すっかり手慣れた彫刻刀の扱いに我ながら満足しながら、新しくできた木の皿をそれまでの皿の上に積み上げた。
10枚は作れただろうか。どれも、私が作ったサインとして皿の一部に花の模様を刻み込んである。
「リナは器用ね」と、彫刻仲間のセーラがため息を漏らした。「あたし、もうフォーク見るの嫌になっちゃった」
「細かい仕事だから、仕方ないわよ」と、私はセーラを労った。「フォークの刃を削りだすほうが難しいわ」
「ねぇ、僕のお皿は?」と、トイプードルのタックが丸太のチェストに登り、木の香りに鼻をすんすん言わせながらテーブルの上をのぞき込んだ。
「出来てるわよ」と私は答え、犬用の皿をタックの前に置いた。
タックは、まだ何も入っていないお皿のにおいをかいで、嬉しそうに尻尾を振った。
「でも、お腹も空かないのに、なんで食器なんて作れって言われたんでしょうね?」と、不思議そうにケイトが言う。
おしゃべりはしていても、視線は木のスプーンに注目し、えぐり出した凹みにやすりをかける手を止めていない。
「何か意味はあるのよ。ライアンは昔から何処かの狭間の出口で暮らしていたそうだから」と、私は答えた。
私達が作業しているのは、もう森の一角ではなく、丸太で作られたコテージ風の家の中だった。
別の狭間の出口―ミシェルは「ホーム」と呼んでいた―から来た、大工のライアンの裁量は確かで、森の中でただひたすら暇を持て余していた私達に、「物を作る術」を教えてくれた。
もちろん、ライアンが持ち込んだ大工道具や工作道具が無ければ、何もできなかっただろう。
「普通は、誰かが偶然持ち込むまで待つんだけどね」と、ミシェルは言っていた。
ミノルの管理するこの森の中に来た者達は、ほとんどがまだ知識も道具も持たない若者や、鳥獣類ばかりだった。
お互いが持ち込んだものと言うと、教科書やCDプレイヤーや筆記道具等だ。裁縫のキットを持っている者もいたが、まだ布を作る術を知らなかった私達には、無用の長物だった。
ライアンは博学で、大工仕事だけではなく、森に自生した麻から繊維を取り出す方法を教えてくれた。
そして縄を綯う方法を私達に教えた。その方法は、この森に居る人間の中では一番年下のホナミがすぐに覚えた。
コテージを何軒か作ってから、ライアンは私達にも手伝わせ、機織り機を作った。ホナミが作った細い細い麻の糸を機織りにかけ、麻布を大量に作った。
麻の繊維が手に刺さることもあったが、みんな、それまでの退屈の埋め合わせをするかのように仕事に励んだ。
コテージの中にベッドをこしらえ、麻布を敷いてみると、ようやく原始人的生活から抜け出せたかのような気がしたものだ。
まだ誰にも言っていないが、私は麻布のベッドが出来てから、不思議な体験をした。
この森に来てから、初めて「眠気」を覚えたのだ。緊張の糸が切れたかのように、私は麻布のベッドに横たわり、一瞬うとうとと浅く眠りさえしたのだ。
だからこそ、ライアンが「食器とカトラリーを作ってくれ」と言い出した時、これも何かのきっかけなのだと直感した。
今、ミノルを含む力のある数人の男の子―雄の動物も含めるが―達は、ライアンと一緒に、遠くの沢から水を引く樋を渡しに行っている。
ミノルに「留守」を頼まれたホナミは、いつもの焚火の前で、熱心に麻の糸を作っている。
ミノルがこの森の管理人になってから、ホナミは最初に来た来訪者で、ミノルが口を滑らせて、ホナミにこの森のルールを洗いざらい喋ってしまったらしい。
そのため、頭数がそろってきて、ミノルが力仕事に駆り出されなくても済むようになるまで、ホナミが管理人代理と言うことになったのだ。
木の鎧戸を開けてある、柵と麻のカーテンで仕切られただけの窓の外で、大きく森の枝葉が揺れる音がした。
「誰か来るんだわ」と、私は言って麻のカーテンをめくった。
熱心に彫刻刀をふるっていた2人と、お留守番のタックも、窓辺に集まって来た。
梢の間に、滲むように何者かの影が浮かび上がる。
その影はゆっくりと地面に近づきながら、次第に輪郭をはっきりさせてきた。大きな、黒い体毛に覆われた動物…熊だ。
こちらに背を向けているホナミはうろたえる様子もなく、熊が地面に落下し、起き上がるのを待っていた。
「熊ですね…。グリズリーじゃなきゃいいけど」とケイトが言った。「あたし、あの鳴き声嫌いなんです」
熊は辺りを見回しながら、何か喋ったようだった。タックや他の鳥獣類もそうだが、この森に来た者は、ある種の言語を獲得する。
森に留まらなかった者がどうなるかは分からないが、その言葉は動物にも、異国の者にも、誰にでも通じる。
熊は、ホナミに声をかけたようだった。遠すぎてよく聞こえないが、熊とホナミが会話をしているのは身振りから分かった。
しばらくホナミと会話してから、熊は地面に座り込み、焚火にあたり出した。火を怖がらない。
「ここに居ることにしたみたいね」と私は安堵のため息をこぼしながら呟いた。
「あたし達も、ちょっと挨拶に行かない? 一休みも兼ねてね」とセーラがにっこり笑いながら言った。
「私は構わないけど、ルール違反にならないかしら?」と言って、私は少し考えた。
ホナミが管理人代理と言うのは、ルールを知っていると言う理由で、後から来た者たちが取り決めたことだ。本来の、「狭間」のルールには合わないかも知れない。
だが、訊ねてみようにも、ガイドのミシェルは留守にしている。きっと、何処かの狭間を忙しく行き来しているのだろう。
一応年長者として、私が決定を下すことになるが、極力ルール違反は避けたい。だが、2人と1匹は出かける気十分のようだった。
しょうがない。この際、どんなペナルティーが課せられるか分からないけど、気分転換に行こう。