屋敷の主人クレアが、リオナを食堂に招いた。そして自ら椅子を引いて、手招いてリオナを着席させた。
「料理の準備はさせてあるから、すぐに持ってこさせるわ」クレアが言うなり、テーブルクロスに覆われたテーブルの上に、湯気を立てた巨大なスープ鍋が現れた。
2人分のスープ皿が宙を漂って食堂に来た。お玉が勝手にスープをすくい、皿に盛る。何者かが、リオナと、向かい合って座ったクレアの前に熱々のスープが入った皿を置いた。
リオナとクレアの手元に、金のスプーンがそっと置かれる。
「ミネストローネはお好きかしら?」と、クレアが小首をかしげて聞いた。
「カボチャ以外は、なんでも好きよ」クレアの魔術に感心しながらリオナは言う。「これだけの術が使えるってことは、精霊が数十体居るのかしら?」
「その通りよ。察しが早いわね」クレアは笑みを絶やさない。「屋敷の仕事は全部精霊達に任せてるの。私がいつ出かけても、いつ帰ってきても良いようにね。さぁ、温かいうちに召し上がれ」
「ありがとう」と言って、リオナは食事を始めた。
リオナの近くを漂っていたエリックは、様々な精霊が部屋を出たり入ったりしているのに気付いていた。
さっきの鍋の登場も、ある精霊が霊体の中に鍋をくるみこんで持ってきて、テーブルの上に鍋を置いてパッと離れただけなのだ。リオナには、スープ鍋が瞬間移動してきたように見えたかもしれない。
エリックには、まだかつて腕や足のだった霊体の形が残っているが、精霊として成長すると、あんな風に物を運ぶようになるのか、と本人も感心していた。
だが、よく考えれば、自分がリオナを浮遊させて何処かへ連れて行くときも、腕で持ったりしないで、霊体全体で包み込んでいる。
「人間の習慣を忘れる日が僕にも来るんだな」とエリックは覚悟した。
食事はフルコースで運ばれてきた。盛りつけも美麗、香りも味も上等。
すっかり目も鼻も舌も胃袋も満足したリオナは、デザートを食べ終ってから、口元をナプキンで軽く叩き、「ごちそうさま。思わぬところで、シェフに会いたくなる料理に出逢ったわ」と言った。
「どういたしまして。せっかくのお客様ですもの」クレアはにこやかに言う。「寝室を用意させたから、その鬼火について行ってくださいな。案内させますわ」
クレアがそう言うなり、食堂と廊下をつないでいる扉が開き、廊下に青白い鬼火が灯っていた。
鬼火について行くと、ある一室の部屋の前で、やはり扉が勝手に開いた。「こちらへどうぞ」と、女性の声で鬼火が言う。
その寝室には、天蓋付きのふかふかの大きなベッドと、手入れの行き届いた上等な衣装ダンスがあった。
「御着替えを」と言って、鬼火が衣装ダンスの中から、シルクのネグリジェを取り出す。
「至れり尽くせり、ありがたいことね」と言って、リオナは旅行鞄を床に置き、着替え始めた。
リオナが着替えている間、エリックは鬼火の目を盗んで廊下に戻った。エリックにもよく分からないが、精霊特有の直感のようなものが働いたのだ。
エリックは、初めて意図的に、「遠くの音を聞こう」とした。
誰かの声がする。「食事だ。食事だ。食べたい。食べたい」。そして、鎖を引きずるような音が聞こえた。
狼の遠吠えのような叫び声がしたが、リオナは気づいていない。きっと、何かの術で音を封じてるんだとエリックは察した。
「エリック。他人の屋敷をうろうろしちゃだめよ」と、リオナが部屋の中から言う。
リオナの着替えの手伝いを済ませた鬼火が、「ごゆっくり」と言って、来た廊下を戻って行った。エリックに、威嚇の気配を投げて。
部屋に戻ると、白いシルクの、ゆったりしたドレスのようなネグリジェに着替えたリオナが、ベッドに飛び込む所だった。
「揺れないベッドって快適」と言って、今すぐにでもリオナは眠りこみそうだ。
確かに、リオナの体力を考えると、今から彼女を「探索」に駆り立てるべきではない、とエリックは判断した。
「リオナ。僕、ちょっと外に行ってくる。何かあったらすぐに呼ん…」まで言って、エリックはリオナが枕を抱いたまま、ブランケットもかけずに眠りこんでるのに気付いた。
僕のご主人様は思ったより、ちょっと手がかかるみたい、とエリックは思いながら、リオナを抱え上げ、ブランケットの下にそっと寝かせた。
エリックが中庭に出ると、屋敷の2階の渡り廊下を歩いているクレアの姿を発見した。
エリックは、以前乗った船で覚えた気配の紛らわし方を応用して、木々の梢に紛れながら渡り廊下の近くまで行った。
廊下を歩いているクレアに微笑みはなく、逆に何かに急き立てられているような緊張感が感じ取れた。
何処かで、鉄格子の鳴る音がする。「食事。食事。食べさせて。食べさせて!」と、ガラガラの声で誰かが叫び、苦痛に耐えるような悲鳴を上げていた。
「だめよ、ステラ」と、クレアが鉄格子に向かって声をかけた。「今日のお客様は、食事じゃないの。薬は使ったけど、精霊に守られてる。食事にすれば、きっと貴方も大怪我を負うわ」
「食べさせて! 食べさせて! おねぇちゃん!」と、ガラガラの声が吼え、両手で鉄格子を叩くような音がした。
「ステラ。後で、村から誰か連れてくるから。その人なら、食べて良いわ」と、クレアが恐ろしいことを言った。
エリックは急いでリオナの元に戻った。「リオナ。ここ、やっぱり変だ!」と呼びかけても、リオナは起きる気配はない。
枕をゆすっても、肩を叩いても、全く起きない。
よく考えれば、あの用心深いリオナが寝入りばなからおかしかった。エリックはここでようやく、「眠り薬…」と呟いた。
