うつろの影3

宿で嵐の通過を待ってから、リオナと精霊エリックはリバルトの国を、乗合馬車に乗りながら後にした。

街を抜けると、平原が広がり、馬車は安全な街道を通って、途中にある各地の馬車宿に数回泊まった。

ここ数ヶ月の中では、あくびの出てしまう様な平穏な道のりだった。

アルバルの国に入ると、一気に様子が変わる。自然的なものは無くなり、石造りの街並みとガス灯が並ぶ風景に早変わりだ。

リオナ達は終点の港町で、運賃を払って馬車を降り、見覚えのある石造りの建造物が並ぶ一角を目指した。そこに、造船所と客船のチケット販売所がある。

チケット販売所でも、水晶を壁に貼り付けたモニターに、ニュースキャスターが映っている。

「ルーディの岬を迂回するルートに変更があった事件ですが、セイレンの行動範囲を当事者の船長に聞いたところ、ルーディの岬を通るルートは全面的に撤廃されることになりました」

それを聞いて、リオナ達以外にも、チケット販売所にいた一部の人々が、驚きの声を上げていた。

キャスターは淡々と続ける。「それに代わるルートが模索されていますが、現在の所、復旧の目処はたっていません。船での移動に代わる交通手段をご検討下さい」

そしてニュースは、「午後の赤ちゃん。今日からハイハイ」が放送され始めた。

アルバルの中央都市、エルデン区に住んでいる1歳の女の子の赤ちゃんが、数日前からハイハイを始めたらしい。

「リオナ。しっかりして!」と、エリックの声が聞こえてリオナは我に返った。

「人間って、どうしようもない危機に出逢うと、関係ない情報まで見入っちゃうのね」リオナは言って、モニターから目を引きはがした。

「船が使えないとなると、ここに居てもしょうがないわ。何か良い方法は…」

「ひこうせんって言うのが最近できたらしいけど?」と、エリックは「代行便サービス」の壁紙案内を見ながら言った。異国の言葉で書かれており、リオナには読めない。

「詳しく教えて」とリオナは心の声でエリックに頼んだ。

「ガスを込めた風船に船を取り付けた乗り物で、プロペラで飛行します。強い風などにより、少しの揺れはありますが、船旅に代わる安全な旅をお約束いたします」

「他に方法も無いから、それに乗ってみましょうか」

リオナはそう言って即決したが、エリックは納得していないようだ。「飛んで行く船か…天国に行っちゃいそうな気がする」とエリックは呟いたが、リオナは既に販売所の受付嬢と話をしていた。


船のルートが撤廃されたことで、足止めを食らっている旅人は多いようで、リオナが受け取ったチケットの発車時刻は5日後の午前3時というものだった。

「時間が余っちゃったわね。しばらく観光でもしましょうか」と、リオナは仕方ないと言う風に、この港町に来た時に見つけた宿屋に5日間の宿泊を申し入れた。

「お客様も、船のご予定だった方ですかね?」と、老いているがふっくらとした宿屋の主人が、受付の手続きをしながら聞いてきた。

「その通りよ。でも、代行でひこうせんって言うものに乗ることにしたの。5日後まで満席らしいから、また御厄介になりに来たわけ」とリオナは事情を話した。

「大変な時勢だねぇ。風船に船くっつけたようなもので、空を移動しなきゃならないなんて」と言ってから、宿の主人は「うちは食事はついてないけど、近くにとびきり美味い定食屋があるからね」

と、来た時にも聞いた情報を教えてくれた。ボケてはいないようだが、あまりの客の急増に、接客も単調になってしまているのだろう。

「ありがと。早速行ってみる」とリオナは言って契約書にサインし、5日分の宿泊費を払ってから、ルームキーを預けたまま定食屋に向かった。


「此処も結構雑多なのよね」と、リオナは口元を押さえながら小声で言った。

定食屋には、近くの工事現場で働いていると思しき、土だらけの工夫達や、大声で話している近所のマダム達、学校帰りの学生や、家族連れ、宵にも差し掛からない今から既に酔っ払っている者まで、

様々な人と言葉が行き交っていた。そのざわざわとした店内を、注文を取る女将の声が響いている。

リオナは店に入る前に、まず読める言葉で書かれている注文プレートを探した。以前来た時も、確かあったはずだと言う記憶がある。

小さな文字で書かれた3種類ずつの文字の中から、読める1つを探し出し、ようやく店に入った。

「いらっしゃーい!」と、威勢の良い女将の声がした。「相席になるけど、構わないかい?」と、聞く前に女将が言った。

「大丈夫よ。塩トマトのパスタと、3種のチーズサラダ、それからオーガニックコーヒーちょうだい」とリオナは言った。

「お客さん、外国の方かい?」と、女将が聞いてきた。

「そうよ」と短くリオナは答えた。

「だろうと思ったよ。うちのチーズのサラダ頼むのは、大体外国の人なんだ。この国はチーズが名物で通ってるからね」と言って、女将はハッハと笑った。

「パスタにも、溶けるタイプのチーズをかけると美味しいんだよ。50セント増しになるけど」と、商売の上手い女将は勧めて来た。

「お願いするわ。私は何処に座れば良い?」と、リオナが店内を見回すと、少し離れた席にいた、やはり異国風の日に焼けた親子連れが、手招きをしていた。

「コッチコッチ。ココ、アイテマスヨ」と、父親らしい人が片言の共通語で声をかけてくれた。

リオナは女将にアイサインをすると、頷いてその親子の席に向かった。

子供が引いてくれた椅子に、「ありがとう。おじゃまするわね」と、リオナも公用語で答えて座った。

子供が、異国の言葉で何かを父親にささやきかけ、父親が「アナタ、マジュツシナノカナ?」と聞いてきた。

「ええ。手品は出来ないけどね」と、リオナは冗談を言った。

父親が、それを聞いて家族の母国語に訳して子供に伝えた。子供が不服そうにまた何かを父親に囁きかけた。

「ホントウノ、マジュツヲミタイッテイッテマス」と、父親が困ったように訳した。「モチロン、ムリハシナイデクダサイ」

リオナは困ったように笑ったが、「じゃあ、一つだけ見せてあげる」と言って、リオナは四角い紙ナプキンを手に取ると、指先で2回ツンツンッとつついた。

その途端、紙ナプキンは勝手にパタパタと折りたたまれ、鳥の形になった。

子供だけではなく、父親と母親も嬉しそうな歓声を上げた。

母親が何か言ったのを、「ジツニ、アーティスティックナ、マジュツデス」と父親が公用語に訳した。そして母親を手で示して、「ツマハ、ビジュツノガッコウデ、センセイヲシテイマス」と紹介した。

母親が再び父親に囁きかけた。「ツクリカタヲ、オシエテホシイト、ゼヒ」と父親がリオナに言った。

「良いわよ」と答えて、リオナは料理が運ばれてくるまで、小さな美術教室を開いた。