機械人形5

「一件落着ね」と、サラは展望室の隣にいるリッドに言った。

「いや、まだだ」と、リッドは心の中で言った。「人狼化は伝染病だ。今日噛まれた女と、昨日首をえぐられてた奴も、火葬され無い限り、いずれは人狼化するだろう」

「それじゃぁ、切りがないじゃない」とサラは驚いたように言った。

「どの程度で発症するかは分からないが、今の俺達には関係ないことだ。また、濡れ衣を着せられない限りな」

リッドは他人事のように心の中で言って、「あ。俺のコート返してもらわねーと」と言い出した。

「コートより、伝染病のほうが厄介でしょ?」サラは辺りを見回し、声を抑えて言った。「あの女から力を奪えるなら、他の連中も人狼に成らないように出来るんでしょ?」

「人目を気にするほうなんでね」とリッドは言って、「コート返してもらお」と、狼女の連れて行かれた隔離室に向かおうとした。

「リーザちゃんの作ったコートがそんなに大事?」サラはむっつりとした顔でリッドの背中に言った。

「もちろん。世界に一着しかない服なんでね」にやりと笑って言うと、リッドは悠々と展望室を後にした。


クリスティは、外套を着たリッドが戻って来たのを見て、安心したようにため息をついた。

「用意は出来てるか?」と、リッドはクリスティに問いかけた。

「はい。いつでも」とクリスティは充電の十分に済んだ両手の爪を見せた。一見緑色のマニュキュアを塗ったように見えるが、わずかに発光している。

「光は抑えておけよ。これから船の外を一周しなきゃならない」と、リッドは言った。


まだ月明かりの射している窓を開け放ち、リッドはクリスティを抱えて宙に飛び立った。

船の壁に隠れるように船の船尾通って飛びながら、客室の反対側にある看護室に続く廊下の窓に飛び込んだ。

「重い…あらかじめ窓開けておいてよかった…」と、リッドはグロッキーになりながら言った。

看護室から悲鳴が聞こえてくるのを聞きつけ、クリスティは「リッド様!」と呼びかけた。

リッドは髪と羽を外套の中にしまい、クリスティと共に看護室に飛び込んだ。

中では、さっき首を噛まれたばかりの太った婦人が、取り押さえようとする看護士達を跳ねのけんばかりに、体を痙攣させていた。

「なんですかあなた達は!」と、看護士の一人が言った。

「少しばかり、この伝染病に詳しい者ですよ」とリッドは言って、ずかずかと看護室に入り込んだ。

「伝染病?!」と叫んだ看護士を含め、婦人を取り押さえようとしていた者達の間に緊張が走った。

「クリスティ」とリッドは呼びかけた。クリスティは、5人がかりで取り押さえようとしている婦人を、その細い体からは想像できない重みも利用して、一人でベッドの上にねじ伏せた。

