ゴーレムと魔女1

岩が動いたと思ったら、リオナは着せ替え人形のように、わしづかみにされた。

岩のように見えたのは、乾いた泥だった。乾いた泥の巨人が、リオナを捕まえたのだ。

その泥の巨人の腕には、「EMETH」の文字があった。

「ゴーレムだ」と、リオナは師匠から聞いた古代魔術の話を思い出した。

泥や岩で作った人形に、「EMETH」の文字を刻み、意のままに操れるように命を吹き込む方法。

ゴーレムを止めるには、「EMETH」の頭文字を消して、「METH」、死と言う意味の言葉に変えなければならない。

リオナは自由になる左手で、ゴーレムの腕に刻まれた文字を消そうとした。

だが、わずかに届かない。

「目をつぶって!」と、何処からか声がした。

その途端、リオナをつかんでいたゴーレムの腕に水がかけられた。

反射的に目を閉じると、ゴーレムの泥が混じった水が、ざばっとリオナの顔にかかった。

ゴーレムは、腕の文字が変形して動きが鈍くなった。リオナは体ごと捕まれている右腕を、ゴーレムのふやけた手の中から引き出した。

体をねじると、さっきまで届かなかった文字に、左手が届いた。

手指でひっかくように「EMETH」の頭文字を消すと、ゴーレムはぴたりと動きを止めた。

力の抜けた泥人形の手の中から、リオナは泥だらけになりながらもがき出た。

「とんだ災難だったわね」と、水桶を持った女性が声をかけてきた。

さっきの声の人だ、とリオナは察した。「ありがとう。助けてくれて」とリオナは礼を言った。「あなたの名前は?」

「マチルダよ。お礼には及ばないわ。なんせ、あたしの旦那の仕業なんですもの」

と言って、片手に水汲み用の桶を持ったふくよかな女性は、困ったように腕を組んだ。

「ほら、噂をすれば、張本人が来たわよ」

女性が顔を向けた先を見ると、草原の向こうの緩い丘の上にある古い立派な石造りの館の中から、眼鏡をかけた髪がもじゃもじゃの男が走ってくるところだった。

「ゴーレムを壊したのか?!」と、男は息を切らしながら叫んだ。

「あんな失敗作、その辺に置いておくのが悪いんだよ!」と、男は妻に叱咤された。「おかげで、このお嬢さんが殺されるところだったんだからね」

状況を把握したらしく、男は、はぁっとため息をついた。

「昨日まではあんなに大人しかったのに」と呟いてから、ようやく気付いたように、「申し訳ない、旅の方」と、わびた。

「服を洗ってあげるから、うちでお風呂に入って行きなよ」と、マチルダが言った。「服が乾くまで、一晩泊って行くと良い。そのかっこうじゃ、せっかくの美人が台無しだ」

そう言われて、リオナは改めて自分の姿を見た。真っ黒なローブも長い栗色の髪の毛も、粘土のような灰色の泥まみれ。

「ありがとう。そうさせてもらうわ」とリオナが答えてると、ふくよかな夫人は、眉間にしわを寄せながら、夫に水桶を突き付けた。「泉から一杯汲んできとくれ」

「こんな重い桶が持てるか!」と、ゴーレムを作った魔術師は言ったが、夫人はそれを無視してリオナを館の方へ案内した。


お湯で髪と体を洗い終えたリオナは、泥だらけになったローブの代わりに、マチルダの置いてくれたバスローブを着た。まだ夏と言うには早いが、バスローブでも十分温かい。

バスローブの近くに、メモが置いてあった。

「居間にお茶を用意してあるから、ゆっくりしていてね。マチルダ」と書かれていた。

さっき脱いだローブと靴は、泥の跡を残して洗いかごごと消えていた。恐らく、マチルダが洗ってくれているのだろう。

リオナはおかれていたサンダルを履き、来るときに案内された居間の場所を思い出しながら、廊下を歩いて行った。

途中で、ドアを開けっぱなしの一室が見えた。好奇心で中を覗くと、壁一面に本を並べた棚がひしめき、ガラス製のフラスコや、魔術に使う草の葉や木の実などが散らばっていた。

「今日で2週間になる。今度こそ成功だ」と言う走り書きがあった。どうやらそこはさっきの魔術師の研究室らしい。よっぽど慌てて部屋を飛び出したらしく、蓋を開けたインクの瓶が一つ床に転がっていた。

