なんて説明したらいいでしょう。気がついたら、夜空の中にぷっかり浮いたいたなんて。
足元の遠く遠くには、テレビで観た事のある、人間の街の明かりが見えます。頭はもうすぐ雲に届きそうです。
「何がどうなってるのさ!!」と、エレンは叫びました。
さっきまで、お気に入りの猫ベッドの中で、息が苦しくて、心臓がどきどきして、それを必死に我慢してたのに。
背中が、やさしく撫でられる感触がしました。御主人が撫でてくれるときと、そっくりの感触でした。
それでエレンは分かりました。
きっと、僕はあんまり苦しくて、体を忘れて出かけて来ちゃったんだ。だから、こんなにフワフワに軽くなって、きっと、風船みたいに飛んでっちゃうんだ、と。
どうしよう。もうおうちには帰れないのかな。と思ったら、エレンのハシバミ色の目の中に、おうちの様子が見えました。
そこには、猫ベッドでぐったりしているエレンの体を、何度も撫でている御主人の姿がありました。
忘れてきたほうのエレンの体はこわばり、体温はだいぶ冷たくなって来ているようでした。
きっと僕が体を忘れて出かけて来ちゃったから、体が息をするも心臓をドキドキするのも忘れちゃったんだ。ああ、僕がうっかりするから!!
と、エレンはとてもすまない気持ちになりました。でも、風船の体がどんどん地上から離れて行くのは停められません。
雲の中を通り抜けると、エレンのすぐ頭の上を、でっかい羽ばたかない鳥が飛んで行きました。
その鳥が遠くへ行ってしまってから、「ああ、あれは飛行機だ」と気づきました。小さくなってテレビに入っているのを見た事があります。
足元の様子は地図と言うもので観た事のある図形そっくりに見えてきました。
暗くて良く分かりませんが、街の明かりはとてもはっきりと見えました。
もっと離れると、街の明かりは星の明かりのように小さくなり、同時に何か変な感じがしました。
音を聞いたような気がしたのです。目を凝らすと、さっきおうちの中を見たように、何かがすごい勢いで近づいて来るのが目に入りました。
「危ない!!」と直感した途端、エレンはポーンと宙のほうへジャンプしました。
何だか四角い、ぴかぴか光る機械の塊が、エレンの足元を通って、すごい勢いで飛んで行きました。
エレンはとても利発な子でしたから、それが人工衛星と言うものであるのをすぐに理解しました。テレビの中で宇宙に浮いているのを見た事があります。
「僕は宇宙に居るのか」とエレンは独りごとを呟きました。同時に、風船はこんなに遠くまで飛んでゆくものなのかなぁ? と、不思議に思いました。
飛んでゆく風船の中身は、空気より軽いガスです。空気より軽いから、浮かんで行くのです。だから、空気のない場所には飛んでゆかないはずです。
そもそも、エレンは、自分が息をしていないのに気付きました。心臓もドキドキしません。
体の形はいつも通りでしたが、なんにも動いてないんです。息をしてみようと思いましたが、鼻がちりちりするだけで、何も吸い込むものがありませんでした。
もちろん、心臓の動かしかたなんてわかりません。
楽しい事を思い浮かべると、心臓がどきどきしたはずだ。と気づき、これからお腹いっぱいのキャットフードを食べるんだと想像してみました。
楽しいオモチャでご主人といっぱい遊んで、夜の運動会を始めるんだ、と。
確かにそれは良いアイデアでしたが、ワクワクしてきても、全然心臓はドキドキ言いません。
エレンは諦めて、何処まで飛んでゆくのか、飛んでゆくのは止まるのか、待ってみる事にしました。
何十分待ったでしょう。眠くなったエレンは、どこか落ち着く場所は無いかと探してみました。
丁度手頃な岩がありました。エレンは、猫かきで、よいしょよいしょと岩のほうに泳いでみました。
さっき人工衛星を避けた時は、ポーンと飛べたのに、中々岩に近づく事が出来ません。
「君、君、そんな所でじっとしてると危ないよ」と、誰かの声がしました。
それは、時々空を飛んでる黒い鳥でした。確か、名前はカラスです。大きさはエレンと同じくらいなので、エレンはそんなに怖く感じませんでした。
だから返事を返しました。
「全然停まってないよ。もう、地面からずいぶん遠くまで飛んできちゃった」と言うと、カラスはおかしそうに言いました。
「君は全然動いてないよ。動いているのは、あの星のほうさ」
「星って、空に浮かんでるものでしょ?」と、エレンは不思議そうに言いました。
「そうだよ。君の来た場所も、星の一種なのさ。地球って言うんだぜ」と、カラスは自慢げに言いました。
「僕が来たところが星って事は…お月様みたいに、グルグル回ったりするの?」と、エレンは問い重ねました。
「そうだね。お月様が地球の周りをぐるぐる回ってるみたいに、地球も太陽の周りをぐるぐる回ってるって言われてるけど」
と言ってから、手品の種明かしをするように、面白そうにカラスはつけ加えました。
「もっとも、此処から観ると、太陽の周りなんて回ってないけどね」
どう言う事だろうと思って、エレンは自分が飛んできたはずの方向を見ました。
目を凝らしてみると、太陽を中心にして、いくつかの星達が、ひとまとまりになってものすごい勢いで遠ざかって行っている最中でした。
ネジを打ち込むような螺旋を描いて、どこかへ吹き飛んで行っているのです。その一つに、真っ青な星がありました。
「青い星が見えるだろ? あれが地球さ」と、カラスが見慣れたものを見るように言いました。
「地球は何処に行くの?」と、エレンは当たり前な事を聞いてしまいました。
「何処かの銀河の方向に飛んで行っているって話だよ」と言って、カラスは羽をばさりとひろげました。
「俺は、時々ここら辺に来て、地球が飛んでゆくのを見てるんだ。俺も地球の生まれだからね。里帰りみたいなもんさ」
そう言って飛んでゆこうとしたカラスを、エレンは呼び止めました。
「待って。カラスさん。どうしたら、僕は動けるようになるの?」
「飛びたいと思えば飛べるし、走りたいと思えば走れるさ」
と、なぞなぞのような答えを返して、カラスは悠々と星の海の中へ飛んでゆきました。
「飛びたいと思えば飛べるし、走りたいと思えば走れる…」と、エレンは繰り返して呟きました。
エレンは懸命に思い浮かべました。お部屋の中を走り回っていた時の、あの感覚です。
ご主人が振り回してくれるじゃらし棒を、捕まえようとしていた時の、あの気持ちです。
「あの岩まで飛ぶぞ!!」と、エレンは意を決して、後足に力を込め、ポーンとジャンプしました。
その途端、エレンは魔法のような素早さで、さっき見つけた岩まで飛ぶことが出来ました。
やった。成功だ!!と、エレンは嬉しくなりました。
だけど、それだけで疲れ切ってしまい、エレンは岩の上にまるまって、しばらく眠る事にしました。