八つ目の飛び石を踏み損ねた時、ミシェルは、すとんと、地面より深い何処かへ着地したのを感じた。
ぐるりと見回すと、周りをフカフカした苔が包んでいる。
周囲を切り立った崖に囲まれ、見上げれば、円く切り取られた青空から、日射しが注いでいる。
「あら。新しい子ね」
と、ガラガラした声が聞こえた。
声のほうを見ると、地面につきそうなほど髪の長い、ほつれかけた服を着た素足の女の人が、苔の絨毯の上を歩いてくるところだった。
ミシェルが何か言いだす前に、日射しを遮るように並んだ岩のかげに向かって、女の人が大声で呼んだ。
「みんな! 新入りだよ!」
すると、岩かげから、様々な…人間だけではなく、鳥や獣までが、わらわらと姿を現した。
「あんたはどこの狭間から来たのだね?」と、片眼鏡にシルクハットの、肩にカラフルなオウムをとまらせた老紳士が尋ねかけてきた。
「いきなりそんな事聞いたって、わかりゃしないよ」と、ミシェルの代わりに女の人が答えた。
女の人は、ミシェルのほうに向きなおり、落ち着かせるようにゆっくりした声で尋ねかけた。
「あんた、名前は?」
ミシェルは、しぼりだすような声で答えた。
「ミシェル」
女の人は、頷いて唇をほころばせ、再び問いかけてきた。
「あんたは元居た場所を思い出せるかい?」
そう言われて、ミシェルは叔母さんの家の裏庭で飛び石を踏んで遊んでいた事を思い浮かべた。
「思いだせるわ」とミシェルが答えると、女の人はもう一つ頷いて、
「それならまだ間に合いそうだ」と言うと、ピーッと空へ向け指笛を吹いた。
澄んだ音が響いて行くと、しばらくして、一羽の真っ白な大鷲が、崖の底に舞い降りてきた。
その翼の起こす風で、ミシェルは吹き飛ばされそうになりながら、苔の地面にしがみついた。
「いいかい、ミシェル?」と、女の人は言った。
「今からお前を、元居た場所に送り返してあげる。でも、チャンスはこれっきりだよ? よく用心して、同じ失敗をしないようにね」
抱き上げられ、大鷲の背中に乗せられながら、ミシェルは女の人に問いかけた。
「ここは何処なの? 失敗って?」
「戻ってみれば、分かるさ」
女の人がそう言ったのを最後に、ミシェルを乗せた大鷲は、崖の中を旋回しながら飛び立った。
気づくと、ミシェルは心の中で数を数えていた。
「3…4…5…」
足取りは軽く、ポンポンと跳ねるように歩いている。「6…7…」まで数えて、ミシェルは我に返った。
辺りは日が陰り、目の前には、八つ目の踏み石がある。ツルツルに磨かれた表面が、少し水に濡れている。
「そうだ。ここで足を滑らせたんだ」
そう気づくと同時に、遠くからミシェルを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ミシェル!!どこに行ってたの?!」
よっぽどどこかを探し回って来たのか、少しヒステリックにしわがれた声が叫んだ。
その声を主を、白髪を紫色に染めた、ピンクのカーディガンのおばあさん…と、ミシェルは思った。
そして、その人が、ミシェルがつい半日前まで甘えていた「ママ」であると思い出した。
紫の髪のおばあさんは、ミシェルを抱き上げると、ミシェルの小さな額と頭の上の1対の耳をぐしゃぐしゃにするように頬ずりをした。
「こんなに凍えて。さぁ、おうちへ帰りましょ」
ミシェルはぼんやりしたまま、「ママ」に抱えられて踏み石のある裏庭を後にした。
その日の傾きかけた空の上を、大きな白い鳥の影が飛んで行くところだった。