ゴーレムと魔女2

庭の片隅で、小唄を口ずさみながら洗い物をしていたマチルダは、バタバタと言う足音を聞いて、夫が慌てて出てくることを察した。

勝手口から、眼鏡の魔術師が顔を出した。

「マ、マ、マチルダ。良いか、落ち着いて聞いてくれ」と、魔術師は息を切らせながら言った。「ゴーレムを作るのは、中止だ」

マチルダはふーッとため息をついてから、「ようやく身の程が分かったのかい?」と言った。「暴れまわる泥人形なんて、時代遅れなんだよ」

「すまない。国から出る報奨金は、その…」と、夫は言葉に詰まった。

「もらってないお金なんてあてにしてないよ。それより、ジェシカばあさんの血圧の薬を作ってあげとくれ。ずっと待たせっきりなんだからね」

と言って、マチルダは洗い上がった黒衣のローブを絞り、風のあたる日向に干した。

旅をするには、本当によくできた服だ。ポケットもたくさんあるし、何より生地が丈夫で仕立てが良い。水切れも良いから、30分も干せばすっかり乾ききるだろう。

一仕事終えて振り返ると、夫は何か言いたげにまだ勝手口に居た。マチルダは聞いた。「なんだい? まだ何かあるのかい?」

「その…良いか、まずその服をすぐに乾かして、居間に持って来てくれ」と、魔術師は言葉を濁した。

「リオナさんに何かあったのかい?」と、マチルダは異変を察して言った。

「夕刻になる前までに、準備を整えなきゃならない」と、やはり夫は歯切れ悪く言った。「詳しい説明は後だ。まず、服を持って来てくれ!」

そう言って、夫は家の中へ戻った。

「30分はかかるよー!」と、マチルダは遠ざかる夫の背中に大声で告げた。


魔術師の部屋にあった、砕いた鉱石を練って作ったチョークで、リオナはテーブルをどかした居間の中央にかがみこんで、大きな魔法陣を描いていた。大人が2人は入れるほどの。

そこに、どたどたと魔術師が戻ってきた。

「頼まれたのは、これで全部だ」と言って、分厚い古文書を数冊と、コルクをしめた試験管に入れた魔法薬を数本、それから蒸留水を入れた大きな三角のフラスコを差し出した。

リオナは魔法陣を囲む呪文のつづりの一番最後に「METH」と書き込み、立ち上がって魔術師に告げた。「一つ確認しておくけど。何処かに、作りかけのゴーレムなんて保存してないでしょうね?」

