レナにとって、学校生活は、思ったより窮屈なものでもなかった。すぐに気の合うおしゃべりの相手を見つけ、夕方に女子の寄宿舎に戻った後は、乳母のヘレンから聞いた古い民話などを皆に話して聞かせた。
人間達に打ち解けるのに苦労したのはルディのほうだ。小さな頃にあった噛み癖を気にして、牙は隠れていると分かっても、なかなか口を開くことが出来ない。
次第に、ルディに話しかける人間は少なくなっていった。1ヶ月も経たないうちに、「偏屈ルディ」なんてあだ名をつけられた。
牙を隠す呪術をかけるため、女子の寄宿舎と男子の寄宿舎が、フェンス越しに向かい合っている裏庭で、レナとルディは隠れるようにして会っていた。
「何かあったの?」弟の暗い表情を観て、レナは心配そうに言葉をかけた。
「ううん。なんでもない。ただ、僕、人間と喋るのが苦手みたい」と、ルディは控えめに状況を告げた。
「あら。アレックスだって人間よ? あなた、平気でしゃべってたじゃない」とレナが言うと、「アレックスは、僕達のことを知ってるからさ」とルディは答えた。
「そうね」と言って、レナはフェンスに手をかけた。できる事なら、屋敷でそうしていたように、弟を抱きしめてあげたかった。
魔術も魔物も存在しないとされている、昼間の世界で、ルディは心の置き場を失っているのだ。
「でも、世界は敵ばかりじゃないわ」レナは言った。「きっと、ルディのことわかってくれる人も居る。諦めないで」
「うん。ありがとう」そう言った時に牙の見えたルディの口元に、レナがそっと呪術をかけた。
そんなルディに、ある日、寄宿舎で一人の年上の少年が話しかけてきた。
「ルディ・ウィンダーグ君だよね?」と、褐色の肌の、美しい黒曜の瞳の少年は言った。
「うん。僕のこと、知ってるの?」と、ルディは不思議そうに訪ねた。
「君は、僕達の間では、ちょっとした有名人なんだ」と少年は言った。
ルディは警戒して、少し後ずさりをした。
「怖がらないで。僕も、君と似たようなものさ」と言って、少年はイーブルアイを一瞬閃かせた。
「僕はジュミ・ローラン」と、闇の血を継ぐ少年は名乗った。そして、そっとルディの耳元に「祖母がパンパネラなんだ」と囁いた。
ジュミは「仲間に君を紹介したいんだけど、僕等のアジトに来るかい?」と冗談めかせて言った。
ルディは「アジト」と聞いて、どきりとした。何か、やましい事でもある者が逃げ込む場所、というイメージがあったからだ。
「大丈夫。いきなり噛みついてくる奴なんて居ないよ」そう言って笑うジュミの口元に小さな牙を見つけ、ルディは初めて「友達」に逢った気がした。
ジュミについて行った先は、図書館だった。本棚の並ぶ一角が、魔術で観えなくされている。
「入り口は狭いけど、中は結構ゆったりしたもんさ」
ジュミに手を引かれて、恐る恐るその一角に足を運ぶと、空間の隔たりを通り抜け、むき出しの鉄骨と打ちっぱなしのコンクリートでできた、いかにも少年達が好みそうな内装の部屋に出た。
部屋の片隅に置かれた大きなタイヤやドラム缶の上に、数人の闇の血の混ざった少年達が、角も羽も隠さずにたむろしている。
「ちょっと奇妙な連中だけど、リラックスしてるだけさ。君も、此処でなら羽をしまっておかなくても良いよ?」と言うと、ジュミは率先してジャケットを脱ぎ、シャツの切れ込みから羽を伸ばした。
ルディが戸惑っているのが分かったらしく、ジュミは「もしかして、羽、使ったことないの?」と聞いてきた。
「僕、小さい時から、隠すように言われてて…」とルディは答えた。
「さすがに、躾が行き届いてるね」と苦笑いまじりにジュミは言って、「背中の皮膚をのばす練習から始めたほうが良い」と言って、たむろしている少年達のほうに歩き始めた。
「注目ー! 新入り君の登場だよー」ジュミは明るく言いながら、個性的な少年達にルディを紹介した。「今年から入った、ルディ・ウィンダーグ君だ」
「よ…よろしく」とルディが言うと、少年達は笑いながら、「えー?!」と言ってルディの周りに集まってきた。
「ウィンダーグって、あのウィンダーグ家だよね?!」と言うざわめきが起こる。
「牙は…? ああ、術で隠してるのか」蝙蝠のような羽を広げているブラウンの髪の少年が言った。
「羽は? 羽は?」と、両耳の後ろから角を生やしている灰色の髪の少年が聞いた。
「使ったことないって」と、ジュミがルディの代わりに答えた。
「見た目、完全に人間じゃん」と言われ、思わぬところで、ルディは「自分はちゃんと人間に見えるのか」と安心した。
「イーブルアイは使えるよね?」ジュミが聞いてきた。ルディは、一瞬だけ瞳を赤く光らせた。「こんな感じ。あんまり長く使えない」
ルディがそう言うと、「これは、闇の者としては放っておけない事態だ」とジュミが言った。どうやらジュミは、このグループのリーダーのようだ。
「僕達の間で、ウィンダーグ家って言えば、名家のうちの名家だよ? そのご令息が、すっかり人間化してしまっているとは嘆かわしい」
「全くだ」「その通り」「同意」と全員が口々にジュミに賛同した。
「だが、選択の自由はある。ルディ君、君がいつここに来るのも自由だ。もし、人間の慣習を守りたいなら、これっきり来なくても構わない。でも、『羽が伸ばしたくなったら』いつでも来てくれ」
ジュミはそう言って、ルディの手を引いて出口のほうへ連れて行った。
「もうすぐ20時になる。7歳の坊やは眠る時間だ」
ルディは、出口を出る前に振り返り、「ありがとう。ジュミ」と言った。
「お礼なんて良いよ」と言ったジュミは、見た目よりやけに大人びて見えた。「君には自由があることだけ、覚えておいてくれ」
「うん。おやすみ」と答えたルディが出口を出て、術で隠されている空間を通り抜けると、20時を告げる鐘の音が鳴った。
ルディは、大急ぎで1年生用の寝室へ向かった。