Silver Keys Ⅰ 序章

最初に父親の書斎に忍び込んだのは5歳の頃だった。

夕方から夜の間しか活動しない父親は、昼間はずっと寝室で眠っている。

だが、書斎から誰かが呼んでいる気がした。

少女は誰かに導かれるように、書斎に入り、本棚でカタカタと揺れていた一冊の分厚い本を手に取った。

そこには、若かりし頃―今でも十分若く見えるが―の父親の旅行記が書かれていた。

それも、列車に乗って何処へ行ったなんでものじゃない。大荷物と一緒に、歩いて国を1周した時の物語がつづられていたのだ。

少女はその物語に夢中になった。姉の気配を追って書斎に入り込んできた弟にも、その旅行記を見せた。

2人は、難しくてわからない言葉を省きながら読んでいたが、それでも5歳の少女と少年の心を躍らせるような、不思議な世界が広がっていた。


やがて、2人は「いつか、父様みたいに旅に出よう」と約束をした。

「僕、フェンシングを頑張る。悪漢や盗賊から、レナを守るよ」と弟は言った。

「私だって、守られるだけじゃないわ」と少女は言い返した。「私も、色んな魔術を覚える」

「ドラゴンって、絶滅したんじゃないんだね」弟は、すでに日記の物語の世界に戻っている。

「ルディったら。私の話聞いてる?」

「聞いてるよ。ほら、これ、父様がドラゴンの卵を助けた時の話だ」と言って、何度か見たページを開いて見せた。

「ルディは、その話好きね」と、レナも日記の世界に戻る。「でも、これ、日付が千年くらい前だわ。この頃にドラゴンが生きてても、今は絶滅してるかも知れないわよ?」

「きっと、まだ生きてるよ」ルディはアッシュグリーンの目をキラキラさせている。「ウェドネストの地方には、まだ未開の樹海と山脈があるって言うもの」

「ドラゴンだって、気性の荒い種族もいるのよ?」レナはそう言ってから、「私はエルフの言霊の歌が聴いてみたい」と続けた。

「エルフだって絶滅危惧種でしょ?」ルディはレナに言い返す。「森の中に住んでて、めったに外界の種族とは接しないって書いてあったじゃん」

「ちゃんと礼儀を尽くせば、噂ほど高飛車な種族でもないとも書いてあるじゃない」と、レナ。

ルディはドラゴンの話のページを、レナはエルフの話のページを開いて、夫々のページを行き来しながら読書にふけっていると、レナは開けっぱなしのカーテンから指す光が弱くなっているのに気付いた。

「大変。父様が起きて来ちゃう」そう言うと、ルディもすぐに事態を察して、日記を閉じ、レナはそれを元の場所に戻した。

レナとルディが書斎を出ると、書斎に住んでいるもの達が、2人の気配をそっと消した。


廊下をトコトコ走って行くと、小間使いに出くわした。

「ルディ様、レナ様。奥様が探していらっしゃいましたよ」と、小間使いは言った。

「大丈夫。なんにも悪い事なんてしてない」とルディが余計なことを言った。

「悪い事?」と小間使いが不思議そうに聞く。

「なんでもないのよアレックス。ちょっとかくれんぼが長引いちゃっただけ」とレナは言って、「母様は何処?」と小間使いに聞いた。

「リビングにいらっしゃいます」と小間使いのアレックスは答えた。

「わかった。ありがとう」と言って、レナは弟の手を引くと、1階まで階段を駆け下りた。

風変わりな家の、風変わりな1日の、よくある光景だった。

なんせ、この少女と少年の父親は、吸血鬼なのだから。