Michele's story 8

時間が飽和したように、全てのものがゆっくりと見える。

3弾目に撃たれた弾丸が、私の胸部をとらえていた。身をかわさなければ。とっさに私は、体をねじることが出来た。

弾丸は、私の背中のアーマーを少し抉り、壁に突き刺さった。

私は、残り少ない弾丸を数発、敵に向かって撃った。

敵がひるんだうちに、私は廃墟奥の壊れたビルの中まで逃げられた。だが、ビルの向こう側の壁の割れ目から敵軍のジープが見えた。

私は身を低くかがめ、敵の視野から逃れた。残りのマガジンは一個。後は無い。部隊は壊滅させられた。もしかしたら、私が最後の一人かもしれない。

だからこそ、敵は執拗に私を追ってくる。そんな気がした。

通信機で、すでに手に入れた情報は本部に伝えてあった。残った私のすることは、帰還して本部と合流すること。

どうする? 最善の策に頭を巡らせることを選んだ。私が捕まり、拷問され、自白剤を投与され、こちらの情報を漏らさないとは限らない。

私は覚悟を決めると、マガジンを取り換え、銃口を自分の喉にあてた。

これで良いんだ。そう自分に言い聞かせた。引き金にかけた指に、力を込めようとした。

その瞬間、足場が崩れた。

銃弾は私の喉からそれ、あらぬ方向に飛んで行った。

崩れた足場の下に、水が張られていた。

私は息を止め、水面に出ようともがいた。だが、まるっきり浮力を感じない。むしろ、ぐいぐいと引きずり込まれるように、水の底へ沈んで行く。

水の中には、誰かが居た。一瞬開けた片眼に、さっきまで同じ部隊にいた仲間達が映った。

「目を開けるな! こっちだ! 早く!」

聞こえないはずの声が聞こえた。仲間達の腕に引き寄せられ、私は目を閉じて水の中を沈んで行った。

少しずつ、口の中から息が漏れて行った。でも、苦しさは感じない。

私はきっと死ねたんだ。誰にも迷惑はかけず、部隊のみんなに見守られ、これから冥府に逝くんだ。

そう思いながら、息を吐き切るのを待った。

「お前は生き延びてくれ。俺達の分まで」と、仲間の声がした。

その途端、背中に衝撃を受けた。ざわざわと、空高くに梢の揺れる音がした。水は無くなり、少し湿った柔らかい地面に、私は倒れていた。

ここは何処だろう。森のようだが。これが冥府だろうか?

私は考えながら体を起こした。そして気づいた。水の中で開けた、片眼が見えない。

見えるほうの視界の中に、うっすらと屋根に雪を乗せたコテージがあった。森の中に木作りの数軒のコテージ。物珍しくはない、何処かの僻地と言う感じだ。

「よぉ。新入りさん」と、まだ若い男の子の声が聞こえた。そちらを振り返ると、アジア人らしい制服姿の少年が立っていた。

私が何から聞こうか迷っているうちに、少年は「あんたの名前は?」と聞いてきた。

「セシリア」と私は答えた。そして自分がひどく無警戒なのに気付いた。

「片眼を置いてきちまったか…」と、残念そうに少年は言った。「なるほど。帰れる見込みなしだな」

「あなたは誰?」と、私はようやく声を絞り出した。

「名前はミノル。この森の管理人だよ」と言って、少年は梢の間を見上げた。そこから、雲が切れ陽射しがさすのが見えた。

「ミシェルの言ってた通りだな」と、少年は呟いた。「この雪は、あんたがここに来るのを待ってたんだとさ。自分達の言葉を聴いてもらうために」

「この雪は…なんなの?」と、私は戸惑って訊ねた。

「狭間に入って、出てこれなかった『死者』達の魂だそうだ」と、少年は答えた。見た目は少年だが、言葉遣いや面持ちは百歳を過ぎた老人のようにも見えた。

「狭間」と言う響きから、私は地上と冥府をつなぐ空間のようなものを思い浮かべた。それが、さっきの水だったのだろうか?

「あいにく、俺には人を殺めたことも、自分から死を選んだこともない。だから、この雪達の声は聴こえないんだ」と、少年は少し重たげに言った。

「こっちに来てくれ」と、少年は私を森の一角に促した。

そこには、白い雪の丘の上に、射し始めたばかりの陽射しが注いでいた。

「土が混ざらないように集めるのは大変だったんだぜ」と言って、少年は日差しの強く差しこむ雪の丘を指さした。「溶けだしたものから、順に声が聞こえてくるはずだ」

私は、自分がどうするべきか分かったように、雪の丘の上に登った。そして、木漏れ日を受けながら耳を澄ました。

「助けて!」まず聞こえてきたのは悲鳴だった。「苦しい」誰かがうめいた。「こんなところで…死ぬもんか…」誰かの最期の言葉が聞こえた。

「諦めないで」誰かを励ます声が聞こえた。「まだだ…まだ…」何か言いかけて、ある声は途絶えた。「誰も死なせない。もう、誰も」誰かの決意言葉が聞こえた。

私の、見えない片眼と見える片眼から、涙があふれてきた。苦しく息を吐きながら、私は声を聴き続けた。

声が聞こえても、どうすることもできない。だけど、聴かなければ。私にしか聴こえない声。

「誰か…この子を…」と、屋根の上の雪が蒸発する蒸気に映った影が、小さな幼子を差し出していた。私はその子供を受取ろうと手を伸ばした。

「ダメだ!」と、遠くからミノルの声がした。「狭間の中に残された者は、もう助からない!」

私は伸ばしかけた腕を引き、両手を胸の前で握りしめた。影は揺らいで消えた。

何百、何千と言う声を聴いただろう。生前の声だけではなく、「狭間」の中に残された苦しみの声もあった。

「凍っていく…」「冷たい。暗い」「ここは何処?」「息が…息が…」「傷が塞がらない…」「動けない。見えない。聞こえない」

其処は、恐らくひどく「死」に近い場所なのに、なおも生きていたときの感覚を持たねばならない、ある種の地獄のような場所なのだろう。

彼等は、罰を受けるために「狭間」に落ちたわけではない。ただ、抜け出す方法が分からなかっただけなのだ。

私が全ての声を聴き終えるまで、日射しはさらさらと降り注ぎ続けた。そして、足元に残った一片の雪から、最後の声が聞こえた。

「生き延びてくれ。俺達の分まで」その声は、確かに聞き覚えがあった。

私は涙をぬぐい、空を仰いだ。雲の切れ間から、私の片眼に碧空が見える。そして、もう片眼には、真っ白な光の滲む様が。

「みんな、元の場所に還ったらしいな」と、ミノルが言った。「来て早々、大変な仕事だったな」

「私は、どうすれば良いの?」と、私は少年に問いかけた。声を聴くだけ、それだけでは、この命達にはあまりに酷すぎる。

「生きれば良い。生きれなかった者の分まで」と、少年は力強く言った。「それが、生き残った者の使命だ。それに、ここにいるのは、あんたと俺だけじゃない」

そう言って、少年はコテージのほうに向かった。

「来いよ。家族を紹介してやる」

そう言われて、私は少年の後に続いた。