その箱の中 1

3歳だった私は、箱の中に居た。ボロボロの、今にも壊れそうな段ボール箱の中。

私は、助けを求めるということを知らない子供だった。泣き叫んでも誰も助けてくれないことも知っていた。そもそも声を出せば殴られることも知っていた。

3歳で、人間サンドバッグ。自分を不幸だと思ったことはない。比べる対象が居なかったから。私が何か言うと、私より不幸な子供の話を聞かされた。

私は、四肢がついている分、幸福なんだと思ってた。目を焼かれていない分、幸福なんだと思ってた。全身が殴られた痣まみれでも、幸福なんだと思ってた。

ある日から、私は箱の中に居た。たぶん、眠っている間に「梱包」されたんだ。

何処かの道端に捨てられたらしく、箱の外を馬車の通る音や、人の歩く音がした。

誰にも、何にも、迎えには来てほしくなかった。それだけ、箱の中の「何もない空間」は穏やかだった。

痩せ細っていた当時の私が、どうやって2日間を生き延びたのかは、記憶にない。身動きも取らずにいたから、ゆっくり消耗して行ったんだろう。

気を失うような「睡眠」の間に、誰かが段ボールを開けた。

琥珀色の眼をした、黒い髪のお兄ちゃん。お兄ちゃんが、片手を私に差し出してきた。私は、とっさに殴られると思って身構えた。

でも、そのお兄ちゃんは、私の頭を撫でて、「ガリガリなのに、よく生きてたな」って言って、唇の端を二ッと吊り上げた。


お兄ちゃんは、私の過去について何も聞かなかった。私の入った箱を家に持って行き、重湯を作って私に飲ませてくれた。

それから、まず私をお風呂に入れた。垢まみれだった私の顔と体を、柔らかいブラシで入念に洗ってくれて、私は初めて「皮膚がつるつるする感じ」を味わった。

痣だらけの手足が隠せる新しい衣服をもらって、連れて行かれた美容院で、髪を綺麗に整えてもらった。

むっつりして何もしゃべらない私に、お兄ちゃんは気軽に声をかけてきた。ちょっと特徴的な、方言みたいな喋り方で。

「お前、名前はなんてーの?」って。

私はそれに答えられなかった。決まった呼び名が無くて、「おい」とか、「お前」とか、時には「クズ」って呼ばれてたから。

そのことを、なんとか説明すると、お兄ちゃんは「うーん。だいぶ悲惨な人生だな」って言った。

私には、悲惨って言う意味が分かんなかったけど、お兄ちゃんが眉をひそめたので、とっさに「大人を困らせることを言ったんだ」って思って、自分がどれだけ「幸せか」を語った。

