鏡越しに充血している眼を見て、その日が何日目かを数えた。
カレンダーに記録をつけ始めてからでも、1週間以上が経過している。
俺は洗面台の蛇口を回し、冷たい水で眠気を拭い去るように顔を洗った。
手探りでタオルを取り、ぐしゃぐしゃと顔と前髪をぬぐう。
眠りなおす気にはなれなかった。
医者から処方された睡眠薬を服用し、わずかの願いをかけて眠るが、深く眠れば眠るほど、苦痛は大きくなる。
そして、わずか3時間もたたぬうちに目が覚める。単純に言ってしまえば、唯の睡眠不足だ。
日常生活に支障がある部分と言えばそれだけ。
だが、「悪夢付きの」と来ると、流石に神経も参ってくる。
この現象が起きたばかりの頃は、まだレパートリーがあった。
蛇のような顔と皮膚の女に追い回されたり、血濡れた包丁を持ったまま逃げ回ったり、高笑いの響く中で何処かに死体を埋めたことを思い出したり。
医者にはそこまでしか話して無いが、段々夢は短絡的になってきた。
柱に括り付けられて銃で撃たれたり、断頭台で首を切り落とされたり、電気椅子にかけられたり。
そして決まって、誰かが呼ぶんだ。死んだはずの俺の顔を叩いて、俺の名前を。
夢の中で目を覚ますと、そこは取調室になっている。
あまりの眠気に目を閉じそうになると、顔を叩いて起こされる。
いっそ本当に目が覚めてくれれば良いが、そこまでは甘くない。
刑事と思しき連中は、俺が別の夢で行なった犯罪について尋問してくる。
夢の中の俺は、別の夢のことを覚えていない。
「知らない」と答えても、もちろん尋問は終わらない。
刑事は交代制で取調室に来て、俺を眠らせずに質問を続ける。
俺が眠気に屈して何か言おうとすると、言葉を出さないうちに、本当に目が覚める。
睡眠中も、起きてからも、ずっと俺は寝不足だ。
起きてから冷静に記憶をつなげてみると、蛇のような皮膚の女を殺した後、山中に埋めて、そのことが発覚して取調室で眠らせない拷問を受けながら刑罰を受ける夢を見ている、
と言う、小説にもならないような陳腐な話が書けそうだが、眠っている間はその話を結び付けられない。
そのうち夢の中の俺が別の夢で行なった犯罪を告げたら、次に死刑の夢が再開するのだろうか?
どうなるかは分からないが、いっそ夢の中で、別の夢を思い出してみたいものだ。それでぐっすり眠れるなら。
「おい。まだ4時だぜ?」と、誰かが言った。2段ベッドの上に眠っていた男が、不機嫌そうにカーテンをめくった。
「悪いな。また悪夢だ」と俺は答えた。
「お前の睡眠不足に俺まで巻き込むなよ」と男は言って、カーテンを再び閉めて眠りなおしたようだ。
夢の中で取り調べを受けないで済むなら、俺も眠りなおしたいところだ。
また一週間が経った。
なんだかその日は気分が軽かった。ようやく、夢の中の尋問室で「知らない」以外の言葉を発することが出来たのだ。
夢の中の俺は、何かを話し、尋問室の机に突っ伏したまま、意識を失った。
そして本当に目を覚ますと、やはり朝の4時だった。
だが、気分は軽かった。
「405番。出ろ」と、誰かが部屋の外で言った。
俺はその番号に聞き覚えがあった。
そうか。ようやくゆっくり眠れるのか。
頭の中で誰かが言った。
俺は格子の外に出て、手錠をかけられた。
山中に埋められていた遺体が発見されたと、手錠をかけた誰かが俺に告げた。
刑は執行され、俺はようやく穏やかな眠りに就けた。
出勤するなり、下っ端の刑事が上司に声をかけてきた。「害者の身元が分からないって本当ですか?」
「ああ。届が出ていないのか知らんがな」と、寝ぼけ眼の上司は答えて頭をかいた。「まだしばらく、まともに眠れそうにないな」
俺は最期の夢を見て、思わず声をあげて笑ってしまった。
頭の中で響く笑い声は、夢の中で聞いた高笑いに似ていた。