ネイクが言った。「村の横を流れてる川。あの川で、何か起こってるのかも」

「例えばだよ?」と、ネシスは公園の周りで起こっている弱肉強食の世界から気をそらすように、ネイクを見て言う。

「牙の生えた赤ちゃん。あの赤ちゃんが、もし、病の素の混じった川の水で冷やしたミルクを飲んでたら?」

「水をぬぐい取っても…哺乳瓶から感染する」と、ネイクも友人を見ながら言う。「それ、すごく真相に近いかも。だって、あの病気の感染力…」

そこまでネイクが言いかけると、公園まで辿り着いた半獣人が、別の半獣人の喉笛を食い破った。血飛沫が、辺りにぶちまけられる。

2人の少女は、悲鳴をあげたいのを必死にこらえ、出来るだけ気配を潜めて囁き合った。「この通りだもんね…」と。


エリーゼ・ウィンダーグの霊体の捜査のため、アレグロムの北東の地区を任されていたエミリー・ミューゼは、夜の住宅街でサングラスの中からイーブルアイを光らせ、「視野」の届く範囲を観察している。

エミリーの予知では、この地区には、ほぼなんの異変もないはずだ。空くじを引かされた気分だが、居ないかも知れないと思っても探さないわけには行かない。

夜空を飛んで行く飛行機を見て、エミリーは「不気味な気配」を感じた。呪いとも、悪意とも違う。決定的な「殺意」だけを発している、不気味な気配。

「殺し屋でも乗ってるのかしらね…」と呟いて、エミリーは厳しい顔をした。

今の気配は非常に気になるが、別の仕事を追っている最中だ。エミリーは、確認した範囲の地図を、魔力で青色に塗りつぶした。


北へ向けてレンタカーを走らせていたルーゼリアは、あらかじめ目星をつけておいた家や村をチェックしながら、「人間が一定数集まってそうな村」を探して居た。

地図上では、アレグロムの国は、さらに東にあるルミアラと言う国に近い場所ほど栄えており、ルーゼリアの担当している西側にはほとんど人口の多い街はない。

唯一、車が借りれるくらいの発展があったのが、「ソルエ」と言う街だ。夕陽が陰る頃にその街を出発した。一晩で走破できる区間を一気に調べるつもりだ。

ソルエの街には「眩暈病」と呼ばれる病が流行しており、長居をしたい場所でもなかった。

仕事の仕上げにでも調査しようと思い、ルーゼリアは「とりあえず正常に走る」中古車のエンジンをふかせた。


病魔に浸食された場所へ直接出かけるわけには行かない。レイアは、治療所内に結界をはり、「降臨」の術の準備をしていた。

体から霊体を切り離し、常に霊体からエネルギーを放出して、周りの「悪意ある者」を浄める術だ。

本来は、「強い霊力を持った高位の霊体」を呼び出す呪術の一種だが、魔力のポテンシャルに自信のあるレイアは、自分の霊体を使ってこの技を使う。

「フェル。私が2時間しても目を覚まさなかったら、叩き起こして」と助手に呼びかけ、少年は「分かった」と答えた。

レイアは、目を閉じ、術を起動した。


目の前が急に明るくなり、ネシスとネイクは空を見て目を瞬いた。中央広場の空の高くに、光り輝く女性の姿がある。月夜の中でも眩く輝いている。

「何? あれ」と、ネシスは立ち上がって呟いた。「光ってる…。けど、あれ、人だよね…」

「何かの術を使ってるのかしら?」と、ネイクも言う。「でも、不気味な感じはしないね」

その虹色に光る女性の霊体が、両手を左右に広げ、ふわりと横に一回転した。七色の光が、遠くまで拡散していく。

村は虹のドームに覆われたようになり、その中にいた「病人」達の「変化」が解けた。

理性を取り戻した「病人」達は、自分達がさっきまで作り上げていた惨状を見て、恐怖に憑りつかれた。自分が食っていた肉を吐き出し、家のほうに逃げて行く。

女性の霊体は、自分の力の範囲内に「結界」があることに気づいたようだ。空からゆっくりと降りてきて、ネシスとネイクに近づく。

「怖がらないで」と、光り輝く霊体は言う。「この薬を、あなた達に託すわ」と言い、数本の試験官をネシスに手渡した。

「これ、何?」と、ネシスは聞く。

「ネイクの病を治したものと同じ薬よ。培養して『病』を持った者達の血液に打ち込むの」

「川がおかしくなってるの」と、ネイクは女性の霊体に訴えた。「川の水。あの水から、村の人達に『病』が感染してる」

女性の霊体は、微笑んで「任せておいて。ちゃんと『浄化』しておいてあげる」と言うと、再び上空に移動し、虹のドームのような力場を維持したまま、川のほうに飛んで行った。


