インフレーションに乗るのは簡単でしたが、逆に飛ぶのはとっても困難な事でした。
エレンは、何度も岩や星にぶつかりそうになりながら、耳や髭や鼻や眼をいっぱいに使い、岩や星の間をすり抜け、膨れ続ける流れを逆行していました。
どの方向が中心なのかを知るのは、銀河を離れるとすぐにわかりました。若い銀河がどんどん流れてくる方向です。
エネルギーが無くなりそうになると、エレンは生まれたての若い銀河の中に飛び込み、光りを放つ星を探して、一時エネルギーを補給しました。
でも、長居はしませんでした。その銀河の飛んでゆく流れに乗っている間は、寄り道をしているのと同じことになるのですから。
「光と物体の間には、速度の差がある」と、ゾウのヘレナから教えてもらった事を呟きました。「光が見えても、物体はもっと先に居るんだ」
光より早く飛ばなくてはならない、と、ある星の前でエネルギーを補給していたエレンは思いました。
その途端、また変化が起きました。エレンの体は、もう猫の原形を留めず、破裂しそうな光の一粒になったのです。
エネルギーはあってもあっても足りないくらいでした。お星さまひとつ分の光を吸い込みすぎそうになりながら、エレンは一つの銀河を後にしました。
そして、宇宙の中心に向けて飛び立ちました。
エレンの、既に形の無い耳に、エネルギーの反発しあうギリリリリリと言う音が聞こえました。膨れ上がり続ける宇宙の中央へ向かおうとしているのです。
それはまるで不可能な旅のように思われました。それでも、エレンは諦めませんでした。
一瞬の後に、黒い雲のようなものが、エレンの目の前を覆いました。
これはなんだろう。まさか、あのなんでも吸い込む黒い星なんだろうか? でも、吸い込まれている感じはしない。と、瞬間的にエレンは考えました。
途端に、どこかで「ギャー」と言う赤ん坊のような泣き声が聞こえました。よく聞けば、その「ギャー」と言う声はあちこちからします。
真っ赤に光る小さな星が、泣き声のようなエネルギー発しているのです。
そうか。これが星のお母さんのお腹の中なんだ。と、エレンは思いました。光が目に入って来るより先に、星のお母さんのお腹の中に飛び込んでしまったんだ、と。
エレンは雲の中から放り出されないように速度をゆるめて、星のお母さんに話しかけました。それは、まるで猛吹雪の中で声を張り上げるようなものでした。
「お星さまのお母さん!! お星さまのお母さん!! どうか、返事をして下さい!!」
ゴゴゴゴォォォと言うエネルギーの唸る音がしましたが、それは返事のようには聞こえませんでした。
「お星さまのお母さん!! 私は地球から来たエレンと言うものです!! あなたに伺いたい事があるのです!! どうか返事をして下さい!!」
「お星さまのお母さん!!」と、一際力を込めてエレンは叫びました。「どうか、返事をして下さい!!」
「さっきから、ギンギンと何を叫んでいるの?」と、雲全体から響き渡るように声が返って来ました。「どうやら、私の子供では無いようだけど」
違う。お腹の中じゃない。この黒い雲そのものが、星のお母さんなんだ、とエレンは思いなおしました。
「私は、地球と言う星から来た、エレンと言うものです。あなたにうかがいたい事があるのです」と、エレンは繰り返しました。
「それはさっきも聞きました」と、雲が言いました。「何を聞きたくて、ここまで来たの?」
「はい。私は、ある星で、『宇宙は常に膨張し続けていて、星はその流れに乗って飛んでいるのだ』と言う事を知りました」
と、エレンはミミズクがそうしていたように順番に答えました。
「それは本当なんでしょうか。それなら、膨張し続ける宇宙は、やがてどうなってしまうのでしょうか」
「誰でも最初に思いつくことね」と、星のお母さんは何度も聞かれた質問に答えるようにいいました。
「私の子供達も、旅立つ時は皆それを不安に思いながら飛び出してゆきますよ。でも、帰って来たものは居ない」
と言って、エレンの見える場所に一粒の真っ赤な星を連れて来ました。
「これが、今飛び立とうとしている私の子です。この子は、恒星になるの。引力で岩をとらえて、光らない星を作り出す役目をするの」
と、誇らしげに言ってから、エレンの問いに答えました。
「宇宙のインフレーションは、やがて停まるでしょう。あなたもここに来るまで、何度もエネルギーの補給を必要としたでしょ?」
「はい」と、神妙な気持ちでエレンはその言葉に聴き入りました。
「宇宙は、初めてインフレーションを起こしてから、一度もエネルギーを補給していません。それなら、エネルギーはいつか途切れてしまう。
「やがては、インフレーションが鈍くなり、新しい星も生まれなくなり、宇宙は停止します。あなたのように、星の流れに逆らって旅をしてくる魂も居なくなるでしょう」
「宇宙はいつ生まれたのですか?」と、エレンはまたおかしな質問をしてしまいました。
「宇宙が生まれた瞬間のことは、誰も記憶していません。だって、みんな赤ん坊でしたもの。私も、宇宙が生まれた時には、立ち会ってないんです」
「星のお母さんも、いらっしゃらなかった時があったのですか?!」と、エレンは驚いて言いました。全部の始まりは、星のお母さんだと思っていたからです。
「私が星を生み出すように、私を生み出した何かもあるのです」と、黒い雲は答えました。
「では、宇宙を生み出した最初のものはなんだったのでしょう…」エレンは、答えずらい謎を聞いたような気がしました。
「それは私にも分かりません。でも、このもっと先に行くなら、答えは分かるかも知れない」
黒い雲は、行き先を示すように、少し体をずらしました。
「けれど、これより先に行くには、あなたが消滅するするほどのエネルギーが必要です」
警告するように、黒い雲は言いました。
「もし宇宙の中心に辿り着いても、逆側のインフレーションに乗ってしまった場合、戻ってくることはほとんど不可能でしょう」
エレンはしばらく、その真っ暗な虚空を見てから、
「私は、その言葉を聞けただけで十分です」と、紳士的に言いました。「私は帰らなければならない」
「私には、あなたと話したことを伝えると約束した友人が居るんです。それに、私を助けれてくれた恩のある方たちに、あなたから教えてもらった答えを知らせなければならない」
そう言って、エレンは、初めて後ろを振り返りました。
「あなたと話が出来て良かった」と言って飛び立とうとした時、黒い雲が「お待ちなさい」と引き止めました。
「此処から銀河は遠い。私の子供達のエネルギーを、少しずつもらって行きなさい」
エレンは、次々に生まれてくる周りの赤い星達が、暖かなエネルギーを分けてくれるのを感じました。
「ありがとうございます。星のお母さん。新しい子供達」
エネルギーが満ちたエレンは、そう言って、黒い雲の中を飛び立ちました。
逆らってきたインフレーションに乗り、光より素早く、エレンは銀河へ向かって飛んでゆきました。