「腕も切れてないし、足だってある。目だって不自由じゃない。五体満足って言うの。そうじゃない人より、私はずっと幸せなの」って。

お兄ちゃんは、「名前が無くても?」って聞いてきた。「うん」って私は言った。何より、目の前にいるお兄ちゃんが怖くて仕方なかった。

このお兄ちゃんの機嫌を損ねてはならない、って思ってた。だから嘘をついた。

それに、人生は恐怖の連続で、その恐怖が無い時は「幸せ」なんだと思ってたから。子供は「名前を付けてもらえるものだ」って言うことも知らなかったから。

お兄ちゃんは、その街にあった寺院に電話をして、私の名前を付ける段取りをしてくれた。


数日後、私は聖女クラリスを祀る寺院で、「ネシス・テナ」と言う名前をもらった。

お坊さん達は、なんで私が3つを過ぎるまで名前が無かったのかを、お兄ちゃんに聞いていた。

お兄ちゃんは、「捨て子なんだ。つい1週間前に拾った」って言っていた。

それから、私の体にあった痣の事や、私が人間って言うより動物みたいな扱いを受けていたこと、名乗る名前も付けてもらえてなかたことを、お坊さん達に説明した。

お坊さん達は、祈る仕草をして、私の頭を撫でた。

頭に手をかざされたとき、びくっと身をすくめたら、お坊さんは「怖いことはないもない。これからは、このお兄さんがあなたを守ってくれるからね」って言ってた。

3歳にしては知恵のあった私は、私を捨てた「親」と言う人達が、同じソルエの街に住んでいることを知っていた。

外出するときになると、何処かで「親」に遭遇するのではないかと思って、常に身の周りを警戒していた。

お兄ちゃんは、その事が分かったみたいで、私をソルエの街から離れた場所に住まわせることにした。5歳の時だった。


アレグロムと言う、この国の一番北にある、フォルルと言う村に私とお兄ちゃんは引っ越しをした。

人口は二千人くらいの村で、人の密集している場所と、家もまばらな場所があった。

私とお兄ちゃんの新しい家は、村のほぼ真ん中にあった。その辺には、小さいお店がいくつか近くにあって、村に一件だけあるお医者さんも近かった。

家の外に出て数分歩くと、広場があった。聖女サランを祀ったお寺が近くにあって、公園の真ん中には真鍮製の聖女クラリス像が立ってた。

大人が子供に知恵と物語を教える、「語らい小屋」もあった。

私は、最初は大人が怖かったけど、お兄ちゃんと一緒に数回「語らい小屋」に行ったら、そこに集まってくる大人達は「安全な人」だと分かった。

主に、「聖女サランの偉業」についてを聞かされた。私からお兄ちゃんに話をねだる時もあった。

私が、大人に何かをねだったのは、この時が最初だった。


お兄ちゃんは、料理が下手だ。私はそうハッキリ言えるくらい、お兄ちゃんに気を許すようになった。

私が、「ハムエッグって言うのが食べたい」って言った時、お兄ちゃんは村の市場から、卵とハムの塊と塩とコショーを買って来た。それから、何故かリンゴも。

お兄ちゃんは、まず、「綺麗に卵が割れるかどうか」の時点で躓いていた。3個連続で黄身が潰れてしまって、4回目で卵を割るのに成功した。

フライパンでハムを先に焼いて、卵を流し込んだ。しばらく焼けるのを待って、白身と黄身が良い色になってきた頃、お兄ちゃんはこう言った。

「油敷くの忘れてた」って。

フライ返しで玉子を引っぺがすと、ハムを敷いていた部分はなんとか剥がれたけど、フライパンに直についていた白身は、その形のまま残ってしまった。

ハムも焼け焦げていて、あんまり美味しそうじゃない。

お兄ちゃんは、こうなることが分かってたみたいに、「すまん。リンゴでも食っててくれ」って言って、焦げた卵を捨てようとした。

だけど、私は「それ、お皿に盛って」って頼んで、「初めて私のために用意された料理」を、ちゃんと残さずに食べた。フォークとナイフを使って。

「ちょっと苦いけど、美味しいよ」って言うと、お兄ちゃんは「タフな奴」って言って、私の頭をぐちゃぐちゃに撫でた。


お兄ちゃんは、時々、「金欠」と言うものになって、お湯で温めて食べる「インスタント食品」って言うものを、よくご飯の代わりに出してくれた。

ヌードルやスープが主だった。さすがにそれだけじゃ足りなくて、私は思わず「お腹の減らない暮らしがしたいね」って言っちゃった。

お兄ちゃんは、その言葉をずっと覚えてたみたいだ。

私が10歳になる頃、お兄ちゃんは何処かに「就職先」を見つけてきて、私と離れて暮らすようになった。

私は、自分の身の周りの世話くらいはできるようになったけど、「お兄ちゃんが居る生活」が当たり前になってたから、お兄ちゃんが離れて暮らすって言い出した時、すごく心細くなった。

お兄ちゃんは、私がいつでも連絡が取れるように、魔力を宿したアミュレットを用意して、私の部屋に魔法陣を描いた。

その4隅に蝋燭を置いて、アミュレットを付けた両手をかざすと、「通信」と言う魔術が起動する。

「いつでも連絡してこい。急ぎの場合はすぐ駆け付ける」って約束して、お兄ちゃんはフォルルの村を去った。


私の「反抗期」が始まったのは、丁度この頃だ。お兄ちゃんを名字で呼ぶようになって、本当に「用件」のある時しか、名前では呼ばなくなった。

特に何かきっかけがあったわけじゃない。だけど、お兄ちゃんが「私に名前で呼ばれると、ちょっと良い気になる」のは分かってた。

私なりに、身近な存在が居なくなったのが寂しかったんだ。だから、その身近な存在を「意識的に遠ざける方法」をとったの。

一人で暮らすようになってから、私は友達を見つけた。近所に住んでた女の子。彼女の名前は、ネイク・サラン・ラダ。元々フォルルの村の出身で、聖女サランの寺院で名前を付けてもらったそうだ。

私は、その子をネイクって呼んだり、サランって呼んだりする。彼女は、どっちの名前で呼ばれても、普通に返事をする。

琥珀色の透き通った瞳をしていて、同い年だって言っても、ネイクが「可愛い子」であることは見て取れた。

でも、「可愛い子」であるが故に、ネイクは男の子からよくからかわれたり、言いがかりを付けられたりしていた。男の子は、なんとかネイクの関心が引きたいらしい。

だけど、自分達ではそれが何故なのかが分からないので、「お前見てると苛つくんだよ」と言いがかりをつけて、ネイクに石を投げたり、殴ろうとしたりしていた。

私は、外からネイクの悲鳴が聞こえてくる度に、丈夫な麺棒を持ちだして、ネイクに絡んでくる男の子達を追い払っていた。実際、男の子の頭に向かって麺棒を振り下ろしたこともある。

男の子達をしたたか殴った後は、ネイクの片手をつかんで、クラリス像の前まで逃げた。

さすがに、1日中お坊さんが見張っている寺院の前では、男の子達も悪さをしないから。