どうやら、あの魔術師は古代の魔術を蘇らせようとしているようだ。

転がったインクの瓶の周りに出来た液だまりに目を向けると、インクが独りでに動き出した。

邪霊がいるのか?!と、リオナは警戒した。インクは、ペンで書かれるように文字をつづった。「帰れ。命が惜しければ」

途端に、部屋の奥から見えない何かが襲い掛かってくるのが分かった。リオナは、呪符のタトゥーを入れた右手を、目の前の空間を裂くようにふるった。

空気が裂けた途端、何かが目の前で炎と化した。見た目的には何もない空間が、めらめらと炎を上げながら、灰を散らしていく。

やはり邪霊がいる。そう確信したが、今の無防備な身なりでは分が悪いと悟り、リオナは一度居間へ移動した。


居間に着き、不審な気配がない事を確認してから、リオナは椅子に座り、テーブルに用意されていたお茶を口に運んだ。

シナモンと蜂蜜の香りがする。

ふっと息をつき、リオナは事のあらましを考えてみた。

ゴーレムを作り、2週間意のままに動かしていたとなれば、この館の主は相当高度な魔術を使う者なのだろう。

師の話を思い返せば、ゴーレムは作られた後、次第に意思を持ち始める。その意思を抑え込み、主人の思うがままの行動のみを取らせるのが難なのだと。

旅をしている間に見聞きしたことでも、ゴーレムが必要になるような災害も、騒乱も、起きてはいない。

「邪霊を呼び寄せてまで、完璧に服従させるゴーレムを作る必要が何処にあるの…?」と、リオナは無意識に呟いた。

「理由があってね」と、さっき聞いた館の主の声がした。出入口を見ると、館の主人がいた。水を汲んで帰ってきたらしく、疲れた腕をもみほぐしている。

魔術師は、リオナとは反対側の席に座り、

「見られてしまったものは仕方ないが、そうなると君をこの家に留めておくわけには行かない。邪霊達は、私と契約は交わしたが、そこに君のことは含まれていないんでね」と警告した。

「理由も聞かせてもらえると、納得して帰れるんだけど?」と、リオナは返した。「邪霊と契約を交わすのは禁忌よ。ゴーレムを作る人が、知らないはずはないわよね?」

「ここからは極秘情報だ」と、魔術師は言った。「これ以上話すなら、君は無関係ではいられなくなる。無事に旅に戻りたいなら、何も知らないほうが良い」

「さっき、一匹邪霊を始末した」と、リオナは腕のタトゥーを見せながら言った。「もう、奴等は私のことを敵とみなしてるわ」

その腕のタトゥーが、まだ名残の魔力を発していることを知り、魔術師は諦めたように告白した。「1ヶ月前、この国に来るはずだった、奴隷船が難破した」

「奴隷達も船乗りも、行方不明…つまりは死亡している」と魔術師は続けた。

「恐らく君の始末した邪霊は、その船の犠牲者のものだろう。彼等は、自分の宿る器を探しているんだ。私は、奴隷達の魂を宿らせる器としてゴーレムを作ることを国に提案した」

「ただでさえ制御の困難なゴーレムに、邪霊を取りつかせるのよ?!」リオナは強い口調で言った。「そんな無謀が成功するはずないわ」

「なんとしても成功させなきゃならないんだ」と、魔術師は言い募った。「奴隷を奴隷として扱うなら、ゴーレムであろうと人間であろうと、同じことだろう?」

「死んでまで奴隷で居たい者なんて居ない。私の始末した邪霊も、ゴーレムより人間に憑依しようとしていたわ」リオナはそう言って、「マチルダは知ってるの?」と問いただした。

「妻はゴーレムの中身については、何も知らない。もちろん、契約の中には彼女の身の安全は含まれている」魔術師は祈るように胸元で手を握り、繰り返した。

「なんとしても成功させなきゃならないんだ。何かが足りないんだ。見落としている何かがあるはずなんだ」

顔を覆って考え出した魔術師を見て、リオナは「こうしましょう」と言い出した。

「私は明日までこの館に居させてもらう。その代わり、邪霊を見つけたら消滅させる。従うつもりのない霊魂をとどめておいても無意味でしょ? 貴方は明日までに、契約を解きなさい」

「そんなことをしたら」と、魔術師が言いかけると、リオナはそれを遮って続けた。「マチルダの安全は私が守るわ。貴方は、自分の罪を改めて」

魔術師はうなだれ、「それしかないのか…」と呟いた。