魔術師は、困ったように眉を寄せ、「ひとつある」と答えた。「もちろん、まだ邪霊は入っていない。EMETHの文字も刻んでいない。だが、原型は作ってある」

「何処にあるの?」とリオナは聞いた。

「地下だ。物置の一番奥に置いてある」と、魔術師は答えた。

「中身が入ってないなら、まだ安心ね」とリオナは言い、魔術師の持ってきた試験官とフラスコを受け取った。

試験管の中身を一つ一つフラスコに混ぜ、真っ赤になったフラスコがジュワッと蒸気を上げるのを確認した。

「ここからは、マチルダが居ないと意味がないわ」と、バスローブ姿のリオナは言った。「私の服は?」

「今干してる。30分はかかるそうだ」と、魔術師は言って、居間の戸棚の奥に頭を突っ込み、何か探し始めた。「確か此処に片づけておいたはず…あった」

そう言って魔術師が取り出したのは、透明な鉱石のついた古びた杖だった。磨き上げられた樫の木の全体に、細かく文字が刻み込まれている。

「私の祖母のものだ。祖母はヒーラーだった。使いかたさえ分かれば、どんな霊も浄められる」と言って、魔術師は杖をリオナに渡した。

リオナはその杖に刻まれた文字を読んだ。「確かに、鎮魂の歌が書かれているわね」と言って、リオナは杖を居間の暗がりに突きつけた。

そこに潜んでいた邪霊が、雷に打たれたかのように火花を散らし、白い光となって消滅した。

「なるほど」と、リオナは言った。「ずいぶんなお宝ね。どうして隠してたのかは…大体分かるけど。それより、邪霊達も勘づき始めたわよ。貴方も、儀式の準備を」

「分かった。妻をよろしく頼む」と言って、魔術師は居間を去った。


黒衣の襟元から端までを叩き、すっかり乾いたことを確かめてから、マチルダは紐につるしていたリオナのローブを手元に下ろした。

何を急いでいるのかは分からないが、とにかく急を要することが起こったらしい、と言うのは魔術師の妻であるゆえに、マチルダも分かっていた。

まだ日は高いが、夕刻までとなれば、そうゆっくりもしていられない。あと1時間もすれば西空は茜色になるだろう。

居間に服を持って行くと、テーブルが部屋の片端に積み上げられ、空いたスペースに大きな赤い魔法陣が描かれていた。

「こりゃまぁ…どう言うことだい?」と、マチルダは呟いた。そしてバスローブ姿で、椅子に座って、見覚えのある杖を片手に持っているリオナを見つけた。

「マチルダ、まずは服を」と言ってマチルダからローブを受け取ったリオナは、大時計の影に隠れて着替え始めた。「これから、ちょっと厄介なことになるわ」

「何が起こるの?」と、マチルダは聞いた。「あの人が、ゴーレムを作ること…」とまで言いかけ、「静かに」とリオナが言葉を遮った。

まだ襟元の定まっていないローブに身を包んだリオナが、居間の天井をぐるりと見渡す。

「聞かれてるわ。向こうも儀式が始まったのよ」と、リオナは襟元を直しながら、マチルダと視線を合わせた。「マチルダ。その魔法陣に入って。すぐに仕上げるわ」

そう言われて、マチルダは一つ頷き、描かれた図形や文字を消さないように、慎重に魔法陣の中に入った。魔術を使う者が「話すな」と言うときは、決して言葉を立ててはいけないと分かっているのだ。

服と髪をざっと整えたリオナが、さっき作ったばかりの赤い魔法薬を、魔法陣の一隅に描かれた図形の上に滴らせた。

液体から蒸気が上がり、チョークで描いてある図形と文字の中に、魔法薬が浸透していく。そして、浸透した部分から、すぐさま乾いて行った。

マチルダは、自分の足の下を液体が通って行くのが分かったが、身動きは取らずにいた。目を合わせたリオナが、黙って頷いた。

そしてリオナは、マチルダの知らない言葉で何かを唱え、左手に握った杖を魔法陣の一部に合わせると、古文書を右手に開いて呪文を読み上げた。

驚きの声を出さないように、マチルダは両手で口をふさいだ。魔法陣の一番外側の縁に、炎のような光が走ったのだ。

リオナはその炎のような光を恐れる風でもなく魔法陣に入ってきて、「もう大丈夫よ。説明するわ」と言った。

「あなたの旦那さんは、ゴーレムを作る時、邪霊を集めていたの。邪霊をゴーレムの中に封じ込めて、完全に服従するゴーレムを作ろうとしていた。その時、邪霊達と契約を交わしたの」

それを聞いて、マチルダは服の上から、胸にかけている鎖の先をつかんだ。リオナは、魔術師の持たせたアミュレットだろうと勘づいた。

「恐らく再生の契約よ。魂に器を与える代わりに、主に忠誠を誓う契約。あなたは、この家に居て、邪霊の存在を感じたことはある?」

「分からないわ」と言ってから、マチルダは「でも、研究室には絶対に入るなって言われていたの」と続けた。

「恐らく、あの部屋の何処かに邪霊を集める魔術が施されているのね」とリオナは言った。「契約を解くだけじゃ、治まりそうもないわ」

突然、大時計が壊れたように鐘を鳴らした。二人が時計を見ると、時計の針がものすごい勢いで回っている。

「時間が歪んでいる!」と、リオナは叫んだ。「何かあったんだわ。マチルダ、この魔法陣から絶対に出ちゃだめよ!」

魔法陣を出ようとしたリオナの手を、マチルダがつかんだ。「待って。これを!」と言って、マチルダが自分の首にかけていた鎖を外し、妖精と魔法陣のチャームがついたアミュレットをリオナに渡した。

「ありがとう」とだけ言い、リオナはアミレットを自分の首にかけた。

リオナが魔法陣を出ると、黒い雲のようなものが、部屋の隅々からもやもやと広がってきた。

リオナは、左手に持った杖を、雲を裂くように振りかざした。

杖から白い閃光が走り、黒い雲がはじけて消えた。だが、窓の外に、ガラス窓にべたべたと手を付ける邪霊の姿が見えた。やはり、直接建物の中には入ってこれないようだ。

それを察したリオナは、呪符のタトゥーを刻んだ右手を、行く手の闇に力を込めて振り下ろした。炎の道が走り、邪霊達が灰になって行く。闇の向こうは、まだ日射しがさしている。

わずかに出来た道を走り抜け、リオナは魔術師の研究室に向かった。