Michele's Story 第2章

 ざぶんっと言う、生温かい水に触れるような感触がして、まず思ったのが、

「ヤバい。カメラが壊れる」だった。

だが、その杞憂はすぐに消えた。息が出来たからだ。息の出来る水なんてあるはずがない。

何かが原因で意識を失ない、水の中に沈む夢でも見ているのだろうと納得していると、その生温かい水の感触はすぐになくなった。

すぅっと風の通る感触。目を開けれないので、何がなんだかわからないが、どうやら夢の展開が変わったらしいと思っていた。

「お客さん第一号」と、聞きなれない男子の声がするまでは。「それにしても妙な格好してるな」

「悪いけど、瞼のこれ、剥がしてくれる? まつ毛持ってかれるから自力じゃ痛くてさ」と、ふさがれている目を指して言うと、

「俺が剥がしても痛いと思うぞ?」と言いながら、声の主は、僕の瞼をふさいでいるガムテープを、慎重に剥がし始めた。

「イタッ!イテテテテテ!!」と、まつげを持って行かれて僕は思わず声を上げた。

「ほれ見ろ」と、なんだか知らないが、親切な…声変りを終わっているようなので、恐らく高校生くらいの男子が言った。

声の主は、僕の腕を腰で縛っていたロープもほどいてくれた。

 目を覆っていたガムテープが無くなると、僕はとりあえずコンパクトでまつ毛を確認した。かなりの数の死傷者を出したようだ。

「お前、中学生か?」と、ガムテープを取ってくれた声の主が言った。

 コンパクトを閉じながらそちらに目を向けると…何故かローファーではなくスニーカーを履いている、やはり高校生と思しき人物が、

ガムテープををくちゃくちゃに丸めて、焚火の中に放り込むところだった。

「あんた誰? って言うか、ここ何処?」

と、僕は質問には答えず、辺りを見回りながら尋ね返した。

空は枝葉に囲まれ、何処まで目を凝らしても、木、木、木だ。

しかも、人工的な植えかたじゃない。岩の上から根を地面に下しているもの、朽木の上に芽吹いて、変な整列をしているもの、明らかに、手入れをされていない、

言わば「自然界」の、森と言う所だろう。

 僕の記憶によると、僕は体育倉庫に閉じ込められていたはずだ。汗とホコリ臭いマットの臭いがしたから確かだ。

これから、恐らく誰かの雇ったヤンキーの連中に、鉄パイプでぶっ叩かれて…場合が悪ければ、殺されるために。

 なんで連中が、口では無く目を覆ったかと言うと、僕が生き延びた場合、顔を観ていれば確実に、単独スクープ記事のネタにされるからだ。

ロープで縛られ、これから鉄パイプの乱打が降りしきる直前に、あの生温かい水が、何処からか湧き出てくるように僕を包んだのだ。

 そして、今見る限り、此処は…とっても体に良さそうなマイナスイオンを出している、深い深い森の中…と言う様相である。

自分が混乱しないのは、恐らく夢だと思っているからかもしれない。

「お前は上手く『狭間』ってのに入りこめたらしいな」と、高校生が妙な事を言いだした。「此処は森ん中だよ。見ての通り」

「意味わかんないんだけど」と言いながら、命の次に大事なカメラは何処かと自分の身を確認すれば、斜め掛けにしてあったカメラバッグの中にちゃんと在った。

「そりゃー、意味は分からんと思うけどな。俺も意味は分からない」と、頼りにならない先輩は、焚火の隣に…設置したと思われる石の上に座り込んだ。

「そのうち、黒猫が帰って来るから、説明はそいつから受けてくれ。俺も、まだここに来てから、ほとんど情報らしい情報はもらってないしな…」

と言い、高校生はふと思いついたようにつけ加えた。

「ああ、メイクとか、気にしなくて良いぞ。どうにも、此処では時間は関係ないらしい。腹も減らないし、眠くもならないし、汗も出ないし」

 どうやら、僕は既にパイプでぶん殴られて頭がどうかしたのかも知れない。

 草の上に座って考え込んでいると、高校生は、あまり気乗りのしない風にため息をついて、何気なく聞いてきた。

「お前、元いた所に帰りたい?」

 僕は体育倉庫を思い浮かべて、首を横に振った。

「だろうな…。そこの獣道を通ってくと、元居た場所に戻れるらしいけど、ミシェル…あー、その黒猫が言うには、『巻き戻し』は、『死に直面する少し前』までしか出来ないらしい」

と、本人も困惑しているような表情を浮かべながら、高校生は説明してきた。説明している間に声はどんどん小さくなり、

「『運命の分岐点』ってところまでだとか言ってたな…」

と言う時は、ほとんど呟きに近かった。

 高校生にもなると、「運命の分岐点」と言う言葉を発するのは、相当恥ずかしいらしい。

 僕は考えた。つまり、今僕は意識を失い、中二病と呼ばれる、ありがちな設定の世界の夢をみていて、たぶんこのまま死ぬんだろうなぁと。

 高校生はまた口を開いた。

「繰り返し言うけど、詳しい説明は黒猫から受けてくれ。って言うか、お前、此処に来るまでの直前のこと、覚えてるか?」

 その黒猫と呼ばれている人はなんなのだろうと思いながら、僕は両目にガムテープを貼られる直前までを思い返した。

 学校の心霊スポットに呼び出され、突然複数人で背後から抑え込まれて、両目にガムテープを貼られた。

そして、両腕を腰の位置で縛られ、体育用具室に放り込まれたのだが、連中のマヌケな所は、カメラバッグと一緒に腕を縛ったあげく、僕からカメラを取りあげなかったところだ。

このフィルムの中には、学校の中の色んな裏情報が収められている。

教職員の不正の証拠写真から、いじめやカツアゲの現場の写真、そして、新聞部での賄賂の現場写真、等々。

 つまり15歳の女子の身空にして、僕は敵がいっぱい居たのだ。

「覚えてるけど」と答えると、

「それなら、その時点まで戻れるぞ」と返事が返ってきた。

「戻りたくないってわけじゃないけど、一応考える」

と答えて、僕は寒気を覚えた。枝葉に日射しが遮られている分、なんだか肌寒い。

 焚火にあたっている高校生の向かい側に場所を移すと、小さな炎はずいぶん暖かく感じた。

「喫茶店のマッチあって助かったんだよなー。今時マッチ配ってる喫茶店が珍しんだけど、この火絶やしたら、火を起こすチャンスはあと4回だから、注意してくれよ」

と、よっぽど喋り相手に飢えていたのか、高校生は何も聞かなくとも喋りはじめた。

「カメラが趣味なのか?」

と、聞かれ、

「商売道具」

と答えた。

 撮った写真は、生徒会に売りつけたり、雑誌に投稿したり、新聞編集部に売りつけていたのだ。それが敵を増やした理由なのだが。

「中学生で商売道具はすげぇな…お前、名前は?」

「鈴木穂波。稲の穂の『ほ』に、海の波の『なみ』」

「田んぼの近くに住んでたのか?」

「そんなに平和な田舎じゃないよ。そっちの名前は?」

「近藤ミノル。名前はカタカナだ」

「昔のおばあちゃんみたいだね」

「せめて漢字が良かったと思った事は散々ある」

と、ひとしきり喋っていると、何処からか別の声がした。

「あら。新入りさん?」

「よぉ。ミシェル。ようやくお前以外の話し相手が出来たところだ」

と、普通に会話しているが、ミシェルと呼ばれたのは…本当に本物の黒猫だった。

 やっぱり僕は頭がどうかしたらしい。