夜行便の船に乗り込み、リッドは傍らで周囲を見張るように佇んでいるクリスティをちらっと横目で見た。
「何も、付いて来なくても良いだろ?」
リッドは不服気に言ったが、クリスティは「リッド様くらいの見かけの少年が一人で船に乗ることなんてできませんわ。チケットのチェックの時に怪しまれます」
と、当たり前のように言い返した。
「面倒な世の中になったもんだな。じゃぁ、お姉様は個室で休んでいて下さいな。俺はちょっと散歩してくる」
手荷物をクリスティに預けてリッドは船の展望台に向かった。
夜霧を切り分けるように、船は悠々と海を進んでいた。
「水に落ちたパンパネラは死ぬんだっけな」リッドは硝子越しに見える海を見下ろしながら、どこかの作家の書いた古い小説の内容を思い出していた。
「そう簡単に死ぬわけが無いのにね」と、何処からか少女の声がした。
リッドが声のほうを向くと、暗がりでは黒と見間違えそうな、深い青い瞳をした銀髪の少女がいた。目の奥に、赤い光を灯らせている。
「こんな所でお仲間に会うとわね」と、リッドは言った。「読心術か? 習うなら、もっとましな魔術を選んだらどうだ」
「私、リーザって子に似てるみたいね」銀髪の少女はリッドの警告を無視して続けた。「読心術も、覚えれてみればとっても使い勝手のある能力よ。誰も、私の前では嘘はつけない」
「安心して他人のプライバシーに干渉してくる奴は、寝首かかれるぜ?」リッドは冗談めかして言った。
「私はサラ。あなたはリッドね?」銀髪の少女は勝手に話を進めていく。「あなたったら、なんの魔術の心得も無いのね」
「とっておきは、他人にひけらかすもんじゃない」とリッドは海のほうを観ながら言った。
「反魔術くらい覚えておかなきゃダメよ。そのとっておきだって…」と言いかけ、少女は言葉を切った。それから、まじまじとリッドの顔を覗き込み、
「あなた、自分の能力が、どんなものかもわかってないの?」と、おかしそうにサラは聞いた。
「言ってんだろ。とっておきは、ひけらかすもんじゃない」とリッドは答えてから舌を出して見せた。
「反魔術も知らないのに、よく私から心を隠しておけるものね」と、サラは不満そうに言った。
「あんたの能力がまだ未熟なんだろ」リッドは罵るでもなく気楽に答えた。
「あら残念。将来占い師になるのが夢なのに」サラは言って、話を変えた。「リーザって言う子は、相当な魔術師みたいね」
「その点はあんたとは違うな」リッドは、いい加減追い払いたいと言う風に言った。「あいつは俺が知ってる中でも、特別級の能力者だ」
「私だって、後500年生きれば、そのくらいになれるわ」サラはお構いなしにリッドのプライバシーを侵害して行く。「恋仲になるなら、もっと良い男を選ぶけどね」
「あんたをちやほやしてくれる、都合の良い男か?」リッドは辛辣に言う。
「違うわ」とサラは否定した。「見た目が綺麗で、私に全霊で服従する、都合の良い下僕よ。パンパネラに生まれたなら、そのくらいの契約を取り交わす人間くらい、簡単に捕まえられる」
「イーブルアイを隠す方法を覚えてからにたほうが良いぜ?」
リッドは自分から立ち去ったほうが早いと察して、階段のほうに移動した。
「218号室でしょ」サラが言った。「暇だから、遊びに行ってあげる」
「つま先ひとつ侵入させねーよ」リッドは言って、ついて来ようとしたサラを振り返ると、サラの目の前でパンッと強く手を叩いた。
驚いたサラが目を閉じた瞬間、リッドは素早く展望台から姿を消し、個室の中に滑り込んだ。
部屋に鍵をかけると、ベッドに座って驚いたように目を瞬かせているクリスティに、「厄介な奴がいる」と言った。
問題は次の日に起きていた。昼間の日差しを避けて、カーテンを閉め切りベッドの分厚いブランケットの中で丸まっていたリッドは、外のガヤつく音で目を覚ました。
クリスティも物音に気付き、「リッド様はそのままベッドにいらっしゃってください」と言って、部屋の鍵を開けて外に出た。
外側から鍵のかかる音を確かめ、リッドは聴覚に神経を集中した。
「これはひどい」
「首筋をえぐり取られている」
「乗客に事情を聞いたほうが良いでしょうか?」
「そうするしかあるまい」
「何かあったのですか?」とクリスティの声がする。
「ご婦人の見るものではありません」船員らしい誰かが言った。
「殺人事件です」と別の声が言った。
「失礼だが、あなたは何号室の?」別の船員の声がした。
「218号室です」とクリスティの声が答える。
「それでは、昨晩、何か聞いていませんか? 人の呻く声や騒音など」
「聞いていません」とクリスティは答える。
「そうですか…疑うわけではないが、あなたの部屋の前から、血の痕が続いているのです」
「それじゃぁ、私達の部屋の前で誰かが殺されたと?」とクリスティは口を滑らせた。
「達? ご家族がお乗りですか?」誰かがクリスティに聞いた。
「はい。弟が」とクリスティは口裏を合わせた。「でも、彼は病気なんです。日光に当たると、皮膚癌になってしまうのです」
「ご病気ですか?」と誰かが問いただした。
「はい」とクリスティは短く答えた。
「あなたのお名前と、弟さんのお名前を教えて下さい」
「私はクリスティ。弟はリッドです」と、クリスティは正直に答えた。
「ファミリーネームは?」と聞かれ、クリスティは「エンペストリー」と答えた。
「ご病気の弟さんを連れて、どうして船の旅に?」と質問は続く。
「西の大陸に、良い病院があると聞いて」と、クリスティ。
「分かりました。気味が悪いかもしれないが、部屋で待っていて下さい。鍵は必ずかけて」
そう言われて、「はい」とクリスティが答えてから、クリスティの足音が部屋に近づいてきた。
部屋の鍵が開き、ドアが開いて再び閉じられる。
「リッド様。お聞きになっていらっしゃいましたか?」
「ああ」と、リッドはブランケット越しに、曇った声で答えた。「うまく繕ってくれたな」
「遺体は、首が噛み千切ったように抉られていました」と、クリスティは見て来た内容をリッドに説明した。
「妥当な筋で考えると、サラか、サラのことを知っているほかのパンパネラが、俺に嫌がらせをしていると言う事か」
「殺人の濡れ衣を着せようと言う事ですか?」と、クリスティ。
「そう言う事だ。日が落ち次第、色々探ってみなけりゃな」とリッドは言って、再び寝息を立て始めた。