ゴーレムと魔女3

行く手が邪霊の闇に覆われる度に、リオナは右手で炎の道を開いた。だが、呪符のタトゥーに次第に痛みが走ってくる。

何度目かの炎を走らせたとき、ついにタトゥーに激痛が走った。

ひるんだ途端、邪霊の一匹が首に巻きついた。そしてもう一匹が、右手の動きを封じた。

リオナは左手に持った杖で、石の床を強く突いた。

透明な鉱石が雷光のような強い光を発し、リオナの首や腕に巻きついていたものも含めて、廊下一面に居た邪霊をかき消した。

リオナはバランスを崩して床に倒れたが、すぐに起き上がって杖を左手に握り、何もなくなった廊下を駆け抜けた。

ふと右手に折れる通路が目に入った。すぐ窓があり、行き止まりだと言うことは分かったが、何か気になった。

リオナは用心しながら右手の通路を折れ、暗がりに目を凝らした。

邪霊とは違う、何かが居る。不意に杖の鉱石が淡く光り出し、リオナはその光を暗がりの何かに向けた。

「お願い! ぶたないで!」と、暗がりから子供の声がした。

幼霊だ、とリオナは理解した。「あなたは、何処から来たの?」

「船で働いてたんだ。でも、船が沈んじゃって、僕も溺れて死んじゃったんだ」と、幼霊は泣き声で言った。

「僕は空のほうに行きたかったんだけど、色んな奴等がこの屋敷の中に引っ張られてきて、その流れに巻き込まれて此処に来たんだ」

「あなたを解放してあげたいけど」と言って、リオナは言葉を区切った。後ろを振り返れば、黒い雲のようなものがまた廊下の奥から近づいてきている。

「他の連中は、その暇をくれないみたいね」と言ってリオナは杖を構え、走り出しながら幼霊に言った。「必ず、助けに来るわ!」

研究室の場所はすぐに分かった。ドアがわずかに開き、ギリギリと軋んでいる。

リオナは用心深くドアを開けた。先ほどとは打って変わって、魔術師の研究室は、本棚や机が吹き飛ばされ、部屋の奥の魔法陣の中で、黒い煙のようなものが上がっていた。

その煙は大きなガラスの容器の中に収められ、その容器の先は細い管となって、別の魔法陣の上に黒い靄が噴き出ている。ここで、ゴーレムに邪霊を宿らせるのだろう。

「だ…誰か…」と、倒れた本棚の間から魔術師の声がした。

「何があったの?!」と、リオナは声を押し殺して言った。

「邪霊達は…契約の解除を…認めなかった」と魔術師は言った。「一塊になって…私の体を乗っ取ろうとして…爆発した。霊の数が多すぎたんだ」

「すぐに棚をどかすわ」とリオナが言うと、魔術師は「やめてくれ」と止めた。

「もう、胸と片足を…えぐり取られている。棚をどかせば…出血であの世逝きだ」魔術師は棚の隙間から腕を出し、「魔術書を取ってくれ…その床に落ちてる…」と言って、床の上を指さした。

リオナが、すぐ目に付く場所に落ちていた青い表紙の魔術書を持ってくると、「それだ。137ページの…魔法陣だ…呪文も書かれてい…」と言って、魔術師は「ぐぅ…」と呻いて黙った。

意識を失ったのか、死んでしまったのかは分からない。

同情しているより、すべきことがあることをリオナは分かっていた。

137ページには、見たことのない魔法陣が描かれていた。解除の呪文はすぐ見つけられた。

だが、リオナもここに来るまでに、だいぶ魔力を消耗している。「頼りになるのは、あなただけみたいよ」と言って、リオナは左手に持っている杖を垂直に床に立てた。

2つの魔法陣の前で、杖は淡く光りながら宙に浮いた。

リオナは、呪文を注意深く読み上げた。1回で成功しなければ、装置の中の邪霊達は、今度はリオナを乗っ取ろうとするだろう。

詠唱が続くにつれ、本に描かれた魔法陣と、杖が強く光り出した。邪霊の圧縮された装置を、杖の光が巻きつくように包んで行く。

リオナの首にかけていたアミュレットが、ふわりと肩の上に浮いた。

妖精のチャームが、本に描かれているものと同じ魔法陣を両腕に掲げている。

装置の中で、邪霊が暴れていた。光に包まれた圧縮機から逃れようと、ガラスに皹を入れた。空のほうの魔法陣からこぼれ出ていた黒い靄が、音もなくリオナを飲み込もうとした。

しかし、最後のスペルを唱え終わると、杖とアミュレットがひときわ強く輝いた。

装置が砕け散り、何かに吸い込まれるように包み込まれていた光の中に消え去った。黒い煙と靄も、白く発光して光の中に消えた。

成功したの? と、リオナは光の消えてきた杖を受け取り、辺りを見回した。邪霊の気配はない。

突然、ぼっと火が燃え上がるように、本棚の中から魔術師の霊が現れた。

「成功だ。ありがとう」と、魔術師の霊は言った。「もう一つ、頼まれてくれないか」

「何を?」と、リオナは訊ねた。

「地下にあるゴーレムに、私の魂を宿らせてくれ。そして、国に一体だけゴーレムが完成したと告げてくれ。そうすれば、妻は一生働かなくても良い報奨金をもらえる」と、魔術師の霊は言った。