女性の霊体―レイア―は、川の上空に着くと、そのまま川上を目指した。

手頃な水門があった。そこに、手の平をあてて、水門全体に行き渡るように魔力を放出する。紫色の光が、水門を包む。

仕上げに、手の平から放った魔法陣の跡を固定した。これで、この水門を通った水は自動的に「浄化」される。

レイアは川下に向かい、その川が途中で別の流れと合流しているのに気付いた。さらに大きな流れとなり、アレグロムの北にある国、ロスマイラーの国土に流れ込んでいる。

その広大な範囲に魔力を行き渡らせられるかに迷いが生じたが、ウィルスが海に出たら「アウト」だ。

レイアは片手を下流のほうに向け、河の水全てに浸透するだけの魔力を放出した。水の行方を辿るように、紫色の光が河の中を走る。

海まで魔力が到達する頃には、期限の「2時間」に成ろうとしていた。

「出来る限りの事しか出来ないわね」と言って、レイアは霊体を体に戻した。


体に戻った瞬間、フェルがレイアの頬を力いっぱい平手打ちした。7歳の少年の力だが、本当に「全力で殴った」らしく、レイアは「いったーい!」と抗議の声をあげた。

「あ。良かった。目が覚めた」と、フェルは言う。

「ちょっとフライングじゃない?」と、レイアは文句を言う。「今のショックで『力場』が崩れてないと良いんだけど」

「何? 何処かで魔術でも使ってたの?」と、フェル。

「野暮用よ」と、レイアは答えた。


道中の村で、砂埃まみれのガソリンスタンドに立ち寄り、係員がガソリンを詰めている間、ルーゼリアは夜空に「高圧の魔力」を持った霊体が現れたのに気付いていた。

イーブルアイで観てみると、ナイト・ウィンダーグの魔力とよく似た魔力だ。同時に、人間の魔力の気配もする。

まさか、レナ・ウィンダーグか? と思ったが、高圧の魔力を放出する霊体としての「彼女」を見つけても、目標のエリーゼ・ウィンダーグを見つけられるわけではない。

ルーゼリアは、その霊体が何処へ行くのかを見守った。空の中で観るには、ほんの少しの移動をして、さらに北の方角に強い魔力を送ると、「転移」をしたように霊体は消えた。

ガソリンを詰め終わった係員が、やけに高いガソリン代を請求してくる。ルーゼリアは無言で料金を払い、「領収書をくれ」と申しつけた。


ルーゼリアがアレグロムの最北端、フォルルの村に着く頃、そこは「虹色のドームのような結界」に包まれていた。

腕時計で時間を確認すると、日の出まであと4時間しかない。

少し時間は足り無いが、一通り村を調べることにした。あちこちに、血飛沫の跡や血だまりがある。そして、肉を食いちぎられた遺体も。

口の周りや衣服に血のシミを作った者達は、辺りをうろうろしたり、銃を携帯しているルーゼリアを見て逃げ出したりしていた。

何か大騒動があって、それが落ち着いたところらしい。フォルルの村の真ん中に来ると、大きめの広場があった。寺院のような建物があり、その前に金色の女性の像が立っている。

その足元にある結界の中で、2人の少女が座り込んでいた。

ルーゼリアが、この2人はまともそうだと判断し、彼女達に何があったのかを尋ねた。

少女達は、口々に「この村を襲った病」と、「虹色に光る霊体が薬をくれた事」をルーゼリアに説明した。

「培養して使え、か。この村で、薬品に関わる仕事をしている者は居るか?」と、ルーゼリアは聞いた。

「たくさんいる。でも、どんな薬かによって違うかな。こんな風に、試験管…って言うんだよね、これ。こんな風な道具を使う人は、錬金術師くらい」と、明るいブラウンの髪の少女が言う。

錬金術師、と聞いて、ルーゼリアはだいぶ古い文化が生きている村だな、と感想を持った。


何処かで、人間達の囁き合う声がする。

機内で眠っていたパトリシアは、うとうとしながらその囁きに耳を傾けた。

「話が違うじゃないか」

「今日は特別なサバイバルゲームができるって言ったのは誰だ?」

「2、3日待ってくれ。手筈は整えてあるんだ」

「2、3日も待てるか。料金を返せ」

「何をする!」

「ふん。魔術師風情が、財布の中身は金貨だらけだ」

「返せ。私のカネだ!」

「一部は俺達からふんだくった物だろ」

「違約金としてもらっておく」

「渡さぬ!」

「何すんだ、この野郎!」

「私を魔術師風情と見くびるな!」

「ふん。ゲームが出来ねぇなら、こいつを狩って野ざらしにしようぜ」

「5対1って事は頭に入ってるか? 魔術師様よ?」

誰かの言葉が終わらないうちに、魔術師は、懐から取り出した袋の中の「灰」を、口に含み、飲み込んだ。

魔術師の体が震え出し、目が真っ赤に光る。魔術師の体の形が、爪と牙を備えた半獣人に変わる。

獣の唸り声をあげながら、魔術師だった者は対立していた5人に襲い掛かり、全員の首を噛み切った。

そして、その肉を食べ始めた。

言いようのない吐き気と共に、パトリシアは目を覚ました。