「少しばかり、首の傷を手当させてもらう」と言って、リッドはクリスティの重さで押しつぶされている婦人の首に触れ、時計を見て「2時間前ってところかな」と呟いた。

吸い取る時間は一瞬だった。リッドが婦人の首に触れ、やうやうしく「1、2、3」と唱えた後、婦人の痙攣が治まった。

クリスティが患者から離れると、一人の看護士が分厚く撒いてある包帯をそっとずらしてみた。血の跡を残して、首の傷は消えている。

「傷が無い…あなた達は、何を?」と、看護士は驚いてリッドに聞いた。

その時には、既にリッドもクリスティも、看護室から消えていた。


またクリスティを抱えて船の壁を半周し、リッドは自室へ戻った。「レティに、お前の軽量化を頼んでおいてくれ」と、リッドはベッドにうつ伏しながら言った。

「申し訳ありません。モーターを新機種に変えたのですが」と、クリスティは言った。

「30年前の新機種は、今の中古品だ。あと一匹は何処だって?」リッドは投げやりに聞いた。

「傷を調べて記録をつけた後、海に沈めたと」と、クリスティは答えた。

「なるほど。発症が先か、魚に食われるのが先か…」リッドは呟きながら考えた。「俺達が怪しまれるのが先か…」

リッドの心配をよそに、その夜は静かに明けて行った。


何事も無く昼間を過ぎ、また夜が来た。船が大陸についたのも、まだ日の明けない早朝だった。

「最近の船は、時間に正確だな」リッドは手荷物の鞄を持ち、クリスティは小型のトランクを持ち、チェックを済ませて船から降りた。

桟橋を歩いていたリッドの足を、何かがつかんだ。

引きずり込もうとするように、一匹のウェアウルフが海から姿を現した。

完全に油断していたリッドは、そのまま海に沈みそうになった。

「リッド様!」クリスティの声がする。

クリスティは、リッドの足をつかんでいるウェアウルフの指を引きちぎったが、自分も髪をつかまれ海の中に落ちた。

リッドは海から這い出て、桟橋に座り込んだ。不気味に水面が静まり返っている。

「誰か引きずり込まれたぞ!」と、見ていた者が言った。

静かだった水面が、バチバチと帯電し始めた。クリスティが、片手を上げて海から浮かび上がってきた。

首筋が切り裂かれ、彼女の体を維持する、装置の一部が露出していた。

「リッド様! これを!」そう言って、クリスティは一枚の歯車をリッドに手渡すと、頭をもたげてきたウェアウルフを押さえつけ、モーターを全力で回転させながら海に沈んでいった。

「またウェアウルフか」と、誰かが言った。

「婦人が一人引きずり込まれた。身元は?」と、別の誰かが言った。

「君、大丈夫か?」と、リッドに気づいた誰かが声をかけた。

「俺は大丈夫だ。引きずり込まれたのは俺の姉だ。クリスティ・エンペストリー。乗客名簿に書いてある」

水面を見たまま事務的にリッドは答えた。

「身内の者には俺が伝える。世話になったな」

と言って、リッドは鞄とトランクを持って、のろのろと港町のほうに歩き出した。

「もう、上がってこないわよ」と、いつの間にか隣を歩いていたサラが言った。「自分を重りにして、奴を溺死させたの」

「言われなくても分かってるよ」とリッドは上を向いて言った。「あいつ、すっげぇ重いんだぜ? 奴等くらいの力じゃ、持ち上げられねぇよ」

「分かってる割には、涙目みたいだけど?」と、サラは呆れたように言う。

「しぶきが目に入った」とリッドは言ったが、「私の前では、誰も嘘はつけないわよ? 泣き虫君」とサラは言って、弱みを握ったとばかりにニヤニヤしながらリッドについて来た。


「そう言うわけで、クリスティは一緒にはこれなかった」と、20年後、レティの家に立ち寄ったリッドは言った。

「自分で歯車を取り出すなんて…怖かっただろうに」と、以前より20歳老けたレティは、ピカピカに磨かれた状態の歯車を見て言った。「『時』を食べていてくれたんだね。新品同様だ」

「もちろん。それではこれより、クリスティを元に戻す儀式を行う」

リッドはその歯車を椅子に置き、「遠隔操作は不得手なんだ。時間がかかっても許してくれ」と前置きして、クリスティの外形を思い出すように、両肩の位置に手をかざした。

反発する何かを吹き飛ばすように、ガリガリと音を立てながら、歯車が宙に浮き、文字通り回り出した。

首のパーツの一部だったらしい。歯車の周りの部品が何処からか湧き出るように集まり、電気を帯びたモーターや、それを囲む装置、からくり、皮膚、髪、瞳、爪等、様々な部品が一人の女性の形を作っていく。

15分はかかっただろうか。小花柄の緑色のドレスを着た、ブルネットの美しい女性の姿をした機械人形が、椅子に座っていた。

「俺が戻せるのは器だけだ」リッドは苦笑気味に言った。「また人間らしくなるまで、ご教授を。レティ博士」

レティは椅子の前からどいたリッドの代わりに、クリスティを起動させる措置を取った。

「おはようクリスティ。ハッピーバースデイ」と、レティは言った。