「私はゴーレムを作ったことなんてないわ」とリオナは反論した。

「仕上げるのは簡単だ。そのアミュレットの魔法陣をゴーレムの前に書いて、ゴーレムの体に『EMETH』の文字を刻んでくれれば良いだけだ」と、魔術師は説明した。

「あなたはそれで良いの?」と、リオナは聞いた。

「元々、私の起こしたことだ。私は妻のために、壊されるまで働くよ」と魔術師の霊は言った。「妻には、私は邪霊に殺されたと言ってくれ。嘘じゃないんだ。君が気に病むことじゃない」


朝日の射す頃、リオナはその国の城に、魔術師が死と引き換えにゴーレムを一体創り上げたと報告した。そして、魔術師の霊を宿したゴーレムを、役人に引き渡した。

そして疲れた体を休めることなく、魔術師の家に戻って、魔法陣の中で眠っていた魔術師の妻マチルダにかけた、結界の呪法を解除した。

夫の死を聞き、マチルダは「そんなことになる気がしてたよ」と言って、少し涙を流し、服の袖で拭った。

リオナは、マチルダから受け取ったアミュレットを返し、「すばらしい魔力を持ったものよ。邪霊から私を守ってくれたわ」と告げた。

「それから、これも…」と言って、杖を返そうとしたリオナに、マチルダは「持って行って。せめてものお礼よ」と言った。

この杖を受け継いだ魔術師も、もう居ないのだ。「じゃぁ、もらって行くわね」とリオナは労わるように言って、「後から役人が来るはずよ。報奨金の話でね」と付け加えた。

「とてもそんな気分じゃないでしょうけど、遺産だと思って受け取ると良いわ」

「そうね…ありがとう」と言って、マチルダはうつむいた。「少し、一人にしてくれる?」

リオナは「分かったわ」と言って、最後の仕事を片づけに、昼の陽射しの射す廊下を歩いて行った。


廊下の隅っこの小さな暗がりで、幼霊はまん丸くなって日差しを避けていた。

「遅くなったわね」と、リオナは声をかけた。

「僕を引っ張ってた変な力が消えたんだ」と、幼霊は言った。「でも、飛ぶ方法が分からないんだ」

「魔力に縛られていた分、飛翔の力が落ちてるだけよ」と、リオナは手短に説明した。「私の右手に触れてみて」

幼霊は、おずおずと、リオナの右手に触れた。力を吹き込まれるような衝撃が走り、幼霊は廊下の隅まで吹き飛ばされた。

「どう? 体は軽くなった?」と、リオナは聞いた。

「僕、浮いてる…」と、幼霊は言った。「飛べるんだ! ありがとう…えっと…」

「リオナよ。あなたは?」

「エリック」と、幼霊は答えた。「リオナは、旅をしてるんでしょ?」

「ええ。修業中の身よ」とリオナは臆せず答えた。

「僕、空のほうに行くより、リオナと一緒に世界を回りたい!」と、エリックは元気に言った。「世界のことが知りたくて、船で働いてたんだもん。僕、絶対強い霊になって、リオナを守って見せるから!」

「ついてくるのは自由よ」とリオナは言った。「でも、自分の修業は自己責任でね」

「うん!」と返事を返して、一粒の光と化したエリックは、リオナの右肩にとまり、昼の光の中に姿を消した。


魔術師の葬儀を見送り、そのまま旅立とうとしたリオナだが、マチルダが「しばらく一人じゃ寂しいからね」と言って、リオナに館で休んでいくように進言した。

リオナも相当の疲れを自覚していたので、その言葉に甘えて、館でしばらく養生することにした。

「旦那の遺品だけど、私には分からないものばかりだから、本でも薬でも、好きなもん持って行って良いよ」と、マチルダは努めて明るく言った。

リオナは、すっかり邪気の無くなった魔術師の研究室で、様々な本を読み、入手の困難な高価な医薬品や魔法薬にも触れた。

すっかり勉強に熱中してしまい、丸一日間の疲労を取り去るのに、一週間かかってしまった。リオナは、ようやく痺れも痛みも消えたタトゥーを撫で、「明日、隣国に行くわ」とマチルダに告げた。

「そうかい」とマチルダは随分落ち着いて答えた。「本当に、持って行くものはその杖だけで良いのかい?」と、マチルダは困ったように聞く。

「あの書庫にあるのは、ちゃんとした場所で売ればどれも大金が入ってくる逸品ばっかりよ」と、リオナは言った。「私には、手に余っちゃう」

「そうかい。でも、売る気はないよ?」とマチルダは言った。「あんたがいつでも勉強しに帰ってこれるようにね」

2人は顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。