日射しから逃げるように西に飛び、ある程度、朝日から距離を取った後、人気のない森の中で地面に着地した。
リッドは目立つ赤毛をフードの中に隠し、蝙蝠のような黒い羽をひだに隠れている外套の切れ目の中にしまった。
エネルギーの消耗を感じて、手近な老木に手をあてた。
バリバリと音を立てながら、老木の節の膨れた幹が細くなり、枝葉が張りを取り戻してゆく。
「120年」とリッドは呟いた。「量は十分だが味気ないな」
見知った足取りで森の中を進むと、一軒の古びた家の前に出た。
「レティ。いるか?」とドアをノックして声をかけると、家の中で何かをひっくり返した音がした。
ガランガランと、空っぽの大鍋を転がしたような音がする。
「いたたた。どちら様ですか?」そう言って玄関に出てきたのは、小じわの跡もくっきりとした緑の目の初老の男性だった。
何処かにぶつけたらしい脇腹を撫でながら、リッドを見て、驚いたように目を丸くした。
「しばらく見ない間に、すっかり老け込んだな」とリッドは言った。
「やはりリッドか?!」初老の男性は顔中をくしゃくしゃにしながら、にっこりと笑った。「これは懐かしい。さぁ、日も昇る。早く入ってくれ」
「邪魔するよ」リッドはそう言いながら、外套のフードを脱いだ。「レティ。クリスティはどうした?」
「実は、この頃、調子が思わしくない」レティと呼ばれた老人は声を潜めて言った。「悪いが、また『時』をもらってくれないか? 奥の部屋の椅子に座ってる」
「悪いどころか、大歓迎さ」と言って居間を横切り、リッドは家の奥の椅子に座っていた人影に近づいた。「久しぶりだな、クリスティ。俺のことは覚えてるか?」
ブルネットの髪の美しい女性の姿をした機械人形は、何かを考えるようにカタカタと歯車の音をたてた。
「声紋確認。リッド・エンペストリー様」と、クリスティは呟いた。「レティ様が、お待ちなっていらっしゃいました。どうぞ、ごゆるりと。お茶をお持ちいたし…ま…」
機械人形はそう言って立ち上がろうとしたが、椅子のひじ掛けに手をかけた姿勢のまま、エンジンの唸る音を立てて停止した。
「エラーが発生しました。レティ博士にお伝え下さい」機械人形は言った。
「こいつは、だいぶガタが来てるな」リッドは言った。そしてレティのほうを振り返り、「どのくらい前からこの調子だ?」と聞いた。
「調子が悪くなり出したのは15年前からだ。何度も手直しをしたが、どうしても以前のように振舞えない」とレティ博士は困った顔で言った。
「人間以上に人間らしい人形だったのにな」リッドも残念そうに頭をかいた。「目に見えて調子が悪くなったのが15年前とすると…20年くらいもらっても大丈夫か?」
「30年は持って行ってくれ」と、クリスティの作り主は言った。
「それでは、肌も美しい新品に生まれ変わるように」と言って、リッドは機械人形クリスティの両肩に両手をかけた。
パリパリと電気の鳴る音が響き、クリスティの関節や皮膚のゴムが青白く発光し始めた。
リッドにも電気の衝撃は伝わっているはずだが、躊躇せずリッドはクリスティの変化を見つめていた。
クリスティの皮膚のわずかな傷が消えうせ、自分で梳かせなくなっていた髪に張りと艶が戻り、うつろだった視線に生気が宿った。
恐らく、自分で着替えられなくなってからは身にまとったままだったらしい、衣服の擦り切れや、傷んだ布地も新品の状態に戻って行く。
「服のお直しはサービスだ」リッドは発光する機械人形から手を離した。
青白い光が治まると、クリスティは夢から覚めたように辺りを見回した。
「まぁ。リッド様」と、たった今気づいたように、顔を赤らめてクリスティは言った。「私ったら、髪も直して無いのに…申し訳ありません。少し身支度をしてきますわ」
「ああ、転ぶなよ」と返事をして、リッドはクリスティから離れた。
階段を駆け上がって行った機械人形を見送り、リッドはレティのほうを振り返った。「さて、博士のほうのお直しも必要かな?」
「あまり吸い取りすぎないでくれ」レティ博士は片手を差し出しながら苦笑いをした。「若返りすぎると、腕力も落ちてしまうのでね。いざと言うときクリスティを抱き上げられないと困る」
「しばらくその心配は無いようにしておいたけどな」リッドは言って、初老のレティ博士と握手をした。
髪をとかして結いなおし、給仕用のエプロンをかけたクリスティが2階から戻ってくると、居間には背の縮み始めた老人ではなく、体格の良い若い科学者が、客人とテーブルを囲んでいた。
「すぐにお茶をおもちいたします」そう言いながら、クリスティは台所に向かった。だが、お茶を淹れる前に怒りながら戻ってきた。
「レティ博士! ハーブを切らしちゃいけませんと言っていたじゃないですか!」
「すまない。薔薇の粉で代用してくれ」レティ博士はさして悪びれた風も無く言った。
「何を、にやついているのですか?」と、クリスティはレティ博士を見て言った。
「すっかり元通りだと思ってね」レティは満足そうに返した。「三つ編みを編み間違えてるところまでおんなじだ」
それを聞いて、クリスティは何か言い返そうとしたが、ふっと息をついて「お茶をご用意します。薔薇の粉がたっぷりの」と言って台所に戻った。
その後姿を見送って、レティとリッドは満足そうに笑っていた。
鼻が痛くなるほど薔薇の香りのするお茶を飲みながら、リッドとレティはしばらく古今の話に華を咲かせていた。
「それにしたって、今日は急にどうしたんだ?」と、レティは話の合間に冗談めかしてリッドに聞いた。「僕の死期が分かったってわけでもないだろ?」
「実は、親父に追われている」と、率直にリッドは答えた。「この間、ちょっとした親戚の家に立ち寄ることになったんだが、たぶんそこから足がついたと思う」
「まだ家には帰っていないのか?」と、呆れたようにレティが言った。「たまには里帰りくらいしても良いんじゃないか?」
「あの親父のことだ。家に帰ったら監禁されて、親父の好みの婆共の『時』を食わされ続けることになるだろうな」
リッドは予想の範囲だと言う風に罵った。
「俺にも好みがあるってことを、あの親父は全く理解していない。昔からそうだった。俺が『時』を食って若返らせた女達は、みんな親父のお食事に成っちまってた」
「そう言えば、それが原因で家を出たって言ってたな」
悪いことを聞いたと言う風に、レティは首筋をかいた。
「でも、このまま家出を続けるわけにもいかないだろ? 昼間は寝床が必要なんだし」
「そこで相談なんだが」と、リッドは言い出した。
「ここに数日置いてくれたら、もっと西のほうに行ってみようと思ってる。船のチケットを手に入れてくれないか?自慢じゃないが、俺は吸血鬼並みには長く飛べないんでね」
「それは構わないが」レティは心配そうに言葉を濁す。「船だと大陸まで数日はかかるぞ。その間、一切外に出ないつもりか?」
「夜になったら気分転換には出かけるさ」
リッドは言って薔薇の香りしかしないお茶を飲み干すと、カーテンを閉め切った居間で、長椅子の上に横になった。
「少し眠らせてくれ。日射しを入れないように気を付けてくれよ」
そう言って、すぐに寝息を立て始めたリッドに、クリスティがそっと毛布を掛けた。