灌木の間から飛び出した時だった。上空から大きな鳥の影が迫り、私は自分が失敗した事に気づいた。
「ママ!!」と、木の根の下の巣穴から、子供達が恐怖にひきつった顔で叫ぶのが見えた。
「出て来るんじゃない!!」と私が叫んだ瞬間、何処からか水を浴びせられた。
いや、水を浴びせられたのではない。急に足元の地面が無くなり、水の中を沈んでゆくのだ。
その恐ろしい感覚は、とっさに息をとめさせた。だが、苦しさの余り、私は息を吐いてしまった。
水を吸い込んだはずだが、鼻や肺に異物が入った感触はしなかった。
ぽんと放り出されるように、水の中から地面に降りた。
そこは見た事の無い森の中だった。
「おお。うさぎか」と、人間の声がした。見れば、小さな焚火のを挟んで、2人の人間がいる。
背の高い声の低いほうは、どうやら雄らしかった。焚火の反対側に座りこんで居る小柄なほうは、たぶん雌だろう。
「お前、しゃべれるか?」と、雄の人間は私に言った。
「人間に言葉が通じればね」と私は返事をした。
「通じる通じる。立派な日本語に聞こえる」と、なんでもない風に雄の人間は言った。
私は訳が分からなくなった。私が、人間の、それも異国の言葉を話していると、その雄の人間に指摘されたからだ。
「見たところ、ペットのうさぎじゃないみたいだけど、お前、名前あるか?」と、雄の人間は焚火に手をかざしながら言った。
「ソイル」と答えた。そして聞き返した。「ここは何処?」
「それはまだ説明できない」と雄の人間は言って、「ソイル。お前、元居た場所を思い出せるか?」と、事務的に聞いてきた。
「思い出すも何も、ついさっき巣穴の前に居た」と、私は少しイライラと答えた。「子供達が心配だわ」
「それなら大丈夫だ。そこの獣道を通って行けば、元の場所に戻れる。今度は失敗しないようにな」
人間の雄はそう言って、茂みの中に続く獣道を指さした。
私は無言で獣道の中へ走りこんだ。すると、急に木々の間から射していた光が減退して行った。
夕刻が迫るような気がして、私は夢中で、一本道の獣道を走りきった。
一瞬視界が全部真っ暗になり、走っているのか立ち止まっているのか判断がつかなくなった。私は夢中で手足を動かし続けた。
次の瞬間、目の前が明るく開けた。元の森の灌木の出入り口だ。
私は足を止め、灌木に潜んで耳を澄ました。上空で大型の鳥の鳴き声がする。さっきはこれを聞きのがしたんだ。
草地を経た向こうの茂みに、木の根の下に開けた巣穴がある。
私は、鳥の声と羽音が遠ざかるのを待った。だが、中々空に居る奴も粘り強い。
ジリジリと時間が過ぎ、私は焦りを覚えた。ルートを変えるべきか、と迂回路を思い浮かべた時、最悪の事態を目の前にした。
お腹を空かせた子供達が、私を探しに来たのだ。
「あ。ママだ!! みんな、ママいたよー!!」
出て来ちゃダメ!!と合図を送ろうとしたが、それよりも早く子供達は草地へ飛び出した。
それを見つけ、滑空してくる羽音が聞こえた。私は灌木から飛び出した。子供達を狙っている大きな鳥の影が、日射しの中に浮かび上がる。
私はその影からのびた爪が、子供達をとらえる前に、鳥の背中に蹴りの一撃を与えた。
しかし、わずかに狙いがそれた。大したダメージを与えられなかったらしく、鳥は体勢を立て直すと、私に向かって飛んできた。
かなり大型の猛禽類だ。私の体でも、軽々と持ち上げるだろう。持ち上げなくても、その場で引き裂いて食べることだってできる。
私は子供達に叫んだ。「逃げなさい!!」
子供達は、そろって巣穴のほうに逃げ出した。
私も、本能に従って走り出そうとした。けれど、地面を蹴った片足を、鳥につかまれた。
鳥のくちばしが背中に刺さるのを、覚悟した時だった。何かが、猛禽類に飛びついた。
私は体をねじって、鳥の爪から片足を引きはがした。
一匹の黒猫が、鳥の喉笛にくらいついていた。爪を出した手で鳥の頭をつかみ、鳥の瞼を散々に引っ掻いてた。
鳥は、必死に猫を振りほどくと、空に避難した。戦意を喪失したようだが、まだ諦めていないかも知れない。
「急いで!!」と、黒猫が言った。私達は巣穴のある茂みに飛び込んだ。
「スペシャルサービスよ」と、黒猫は言った。「あの子も、まだまだ言っちゃダメな事と、説明しなきゃならないことが分かって無くてね」
「あなたは誰?」と私は聞いた。
「名乗っても、そのうち忘れるわ」と言って、猫は茂みの中に去った。
私は呆然としたまま、巣穴に潜り込んだ。お腹を空かせた子供達が待っていた。お乳をあげなくちゃ。
砂のベッドに横たわると、子供たちが群がってきた。私はお乳を与えながら、眠りこんだ。
不思議な夢を見た。見知らぬ森の中で、何処かで見覚えのある雄の人間が、黒猫にしかられているのだ。
「こういう時こそ、考える時間を与えるの。すぐに送りだしたらダメ」と、黒猫がお説教をしている。「なんのために巻き戻してるのか、しっかり考えて」
「いや~、しゃべっちゃならんことが多いと…つい」と、雄の人間が言いわけをしている。
「僕の時はしゃべりすぎてたしね」と、やはりどこかで見覚えのある雌の人間が、呆れたように呟いた。「おかげで森暮らしだよ」
「あの時は、久しぶりに人間としゃべったもんだから、つい口が滑って…」と、雄の人間は言いわけを続けている。
おかしな夢、と私はくすっと笑った。